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遼州戦記 播州愚連隊

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 楓がそう言う前に嗅ぎなれた線香の香りに明石は気づいていた。路地を行きかう闇屋や担ぎ屋ではない参拝客を目にするようになると、古びた本堂の伽藍が目に入る。周りのバラックと比べれば確かに瓦がきちんと並んでいる屋根は別世界の建物に見えた。だが墓には雑草が見え、塀は破れ、塔婆が散らかっているのが見える。
「荒れてますね。こんな……」 
「そないな顔せんといてな。貴族相手の寺やったら別やけど今はどの寺も今はこんなもんやで」
 そう言いながら明石は破れがちの塀に沿って門を目指す。門には背広の男が立っており、明石の顔を見ると黙って道をあける。
「大丈夫なんでしょうか」 
 楓が言うのも当然な話で、男の左胸には膨らみがあり、そこには銃が隠れているのは間違いが無かった。門をくぐると寺の荒れ方がかなり本格的なことに気づいた。襖はつぎはぎで覆われ、柱には大きく傷跡が見える。
 そうして入り口には今度は陸軍の制服を着た下士官がライフルを構えて立っている。
「ご苦労さん」 
 そう言って明石が頭を下げると下士官は戸惑うように笑った後、奥を覗き込んだ。見慣れない陸軍士官がきびきびと歩いてくる。
「明石清海少佐ですね。それと……」 
「正親町三条楓曹長であります!」 
 直立不動の姿勢で敬礼をする少女に微笑んだ陸軍中尉は敬礼を返す。
「靴を脱いで上がってください。あと、出来るだけ下を見ながら歩いてくださいよ。床が傷ついているので下手をすると靴下をだめにしますから」 
 そう言って靴を脱ぐ二人を眺める中尉。警備の下士官は二人の靴を横に片付ける。40足以上の靴が並んでいるところから見てそれなりの規模の集会であることは分かった。明石も奥に消えようとする中尉について薄暗い寺の屋根の下を歩いた。
「来たか!待っていたぞ」 
 満面の笑みの魚住。黒田の顔も見える。本堂には他にも海軍や陸軍の中堅士官達がスルメをつまみにして酒を飲んでいた。
「君が明石君か。話は聞いているよ」 
 そう上座から声をかけてきたのは写真では何度も見たことのある人物だった。
「これは醍醐少将!」 
 明石は身が固まるのを感じた。だが、醍醐文隆陸軍少将は明石が連れてきた楓の方に目が行くと突然立ち上がり楓の前に額づいた。先の大戦では参謀としてアフリカ方面戦線で活躍し、遼南軍の崩壊にあわなければ要衝モガディシオを陥落させたとも言われる人物である。しかし醍醐の視線が隣に立っている楓に動くと急変した。
「これは姫様!申し訳ございません!」 
 突然の醍醐の懺悔に硬直したままその禿かけた頭を見つめる楓。彼女は視線で明石にどうしたら良いか訪ねてくるようなそぶりを見せた。
「ああ、将軍。頭上げてくださいよ。コイツはワシの部隊の代表で来とるだけなんで」 
 明石がそう言っても醍醐は頭を上げようとしない。
「醍醐さん。いつも父上が迷惑をかけています。こんな状況になったのも……」 
「いえ!私の独断で未来ある若者達に危険なことをさせているんです!これは……」 
「醍醐さん!」 
 凛と響く楓の声が本堂に響く。苦笑いを浮かべながら土下座する醍醐を見つめていた同志達はその声に呼び起こされるようにして立ち上がった。
「同志の一人じゃないですか!あくまで我々は胡州の変化を作り出すべく立ち上がったんです!」 
「そうだ!家柄など無意味!」 
「志を持っているんだ、歓迎するよ」 
 彼等はそう言って楓に握手の手を伸ばしてくる。自分の言葉が呼んだ状況だと言うのに戸惑うように明石を見つめた後、それぞれの手に握手を返す楓。
「将軍。頭を上げてください」 
 一通り握手が終わると、楓はまだ頭を垂れている醍醐の肩を叩いた。醍醐はゆっくりと立ち上がり上座に戻って皿の上のスルメを手に取る。
「隊長。これは?」 
 楓は珍しそうにスルメを眺めている。
「ああ、酒のつまみやけど……ああ、ワレはあかんで。酒のつまみやさかい」 
 そう言うと明石は楓からスルメを取り上げて自分の口に運ぶ。
「いいじゃないですか、酒じゃなくてスルメくらいなら」 
 隣の髭面の海軍大尉がそう言って笑った。どちらかと言えば酒で何とか先日のテロへの怒りを静めていると言う血の気の多い面々と比べると一回り上の年齢で落ち着きを感じる姿に明石は好意を持っていた。
「その部隊章。濃州ですか?」 
 楓の声に髭面の男は明石越しににんまりと笑顔を浮かべて楓を見つめた。
「ああ、濃州だが。斎藤一実(さいとうかずみ)大尉だ。濃州分遣艦隊でアサルト・モジュール隊の教導を担当している」 
 そう言って手を伸ばす斎藤。明石がゆったりと周りを見回すとリーダー格の醍醐の次ぐらいの年齢でこの場の将校達と比べると二回りは年上であることがよく分かった。
 斎藤の言う濃州は胡州のアステロイドベルト開発の拠点とされるコロニー群であり、その領邦領主は先の大戦の海軍を代表するエースとされた斎藤一学中佐を擁していた。彼が戦死した後は女性の領主が立っているはずだった。
「ああ、誤解するなよ。俺も斎藤一門だが庶流だ。と言っても本当は洋子様もこの場に同席される予定だったがこのご時勢だ。俺が名代と言うわけだ」 
 そう言うと斎藤はどっかりと本堂の床に胡坐をかく。明石もその隣に座るが、楓は胡坐のかきかたが分からないように何度か足を組みなおした後、諦めて正座した。
「おい!誰か座布団を!」 
 そんな斎藤の一言で魚住がはじかれたように走り出す。その様子に笑みを浮かべながら斎藤は目の前の酒を飲み干した。
「これで全員だな」 
 魚住が走り出したのを見てタイミングを計るように奥の部屋から出てきた別所が立ち上がる。その様子を見て集まった士官達は醍醐の方に頭を向けた。
「同志諸君!残念なお知らせはご存知だろうが波多野卿が凶弾に倒れて一週間が経った。警察は烏丸殿に遠慮して捜査らしい捜査もせず、テロリストは野放しにされている」 
 この別所の言葉に多くの士官が頷く。
「こうしている間にも、烏丸殿の作った貴族制擁護、官僚擁護の法案に触れるとして多くの志を同じくする人々が囚われ、殺されている現状を我々は看過することが出来ずにこうして集まったわけだ」 
 その別所の言葉でこの場に上官であり一番の民派と呼ばれるようになった西園寺派の領袖である赤松がいない理由が明石にも分かった。これはクーデター計画を練るための会合であると。
 見れば士官の中には陸軍のレンジャー部隊、海軍の陸戦隊や空挺部隊の部隊長の顔も見て取れて、これから話し合う内容が要人略取や施設占拠を目的とする作戦行動を目指すと言うことが読み取れた。
「これも清原将軍を討ち取れば話が済むんじゃないか!」 
 末席ですでにかなり酒が入って赤い顔をしている海軍陸戦隊の少佐が叫ぶ。さすがに極論だと言うように周りの士官達は冷ややかに笑った。
 だが、一人楓だけは静かに頷いていた。
「おう、姫様は分かるんだな!」 
 そんな楓を見つけて不器用な笑顔でにじり寄ってくるその男を睨み返す楓。
「はい、この場で酒を飲みすぎて正気を失うような同志の発言は無視した方が良いことは分かります」 
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直