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遼州戦記 墓守の少女

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 子供に泣かれるのは気分が悪い。従軍記者として累々と積み重なる死体の山を何度となく見てきたクリスだが、そこに響く数知れない子供の泣き声に慣れる事はできなかった。そんなことを思ったクリスは、同じような顔をしていた男の顔を思い出していた。これからこの国を治めるだろうある男の顔。その男との出会いがなければクリスはここにいることは無かったろう。
 その男は北兼軍閥の首魁と呼ばれた男だった。嵯峨惟基中佐。そしてムジャンタ・ラスコーと言う名前で次期遼南帝国の皇帝に即位することが有力視されている食えない男だった。


 従軍記者の日記 2


 遼南共和国の北西の北兼州への人民軍の補給路である街道を走り続ける車があった。その外には視界の果てまで続く茶色い岩山だけが見えた。この山々は北へ向かうほど険しさを増し、氷河に覆われた山頂を抜ければこの星、遼州最大の大陸である崑崙大陸の北部を占める遼北人民共和国へと続く。中堅の戦場記者としてようやく自分の位置がつかめてきたジャーナリストクリストファー・ホプキンスは照りつける高地の紫外線を多く含んだ日差しに閉口しながら、疾走する車の助手席で雑誌を読み続けていた。
「まったく、遼州では紙媒体のメディアが主流を占めていると言うのはどういうことなんだろうな。この禿山だ。このままでは地球の二の舞を舞うことになるぞ」 
 クリスはそう言いながら後部座席の大男に叫んで見せた。
「そんなことは無いだろう。この星の人口は地球の五分の一だ。それに技術レベルは地球のそれとはあまり変わらない。紙をはじめとする製品のリサイクル技術は見るべきものがあるよ。むしろこういう紙媒体とかにこだわると言うポリシーは俺は好きだぜ」 
 窓を開け外の空気を吸いながら、相棒である大男ハワード・バスは黒い筋肉質の右腕で体を支えながら、時折見える遊牧民達を写真に収めていた。
「あまり刺激しないでくださいよ。山岳民族との共存は人民政府の成立宣言の中にも明記されている重大事項ですから」 
 クリスの右隣の運転席。そこには岩山の色によく似た遼南人民軍の大尉の制服を着た伊藤隼(いとうはやと)が運転を続けていた。その腕の鎌にハンマーのワッペンが縫い付けられている。それは彼が人民党の政治将校であることを示していた。
 道は千尋の谷に沿って延々と続いている。
「しかし、誰もが必ず銃を持っているな。危険では無いのですか?」 
 クリスの質問に伊藤は笑って答える。
「彼らの銃は我々を撃つためのものではありませんよ。残念ながら我々には彼らを守るだけの戦力が無いですからね。その為に自衛用の武器として北兼軍団が支給しているものです。まあ、野犬達から家畜を守るために発砲するのに使った弾丸の数まで申告してもらっていますから問題はありません」 
 そう言いながら決して路面から目を離そうとしない伊藤。遼南人民共和国の首都とされる北天州最大の都市北都を出て二日目になる。途中、北兼山脈に入ったばかりの地点で、三ヶ月前の北天包囲戦に敗れ孤立した共和政府軍の残党との戦闘がやむまで足止めを食らったものの、クリス達の旅は非常に順調なものと言えた。
「このトンネルを抜ければかなり景色が変わりますよ」 
 伊藤はそう言うと巨大なトンネルの中に車を進める。点々とナトリウム灯の切れているところはあるものの、比較的手入れが行き届いているトンネルに入る。オレンジ色に染まった自分の手を見ながら、クリスはトンネルの内部を観察した。
「このトンネルは北兼軍閥の生命線ですから、常に点検作業と補修は行き届いています。まあ、三ヶ月前の北天攻防戦以降は補修スタッフも軍への協力が求められているんでこれからの管理については頭が痛いですが」 
 相変わらず真正面から視線を外そうとしない伊藤の言葉に、助手席のクリスは苦笑いを浮かべた。
「しかし、なぜ我々を指名で呼んだのですか?私の経歴は調べたと言っていましたが、当然その中には私の記事も含まれていると思うんだけど」 
 その言葉にようやく伊藤は一瞬だけクリスの顔を見た。そして再び視線を正面に据えなおした。
「まず言葉の問題ですね。あなたの日本語は非常にお上手だ。遼南では日本語が話せれば一部の例外的地域を除いて事は済みます。我々には通訳付きの環境が必要な記者を必要としていない。それに記事についてなら隊長が言うには『信念の無い記者は百害あって一理も無い』ということを言われましてね。それが理由です」 
 そう言うと、伊藤は車を左の車線に移した。コンテナを満載したトレーラーがその脇をすれ違っていく。クリスはそれでも納得できなかった。
 自分では信念が無い記事を書いてきたと思っていた。どれも取材を依頼した軍の広報がすべての記事をチェックしてそれから配信が認められるのは戦場では良くある話だった。それに逆らうつもりはクリスには無かった。捕虜が無慈悲に射殺され、難民が迫撃砲の的になっていることもただ担当士官の言うようにその記事を消し去って通信社にそれっぽい記事を送ってきたのが現状だった。
 クリス達を指名した嵯峨惟基が胡州の大貴族の出身であることを知っているだけに、伊藤の言葉は嫌味にしか聞こえなかった。そして今相手にしているのは遼南人民党党員の政治将校。そんなクリスの視線は悪意に変わった。
「つまり日本語のしゃべれるアメリカ人の戦場ジャーナリストなら誰でも良かったということですね」 
 クリスは皮肉をこめて言ったつもりだった。だが再びクリスに向き直った伊藤はあっさりと頷いた。
「たとえお前さんがタカ派で知られる合衆国上院議員の息子で、前の仕事がベルルカン大陸での海兵隊展開のプロパガンダ記事を書いた記者だろうがどうでも良いということだ」 
 薄暗い車内でカメラのレンズを磨いているハワード。彼の口に思わず笑みが漏れる。
「しかし、伊藤大尉。あなたは人民政府代表ダワイラ・マケイ教授直属で、高校時代からシンパとして活動しているそうじゃないですか。そのあなたがなぜ嵯峨惟基中佐の飼い犬のようなことをやっているのですかね」 
 皮肉には皮肉で返す。挑発的に伊藤を見るクリスの目が鋭くなる。記事で書くことと、取材で得た感想は多くの場合切り離して考えなければやっていけない。それはクリスにとってもはや常識としか思えなくなっていた。家を出て、アルバイトをしながらハーバード大学を卒業した彼がジャーナリストを目指したのは、彼に取材を頼む軍の幹部や政治家達を喜ばせるためでない。はじめのうちはそう思っていた。
 しかし、この世界に身を置いているうちに彼の正義感や真実を求めようとする情熱が、どれほど生きていくという現実の前で無意味かということは彼骨身に染みていた。彼が出かける先に広がっているのは、すでに結論が出尽くした戦場だった。状況を語る人々は怯えるように版で押したような言葉を口にするだけだった。ただそれを脚色し、クライアントの機嫌を損ねず、そして可能な限り大衆を退屈させないような面白い文章に仕上げること。それがクリスの仕事のすべてだった。
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直