遼州戦記 墓守の少女
もうドアの外で待つ人が誰なのかクリスにも想像がついた。
「あっ、あの」
少佐の階級章をつけたキーラがそこに立っていた。白い髪は以前より長く、肩まで届いてぬるい廊下の風になびいていた。
「久しぶりだね」
そう言ったクリスだが、振り向けばハワードがなにやらシャムにささやいている。遼南内戦の取材を終えたあの日から、クリスは毎日キーラにメールを送るのが日課になっていた。彼女のメールの言葉には不条理な暴力が支配する戦場の掟が書かれていた。死んだ仲間、投降する敵兵、そして不足する物資。そしてクリスは遼州の政治家や活動家を訪ねる取材を続けながら彼女からのメールを待っていた。
今、そのキーラが目の前にいる。
「まあ、入ってくれ。あまり良い部屋とは言えないがね」
そう言ったクリス。うつむき加減のキーラがそのまま部屋に入る。それだけで楽しいとでも言うようにシャムは笑顔を浮かべながらハワードに何かをささやいている。
「そう言えばシャムちゃんも久しぶりね」
会いたいと言う思いが実現したと言うのにクリスもキーラも言葉を切り出せないでいた。
「ああ、そうだ。俺達は吉田少佐に呼ばれてるんだよな。シャム、お前も来いよ」
「なんで?」
ハワードに腕を引っ張られながらシャムが抵抗する。だが、小さなシャムはそのままハワードにひきづられて行く。
ドアが閉まると同時に、クリスはキーラを抱きしめていた。
「返しに来たの……これ」
そう言うとキーラは胸元にクリスから預かったロザリオを見せた。
「ありがとう。実はお願いがあるんだ」
クリスはゆっくりとキーラを離すと静かにそう口にした。髪を掻きあげながらクリスを見つめるキーラが軽く頷く。
「それをもらって欲しいんだ」
その言葉に一瞬キーラが戸惑った表情を浮かべる。
「君も仕事があるのは分かっているよ。しばらくまだ遼南は荒れる。いろいろとすることもあるだろうし、君の手がこの国に必要なのはよくわかる。だから約束の……結婚の約束のつもりにそれを預かっていてもらいたいんだ」
そう言い切ったクリスの瞳をキーラの赤い瞳は見つめていた。
「本当にいいの?私で」
キーラの言葉に頷くクリス。そして二人の顔は自然と近くなった。強く、抱きしめたキーラの体の温度を感じながらクリスはキーラの唇を味わった。一瞬、だがそれは永遠にも思える時間。クリスとキーラの心は一つだった。
そう、それは一瞬だった。
「おいっす!……あっ失礼しましたねえ……」
「嵯峨……陛下!」
ドアから堂々と入ってきて、二人を見つめて帰ろうとするのは着流し姿の嵯峨の姿だった。
「なんで……ここに?」
クリスは一瞬キーラと見つめあった後、静かに彼女を手放した。
「おい、吉田!聞いてねえぞ!俺が野暮天になっちまったじゃねえか!」
隣の窓に向かって怒鳴る嵯峨。そしてそこからはなぜか壁を登ってきた吉田が顔を覗かせる。
「いやねえ、こう言うの見るとつい邪魔したくなるのが人情でしょ?」
吉田は悪びれることも泣く、部屋の窓の鍵を外から綺麗に開けて中に入ってきた。
「おい、そりゃどこの人情って。お前等もなあ、先にこう言う雰囲気なら一言なあ……」
嵯峨の後ろからは出かけたはずのハワードとシャム。それに遼北に帰ったはずの明華、今は東和でフリーライターをしている楠木、そしてニヤニヤと下品な笑顔を浮かべるレムがいた。
「君達もしかして……」
そう言うクリスを後目に吉田はそのままベッドの横の植木鉢に手を突っ込むと小さなマイクを発見する。
「誰だ?こんなの仕込んだの……」
吉田の問いに手を上げるレム。
「なんだかなあ……」
天を見上げるクリス、隣には笑うキーラの幸せそうな顔があった。
翌日、嵯峨惟基はクーデターに関する詳細を発表。同時に、東和・遼北・西モスレム・ゲルパルト・大麗の大使を臨時首脳府に招聘、政権の正当性を伝えた。
各大使はそろってこれに支持の意向を示した。
これによりムジャンタ王朝は後遼王朝として成立することとなった。
了
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



