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遼州戦記 保安隊日乗 番外編

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 息を切らしながら答える誠。カウラも大きく頷いている。
「シャムが乗馬が楽しいと言うからな。それに節分の時代行列でまた馬が乗れるお前達に大きな顔をされたくないからな」
 そう言うカウラだが、アイシャと要は信用するそぶりも無く頭を横に振る。
「日野って行ったらホテル街で有名だよなあ。その後テメエが『ラブホテルの中が見たい』とか言い出したりしてるんじゃねえのか?」 
 そう言って特徴のあるタレ目でカウラを見つめる要だが、カウラは要の言いたいことがわからないというように首をひねっていた。
「まあいいわよ。それよりあれはなあに?」 
 アイシャはそう言うとまっすぐハンガーへと続く長い廊下の途中にある巨大な茶色い塊を指差した。時々ひょこひょこと動きながらゆっくりと実働部隊の詰め所に向かっている巨大な猛獣。
「アイシャ。現実を認めろ。あれはグレゴリウス13世だ」 
 要がアイシャの肩に手を置いて慰める。グレゴリウス13世と言うすさまじい名前を持つコンロンオオヒグマの子供がこの保安隊に住み着くようになってからもう二ヶ月が経っていた。
 シャムの遼南内戦の時の相棒であるコンロンオオヒグマの熊太郎と言う雌熊は、遼南人民軍のマスコットとして人民英雄章を受けた名熊である。その息子のこの熊グレゴリウス13世は、シャムが自然に帰った熊太郎から未熟で野生では生きていけないという熊太郎の判断で預けられた小熊だった。小熊と言ってもコンロンオオヒグマは地球の熊の比ではなく大きいもので10メートルを超えるものもいると言う熊である。グレゴリウス13世もまた、生まれて2歳くらいと言う話だがすでに体長は3メートルを軽く超えていた。
「でも誰だよ。あれにグレゴリウス13世なんていかつい名前をつけたのは……」 
 そう言って笑う要の頭が軽く小突かれた。
「んだよ!」 
「何?俺のネーミングセンスに文句があるの?」 
 要が振り向いたところにいたのは嵯峨だった。グレゴリウス13世の母の熊太郎と言うネーミングも、オスかメスかを確かめないで嵯峨がつけたのは有名な話だった。だが強気な要は不機嫌そうな様子の嵯峨を見てもひるむどころか逆に皮肉めいた笑みを浮かべて睨み返した。
「いや、叔父貴を見てると茜や楓が普通の名前でよかったなあと思うけど……エリーゼさんがつけたのか?」 
「ああ、そうだ……俺のセンスについちゃあ自信がないからな。何とでも言えよ」 
 死んだ妻の名前を告げられて口をへの字に曲げた嵯峨はそう言うとそのまま隊長室に消えていく。そのドアの音を聞いてグレゴリウス13世とその継母であるシャムが誠達の存在に気がついたと言うように駆け足で近づいてきた。
「みんな!元気してた!」 
 さっき分かれたばかりだと言うのに元気にアイシャとハイタッチをするシャム。なぜか猫のような長い尻尾を制服のタイトスカートからはやしているわけだが、いつものことなので誰一人突っ込まない。
「元気って……さっき別れたばかりだろうが!」 
 そう言ってそのままシャムの頭を抱えようとした要にグレゴリウス13世が体当たりをかました。
 要の130kg以上ある軍用の義体も相手が巨大な羆(ひぐま)となればひとたまりも無く、顔面から保安隊に間借りしている遼州同盟機構司法局法術特捜隊の壁に激突する。
「なにをしていらっしゃるの!?」 
 そう言いながら顔を出したのは保安隊隊長嵯峨惟基の娘であり、法術特捜主席捜査官の嵯峨茜警視正だった。
「ああ、アンケートを配りに来たんだけど」 
 そう言って倒れている要から二枚のアンケート用紙を奪い取って渡すアイシャ。それを受け取った茜はそのまま倒れこんでいる要を無視して要がぶつかった壁を丹念に点検した。
「それにしてもこの二枚の紙を渡すために壁にひびを入れるとは……経済観念と言うものが無いのかしらね、要さんには」 
 そう言って口に手を添えて笑う茜。その独特のポーズに誠の目が集中する。だが、すぐにいぶかしむような茜の目が突き刺さり誠は頭を掻いた。
「何ですの?神前曹長。私の顔に何かついていて?」 
「いやあ、口にそう言う風に手を添えて笑うお嬢様をはじめて見たもので……」 
 その一言に凍りつく茜。
「ああ、そうね。私もはじめて見たわ……要!いい加減に起きなさいよ!」 
 そう言って転がっている要を蹴るアイシャ。
「……っテメエ等!」 
 要がすばやくアイシャの足を取ろうとするが、すばやくアイシャはその手をかわす。
「じゃあそこの壁の修理に関する書類は実働部隊で作ってシン大尉に出しておいてくださいませね」 
 そう言って扉を閉める茜。
「ああ、どうすんのよ。これ」 
 そう言って壁に入ったひびを撫でてみせるアイシャ。
「大丈夫ですか?」 
 誠はようやく立ち上がった要に手を寄せる。だが、元々格闘戦を前提に製造された体の持ち主である要にダメージがあるはずも無かった。要のにらみつけた先では、継母であるシャムを守って見せたと得意げに彼女に甘えた声ですり寄るだすグレゴリウス13世がいる。
「オメエ等……!」 
 そう言ってシャム達に襲い掛かろうとする要。今度は不意を打てないと踏んだグレゴリウス13世とシャムはそのまま廊下を駆け抜け、実働部隊の詰め所に飛び込んだ。彼女達を追って要が部屋に飛び込む。
 呆然とその有様を見つめていた誠とアイシャとカウラの耳にすぐさま二代目実働部隊隊長に就任予定のクバルカ・ラン中佐の怒鳴り声が響いてきた。
「神前!……来い!」 
 ランの怒鳴り声にカウラも責任を感じたように誠を呼びつける。誠も走り出す彼女にしたがって実働部隊の詰め所に飛び込んだ。そして目の前にある黒い塊を仁王立ちしている小さなランが睨みつけている様が二人の目に飛び込んできた。
「オメー等!馬鹿だろ!ここは幼稚園でも遊園地でもねーんだってのがわかんねーのか?追いかけっこが好きなら東都警察の警邏隊に行け!すぐ転属願いの書類を作れ!作り方教えてやるから!」 
 グレゴリウス13世の首輪をマウントポジションで締め上げている要、それを振りほどこうと要の背中にしがみついているシャムの二人がランを悲しげな瞳で見つめる。元々睨んでいるような目が特徴のランが明らかに怒気を放つ気配を撒き散らしながら怒鳴りつける様を見ると彼女の見た目が年端も行かない少女であっても圧倒されるような迫力があった。
「なんじゃ?ワレ等もおったんかい」 
 その様子を眺めているだけの、明石清海(あかしきよみ)中佐が大判焼きを頬張っている。彼はまもなく部外者になると言うこともあって気楽そうにニヤニヤと笑っている。
「クバルカ中佐。こいつ等に学習能力が無いのはわかってることじゃないですか?」 
 そう言いながらこれも保安隊のあるこの豊川八幡宮前のちょっと知られた大判焼きの店『松や』の袋を抱えながら言ったのは吉田だった。傍観を決め込む隊員達の姿を見て立ち上がる姿もあった。
「要お姉さま!やめた方が良いですよ」 
 そう言いながらこちらも大判焼きを飲み込んだのは嵯峨楓少佐だった。あまりのランの剣幕に口をつぐんで楓の袖を引いているのは楓の部下の渡辺かなめ大尉。
「あーあ。何やってんの」