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遼州戦記 墓守の少女

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 クリスは昨日、久しぶりに教条派が立てこもった国防省を攻撃する親衛旅団との市街戦を取材に行ったときに親衛旅団の下士官に分けてもらった親衛旅団特製だというアンパンを彼女に手渡した。ただでさえ再会に満面の笑みのシャムがさらにうれしそうに大きく目を見開く。
「これ!大好きなんだ!」 
 彼女はそう言うと、さっそくアンパンにかぶりついた。大きく開いた口が半分ほどのパンを食いちぎった。クリスに向けられる無邪気な視線が彼の心に残った昨日の疲れを拭い去った。
「おいおい!レディーはこんな時はコーヒーが入るのを待つものだぜ!」 
 ハワードは満面に笑みを浮かべながらシャムにそう言った。シャムは再びアンパンに噛み付きながらハワードが差し出したコーヒーのカップを受け取った。
 受け取ったコーヒーをテーブルに置き、そのまま口にくわえたアンパンを手にとって純真そうな笑みを浮かべるシャム。それを見て安心したのか、ハワードは自分のコーヒーを一口飲むと話を切り出した。
「ほぼ市内は親衛旅団と呼応した人民軍部隊が制圧したらしい。ここ央都州や教条派の影響力が強いはずの北天州でも教条派に呼応する動きは無いらしい。遼北の亡命組や東海の花山院軍閥や南都軍閥の動きが無いのが不気味だが……」 
 そんなハワードの言葉に答える代わりにクリスは記事を書いていた端末を切り替えた。
 その画面はここ央都を中心にして展開されている人民軍の状況を図で示していた。多くの部隊に赤い旗のマークがつけられ、残りの部隊には×が記されている。そして下半分には嵯峨のシンパと以前から言われていた軍幹部や政府、人民党の高官の東海・南都両軍閥首脳との会合の予定表が見て取れた。
「吉田少佐からの情報か」 
 ハワードは納得したようにコーヒーをすすりながら身を乗り出す。その間にも赤いしるしの部隊が次々と白旗と×のしるしに変わりつつあった。
「まあ教条派の幹部が央都宮殿で捕らえられて親衛旅団の管理下にある以上、抵抗するだけ無意味だとわかっているんだろうな。それに恐らく根回しもしてあっただろうし……。それに実際勝ち目が無いのは誰にでもわかる。多くの教条派の部隊では兵士が脱走して動くに動けない状況だと言う話だ」 
 そう言うクリスに思わずハワードが頷く。その隣では二つ目のアンパンを口に運んでいるシャムがいた。
「脱走は遼南軍の十八番ってわけか。このまま南都と東海が吉田少佐支持に傾くとなれば、教条派についても得なんか一つもないからな」 
 そう言うとハワードはコーヒーカップを握り締める。同じようにクリスもまたコーヒーを啜った。クリスはいつもブラックのコーヒーを好んだ。豆は遼南南部の州、南都産だった。ヨーロッパ風の炒り具合はかなりきつめで、その苦味が口の中にゆっくり広がる飲み口がクリスの好みだった。
「ああ、遼北が半年前の首脳会見で改革路線を鮮明にして以降は東和や胡州との関係改善を進んでいるからな。教条派の強権政治を支持する馬鹿はどこにもいないよ。事実、さっき東和、大麗、西モスレムの実務者会議で吉田少佐のクーデターの容認で対応を急ぐことが決まったそうだ。地球もほぼ同じ対応を取るだろう。問題の胡州だが……」 
 遼州の外側を回る外惑星とアステロイドベルトなどのコロニー群で構成された貴族制国家『胡州帝国』。政情不安が続いているその国が動きを見せることはない。そうクリスは見ていた。国内での貴族を中心とした官派と庶民の利益拡大を目指す民派の対立はいつ内戦に発展してもおかしくない状況であり、他国に関心を向ける余裕などなかった。一方で遼州星系最大にして地球とも伍する力を持つこの遼南のある崑崙大陸の東に浮かぶ島国東和共和国。この国が今回の吉田俊平少佐率いる親衛旅団のクーデターを事前につかんでいて遼州の衛星の国家大麗や遼南に隣接する西モスレムに水面下での会合を設けていたことはクリスも予想していた。
 7年前、遼州星系と地球の間で戦われた第二次遼州戦争。それがこの遼南にもたらしたのはアメリカ軍の基地と軍事力を背景とした強権的な指導者だった。
 大戦末期に皇帝ムジャンタ・ムスガを追放して全権を手にしたガルシア・ゴンザレス大統領。老獪な政治手腕で地球諸国の支援を取り付けて独裁を敷いた怪物。
 今、目の前に座って、アンパンにかぶりついている少女、シャムがゴンザレス将軍率いる共和軍と戦った『騎士』であることなど、知り合いであるクリス達でもなければ信じない事だろう。
「そう言えば俊平からこれを渡してくれって」 
「俊平?」 
 クリスは不思議に思いながら手紙を手にした。そしてそれが吉田少佐からのものであることがわかってつい噴出した。
「電子戦のプロが手書きの手紙とはずいぶんアナクロじゃないか」 
 そう言ってハワードは笑う。クリスは封筒から一通の手紙を取り出した。それは記者会見場での位置取りの書類だった。A?8。絶好の位置である。それを見たハワードは黙って天井を見上げてにやりと白い歯を見せる。
「ほら、少佐殿からのお祝いだ。仕事はきっちり仕上げてくれよ!」 
 そう言うとクリスはハワードの腹を叩いた。再びにやりと笑ってハワードが大きく目を見開いてシャムを見直した。
「しかし、本当に君は変わらないんだな」 
 ハワードはまじまじと頭の先からつま先までシャムを丁寧に観察する。だがシャムは外の光景が珍しいと言うようにアンパンを急いで口に放り込むとそのまま窓に張り付いた。遼南共和国の西北に位置する高原地帯の北兼州。遼南でも特に開発の遅れた地域に住む彼女にしてみれば300年以上前に地球からの独立を果たしてから常に首都と呼ばれて来た央都の光景が珍しく見えても当然の話だった。 
「でも都会って凄いねえ。ここには電気もあるし、テレビもあるし、いろんなものが売ってるし凄いんだよ!」 
 興奮気味なシャムの言葉にクリスは苦笑いを浮かべる。景観維持のために建物の高さに制限がある関係もあるが、東和で見るような1000メートル級のビルなどどこにも無い田舎町にしか見えない央都ですら彼女にとっては大都会なのだろう。そう思うとクリスは少しばかり複雑な気分になった。
「そうか。確かに君とであった北兼山地の村には自家発電装置しかなかったもんな。それも北兼軍が駐留するまでは放置されていたし」 
 クリスがコーヒーの最後の一口を飲み込んだ。その瞬間にも町の歓声は途切れることがなかった。彼はじっと窓から身を乗り出すシャムの後姿を眺めていた。その目の前で、急にシャムは肩を震わせていた。
「それに、……もう一人じゃないからね」 
 そう言うと急にシャムは顔を伏せた。彼女とであった北兼の山の中のあの廃村、そして一面に広がる墓。クリスもその異様な光景を思い出していた。シャムが一人取り残された朽ちかけた村。シャムも同じ光景を思い出したのだろう、クリスを見つめる目には涙が浮かんでいた。
「泣かなくたって良いじゃないか」 
作品名:遼州戦記 墓守の少女 作家名:橋本 直