遼州戦記 保安隊日乗 番外編
「ああ、そういえば誠ちゃんは遼南レンジャーの資格は持ってないわよね。まあレンジャー資格試験の時にはあれを食べるのは通過儀礼みたいなものだから……でも結構おいしいのよ」
そう言ってアイシャは自慢の紺色の長い髪を掻き分ける。そのまま誠は仕方がないというように立ち上がろうとした。そしてすぐに先ほどのうごめく芋虫を頬張る嵯峨達を思い出して口を押さえた。
「ああ、誠ちゃんも見たいんじゃないの?そのバイザーで吉田さんのカメラと同じ視線でストーリーが見えるはずよ」
気が進まないものの誠は嬉しそうでありながら押し付けがましいアイシャの言葉にしぶしぶバイザーを顔につける。
そこには食事を取るカウラ達が映し出されていた。カウラも平然と食卓に並ぶ芋虫を食べている。
『マジ?あれ本当に旨いの?』
そのおいしそうに芋虫を頬張る姿に背筋が寒くなる誠。
「じゃあ行って来るね!」
普段の食事の時と変わらず一番多い量を真っ先に食べ終えたシャムが椅子にかけてあった赤いランドセルを背負って走り出す。
そのまま誠はカメラを移動させてシャムを映す画面を見続けた。
『私の名は南條シャム。遼東学園初等部5年生。どこにでもいる普通の小学生だったんだ』
シャムの声で流れるモノローグ。いつもの実業団野球でも屈指の走塁で知られる陸上選手のようなスマートな走り方ではなく、あきらかにアニメヒロインのような乙女チックな走り方をするシャム。誠は笑いをこらえながら走っているシャムを映し出す画面を見つめていた。
「おはよう!」
バス停のようなところでシャムを待つ小学生達。見たことが無い顔なのでおそらくは吉田の作った設定なのだろう。そこで誠は周りの景色を確認した。どう見ても豊川市の郊外のような風景。住宅と田んぼが交じり合う風景は見慣れたものでその細かな背景へのこだわりに吉田のやる気を強く感じる。
『はい、カット!』
アイシャの声で画面が消える。バイザーを外す誠の前で起き上がるシャム達。
「誠ちゃん、なんで食べないの?あれおいしいんだよ!」
開口一番そう言って拗ねるシャム。だが、誠はただ愛想笑いを浮かべるだけだった。
「神前の兄貴は食わず嫌いなんすよ。まあ母さんもそうだけど見た目で食べ物を判断すると損ですよねー」
そう言って芋虫を食べるポーズをする小夏。その手つきに先ほどの芋虫の姿を重ねて誠は胃の中がぐるぐると混ぜられるような感覚がして口に手を回した。
「あのさあ、俺もう良いかな?」
「ああ、お疲れ様です。しばらく出番はなさそうですから」
アイシャにそう言われて嵯峨はカプセルから立ち上がる。
「レンジャー資格は取っといた方が後々楽だぞ」
嵯峨はそのまま誠の肩を叩くと部屋を出て行った。
「しばらくはシャムちゃんだけのシーンなんだけど……」
「僕はちょっと……気分を変えたいんで」
誠は自分の顔が青ざめていることを自覚しながらアイシャに声をかける。
「そんなに嫌な顔しないでよ。良いわ。これからランちゃんのシーンを取るから呼んできてよ」
「おい、上官にちゃん付けは無いんじゃないの?」
吉田はずっとバイザーをつけたまま首の辺りに何本ものコードをつないだ状態で口だけがにやけたように笑っている。
「はい、それじゃあ呼んで来ます」
誠はそう言ってよろよろとカプセルだらけの部屋を出た。
アイシャに言われるままに倉庫を飛び出すとそのまま駆け足で法術特捜の分室や冷蔵庫と呼ばれるコンピュータルームを通り過ぎて実働部隊の部屋に戻る。そのあわただしい様子にランや楓はものめずらしそうな顔をしていた。
「クバルカ中佐!出番ですよ」
誠は机に向かって事務仕事をしているランに声をかけた。
「面倒くせーな。ったく……」
そう言いながら椅子から降りるラン。彼女の幼児のような体型では当然足が届かず、ぴょいと飛び降りるように席を立つ。
「なんだ?神前。文句でもあるのかよ」
ランが不思議そうに誠をにらむ。実際何度見てもそんな態度のランのかわいさに抱きしめたくなるのは仕方の無いことで両手がふるふると震えた。そんな誠の様子を見て噴出しそうになる渡辺の口を楓が押さえている。その様がこっけいに見えたらしく噴出したアンをさらにランがにらみつける。
「そう言うわけでは無いんですけど……」
口を濁す誠を慣れているとでも言うように右手を振りながら扉に向かうラン。ドアを閉める直前でじっと大きめに見える目で部屋をくまなく眺めた後戸を閉めて姿を消した。
「神前先輩、どうでした撮影は」
自分の椅子に腰掛ける誠に手にコーヒーを持ったアンが擦り寄る。
「ああ、俺が出る幕も無かったよ」
「おう、神前。アンに対するときは俺でアタシ等には僕か。微妙な言い回し……もしかして……」
それまで呆然と目の前のモニターを眺めているように見えた要がにやけながら二人を見つめる。そこにアイシャのような腐った妄想が広がっているのがわかってさすがの誠も動揺した。
「何を言うんですか!要さん」
タレ目を見開いている要に、誠は思わずそう叫んでいた。
「そうですよね。僕は……」
いじけるアンの後ろから鋭く光る楓と渡辺の視線が誠に突き刺さる。
あえて要と楓、そして渡辺にかかわるのを避けるように誠は端末を起動させる。誠はとりあえず先日砲術特捜からの依頼を受けた仕事の続きをすることにした。法術との関係が疑われる事故や犯罪のプロファイリング。写っているのは不審火の現場。これ以外にも三件あった。
法術特捜の主席捜査官の嵯峨茜の誠達へ出されたこうした宿題は分量的にはたいしたものでは無かったが、その意味するところは実戦を経験してきた誠にも深刻であることが理解できた。無許可の法術使用、特に炎熱系のスキルを使用したと思われる事件の資料。無残に焦げ付いた発火した人々の遺体ははじめは誠には目を向けることもできないほど無残なものだった。
そんな事件のファイルを見ながら鑑識のデータを拾い報告書の作成を始める誠。だが、すでに提出を終えている要は暇そうに部屋を見回して誰かに絡もうとしていた。
「お姉さま、コーヒーでも飲まれますか?」
誠の隣の席で暇そうにしている要に楓が声をかける。
「別にいらねえよ……、神前。そこの資料は同盟司法局のデータよりも厚生局の資料を見てから書いたほうが正確になるぞ」
要の言葉に誠はそのまま厚生局の法術事故の資料のフォルダーを開いた。
「ありがとうございます……ああ、あそこは法術犯罪のケースのまとめ方がうまいですね。参考になります」
そう言いながら資料に目を通す誠。そんな彼の横から明らかに敵意をむき出しにした楓の視線が突き刺さる。
「ったく暇でしょうがねえな。こういう時に限って司法警察の連中の下請け仕事も無いと来てる」
退屈そうにくるくると椅子を回転させる要。
「第四小隊はM10の新動作プログラムの試験に出たっきり……うらやましいですよね」
楓がしみじみと語る。保安隊実働部隊。アサルト・モジュールでの実力制圧活動を行う部隊は四つの小隊で構成されていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 番外編 作家名:橋本 直