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遼州戦記 墓守の少女

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 従軍記者の日記 26


 北兼台地南部基地。アサルト・モジュールの格納庫の前では慌しげに出撃待機状態に移行するべく、整備員達が走り回っていた。それを隊長室から眺める吉田の口元には笑みが浮かんでいた。いつものようにガムを噛み、時折それを膨らまして見せながら副官の報告を聞いていた。しかし、それはどれも吉田にとっては既知の話ばかりだった。
 吉田の通信デバイスの塊である脳は常に各軍の諜報機関のデータベースに直結している。西部戦線で共和軍と多国籍軍が建て直しを図るべく東モスレムの北部の山岳基地に集結していることも、それの阻止のため東モスレム三派軍の主力が北上していることも、遼北で人民党の教条派の失脚が相次ぎ現実路線の周首相派が代議員大会を開く為の準備を水面下での調整が進んでいることも事実として彼は知っていた。
「嵯峨は出てこない。間違いないんだな」 
 ライトで照らされた基地を眺めながら吉田は確かめるようにそうつぶやいた。
「まず間違いありません。それと共和政府軍は掴んでいませんが、現在生存が確認されている元胡州陸軍遼南公安憲兵隊出身者の多くが遼南に入国しているのは確かですので……」 
 副官の言葉が途切れたのは吉田が椅子にどっかりと腰を下ろしたからだった。吉田の特注品の戦闘用義体の重さでしっかりとしたつくりの椅子がきしむ。
「嵯峨の抜刀隊か。エスコバルの旦那もついてないな」 
 そう言いながら副官を見上げる吉田の頬に笑みが浮かぶ。嵯峨の抜刀隊といえば先の大戦では量何の利権に対する胡州の切り札とも呼ばれた部隊だった。要人略取作戦に特化した非正規戦のプロフェッショナルとして反政府ゲリラのキャンプで作戦を指導する地球圏の特殊部隊と暗闘を繰り広げた猛者達である。エスコバルのバレンシア機関等はその練度や士気の高さに於いて比べるべくも無いことくらいは当然のように吉田も知っていた。そしてその多くが非人道的な作戦遂行の責を問われて嵯峨の所領で隠遁生活を送っている。だが一度嵯峨の声がかかれば吉田でも彼等を止めることはできないことも知っていた。
「しかし、よろしいのですか?ほぼ確実に賀谷市に潜入していますよ、あの男は」 
 吉田の微笑みの意味を理解しかねた副官の言葉に、さらに狂気を秘めたサイボーグの笑みは深いものになった。
「それは俺のペイの中には入っていないからな。あくまで南部基地の管轄領域の死守が今回の仕事のすべてだ。それ以上働いても損するだけだぜ」 
 副官は吉田にそう言われて黙り込む。再び吉田は立ち上がると基地のハンガーを眺めた。灰色の機体がライトに照らされて白く輝いて見える。遼南共和国がアメリカの資金と東和共和国の技術、そして帝政時代の『ナイト』シリーズの蓄積を生かして作られた次世代型アサルト・モジュール『ホーンシリーズ』のバリエーションとして作られた吉田専用の高品位アサルト・モジュールの姿がそこに有った。
「こっちはわざわざ『キュマイラ』まで持ち出しているんだ。この基地を一ヶ月間死守したらそれで契約は終了。共和政府のどこかの部隊に引き継いでとっとと東和の本社に帰ればこの仕事は終わりだ」 
 ライトに照らされたアサルト・モジュール『キュマイラ』の頭部センサーから伸びる二本の角が見える。
「嵯峨の『カネミツ』が動かないなら勝算はこちらにあるんだ。エスコバルの旦那の首とこの基地。二兎を追った茶坊主にはそれにふさわしい死に場所を用意してやるのが礼儀と言うものだろ?」 
 そう言って副官の方を振り向く吉田。その残忍な笑みに彼は恐怖を覚えていた。


 従軍記者の日記 27


 爆発音が響いたのはまだ嵯峨達がトラックの荷台で座っている時だった。すでに銃声は町中のいたるところで発せられていた。混乱する共和軍の警戒網を通り過ぎるのはあまりにも容易く、刀の柄を握る焼酎の染みた嵯峨の手に力が入ることは無かった。
 そのまま警備隊を蹴散らして市役所の庁舎に繋がる市議会議場の車止めに停まったトラック。市庁舎から飛び出してきた共和軍の兵士達がすぐさまこれを止めようと駆け寄るが、鈍いサウンドサプレッサーつきのサブマシンガンの発射音が彼らの言葉を消し去った。荷台から黒尽くめの嵯峨の直参の隊員が降り立っていく。嵯峨もまた刀に手を伸ばしながらその後ろに続く。
 議場の入り口に立つ警備兵はすでに胸部に二三発の直撃弾を食らって虫の息だった。彼らの守る議場入り口の鍵をポイントマンの小柄な男の手のショットガンが破壊する。ようやく異変に気づいた守備部隊が彼らのトラックを包囲した時には嵯峨の率いる突入部隊は市役所庁舎に向かう渡り廊下への侵入を開始していた。
 目の前に現れた人物にはすべて隊員の7.62ミリ弾が叩き込まれた。そして隊員は一つ一つの部屋をクリアリングしながら進む。人影を見つけるたびに、手榴弾が投げ込まれ、一斉掃射が浴びせられる。
 嵯峨は的確にターゲットに向かう部下達の姿を満足げに眺めながら、タバコに火を点した。部隊は階段に突き当たると、予定された脱出路確保のために下に向かう部隊とエスコバルの暗殺のために上に上がる部隊に別れて進む。階段の上からようやく掃射が始まり嵯峨の部下達は黙って目だし帽から覘く瞳で嵯峨を見上げた。
「田舎の特殊部隊が動き出したみてえだな」 
 嵯峨は相手がエスコバル暗殺部隊だと確信すると先頭に立って、ようやく愛刀『長船兼光』を抜いた。エスコバルご自慢のバレンシア機関の兵士も初動が遅れたとは言え的確な反撃を始めているのを嵯峨は感じていた。上にへの階段を登る嵯峨の耳元にも、激しい銃撃戦の音が響いてくる。四階の制圧のために三名の部隊員を残すと、そのまま嵯峨は四人の下士官を率いて最上階の五階へと駆け上がった。
 何も無い空間にアサルトライフルのマズルフラッシュが浮かび、嵯峨の手前の壁に弾痕が記される。
「おい、光学迷彩かよ。やっぱり税金で装備そろえている連中はやることが違うねえ」 
 タバコをくゆらせながら嵯峨はそう漏らした。すぐさま彼はハンドサインを送る。最後尾につけていたグレネードランチャー射撃手が、ちかちかと光るマズルフラッシュの中央に対人榴弾を打ち込んだ。
 爆風が廊下を包み、煙が廊下に立ち込めた。すぐにその中に内臓を撒き散らして呻く敵兵が転がっているのが目に入った。走り出したサウンドサプレッサー付きの拳銃を持った嵯峨の突入部隊のポイントマンがもだえ苦しむ敵兵の頭にとどめの銃弾を撃ち込む。
「お前等はここで待て。後は俺の仕事だ」 
 嵯峨はそう言うと市長室に繋がる狭い廊下を歩き始めた。
 ゆっくりと特殊作戦時に愛用の地下足袋のおかげで音も立てずに歩いていく嵯峨。市長室の扉が開き、飛び出してくるバレンシア機関の兵士だが、嵯峨の手に握られた刀はその胴体にぶち当たり、そのまま防弾チョッキごと先頭の兵士を二つに裂いていた。もう一人の男が銃口を嵯峨に向けようとするが、男を引き裂いた嵯峨の刀の切っ先がまるで当然とでも言うように男の喉笛に突き刺さり、大量の返り血を嵯峨に浴びせて息絶える。
「もう終わりですかね」 
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直