遼州戦記 墓守の少女
楠木の言葉にクリスは金縛りにあったように感じた。
「どう言う意味ですか?」
興味深そうにクリスの顔を覗き込んでくるハワードの顔を見ながらクリスは額ににじみ出る汗を拭った。
「言ったとおりの意味ですよ。あなたの記事はこれまでなんども読ませていただきましたよ。だがその流れ、その意図するところ、言おうとしている思想みたいなものが今回のうちの取材とはどうしても繋がらなかった。それが気になって、俺なりにあなたを見ていたんですよ」
タバコの煙がゆっくりと楠木の口から空へ上がる。クリスは逃げ道が無いことを悟った。
「確かにそう思われても仕方ないかも知れませんね。どちらかと言えば特だねを物にすることがメインの仕事にはもう飽きていましたから。東海の花山院軍の虐殺の取材を始めた頃は、地球人以外は悪である。そう言う記事を書いて喜んでいた、だけど何かが違うと思い始めた……」
そこまで言ったところでハワードの視線がきつくなっているのを見つけた。クリスはそれでも言葉を続けた。
「悪というものが存在して、それを公衆の面前に暴き立てるのがジャーナリストの務めだと思っていました。どこに行ってもいかに敵が残忍な作戦を展開していて自分達がそれを正す正義の使者だと本気で信じている馬鹿に出会う。それが十人も出会えばあきらめのようなものが生まれてくる」
そんなクリスの言葉をタバコを口にくわえながら楠木は表情も変えずに聞いていた。その隣のシャムと熊太郎もじっと言葉をつむぐクリスを眺めていた。
「それは違うよ!」
突然のシャムの言葉にクリスは戸惑った。
「正義とか悪とか、アタシにはよくわからないけど守りたいものがあるから戦う。アタシが知っている戦いはそれだけ。もし、それが無いのに戦うなら、それが悪なんだよ」
熊太郎を撫でながら言ったシャムの言葉。楠木はそれを目をつぶって聞くと口からタバコの煙を吐いた。
「結構いいこと言うじゃないか、シャム。ただ大人になるといろいろ事情があるんだよ。まあ、ホプキンスさんは結論を出したということで。俺達はこの戦いに結論をつけねえとな」
そう言うと楠木は手を上げた。彼の視線の先で三派の基地へと帰還しようとするシンの指揮下のアサルト・モジュールが目に入った。
「あいつ等も自分のいるべき場所に戻るわけか」
再びタバコをふかす楠木。クリスはシャムを眺めていた。
「ホプキンスさん!」
そう言って司令部の入り口から飛び出してきたのはキーラだった。かつて彼女とであったときに感じた違和感はそこには無かった。神に逆らう所業と言う既成概念が消えていたことにクリスは少しばかり驚いていた。
「どうしました?」
クリスのぼんやりとした顔に、キーラは眉間にしわを刻んだ。
「どうしたのじゃないですよ!聞きましたよ、明日出られるそうですね」
白いつなぎに白い肌、そして短い白い髪がたなびいている。
「ああ、ハワードさんちょっと話があるんで……」
「そうですね。シャムちゃん!ちょっと熊太郎と一緒に写真を撮らせてもらってもいいかな?」
楠木とハワードは気を利かせて嬉しそうに二人を見つめるシャムと熊太郎をハンガーの方へと誘導する。
「クリスさん……」
言葉にならない言葉を、どうにか口にしようとするキーラ。クリスも彼女のそんな様子を見て声を出せないでいた。
「たぶん、これから二式の整備で手が離せなくなるんで……」
そう言いながらくるりと後ろを向くキーラ。クリスは彼女の肩に手を伸ばそうとするが、その手がキーラの肩にたどり着くことはない。
「そうですよね。帰還したばかりだけど西部での戦闘は続いている以上、常に稼動状態でないとこの基地を押さえた意味がないですよね」
クリスの言葉に、キーラは何か覚悟を決めたように振り向く。
「ジャコビンさん!」
名前を呼ぶクリスの胸にキーラは飛び込んでいた。
「何も言わないでいいですよ。何も言わないで」
キーラはクリスの胸の中でそう言うと、ただじっとクリスの体温を感じていた。
「帰ってくるん……いえ、また来てくれますよね」
ゆっくりと体を離していくキーラを離したくない。クリスはそう感じていた。初めてであったときからお互いに気になる存在だった。それなりに女性との出会いもあったクリスだが、キーラとのそれは明らかに突然で強いものだったのを思い出す。
「いえ、又帰ってきますよ」
そう言って笑う自分の口元が不器用に感じたクリスだが、キーラはしっかりとその思いを受け止めてくれていた。次々と通り過ぎる北兼の兵士達も彼らに気をきかせてかなり遠巻きに歩いてくれている。
「それじゃあ、これを……」
クリスはそう言うと自分の胸にかけられていたロザリオをキーラに手渡した。
「これはお袋の形見でね」
クリスの手の中できらめく銀色のロザリオ。キーラはそれを見つめている。思わず天を仰いでいた自分に驚くクリス。そんな純情など残っていないと思っていたのに、キーラの前では二十年前の自分に戻っていることに気付いた。
「そんな大切なものを私がもらって……」
「大切だから持っていてもらいたいんだよ。そして必ず返してくれよ」
クリスの言葉に、キーラはしっかりとロザリオを握って頷いた。
「わかりました……でもクリスさんに返しても良いんですか?本当に受け取ってくれますか?」
いたずらっぽい笑みを浮かべるキーラに頭を掻くクリス。
「大丈夫さ、きっちり取り返しにくるさ」
そう言ってキーラがロザリオを握り締めている両手をその上から握り締めるクリス。
「キーラ!早く来てよ!とりあえず機体状況のチェックをするわよ!」
小さな上司、許明華が手を振っている。お互い明華を見つめた後、静かに笑いあったクリスとキーラ。
「ったく!チビが野暮なことするなよ!」
「楠木大尉!そんなこと言ってもあんな二人見てたら邪魔したくなるじゃないですか」
無粋な明華をしかりつける楠木。ハワードは気がついたようにクリスとキーラにシャッターを切った。
「ハワード!あんまりつまらないことするなよ!」
「何言ってるんだ。俺とお前の仲じゃないか!」
そう言ってシャッターを切る続けるハワード。さらに司令部から出てきたセニア達パイロットや伊藤までもが生暖かい視線を二人に送ってくる。
「じゃあ、ホプキンスさん!」
交錯する視線に耐えられなくなったキーラがそのまま明華の方に走り出した。
「必ず返してくれよ!」
そう叫ぶクリスに向けて、キーラは右手に持ったロザリオを振って見せた。
従軍記者の日記 35
「なにぼんやり外なんて見て。センチメンタルになる年でもないだろ?」
一枚、クリスの顔写真を撮るとハワードはそう言ってクリスを茶化した。
「俺もそうは思うんだがね。こうして時代が変わって……」
突然呼び鈴が鳴った。
「アタシが出ようか?」
そう言ったシャムをハワードが押しとどめた。ニヤニヤと笑うハワードの顔に一撃見舞いたい気分になりながらクリスは立ち上がった。そしてそのままドアに手をかけて振り向く。ハワードに釣られてシャムもなにやらニヤニヤと笑っている。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直



