遼州戦記 保安隊日乗 5
そう言いつつ、要の完全に骨以外残さずに食べた鳥の腿肉を参考に、軟骨を食いちぎり続けるアイシャ。カウラはそんなアイシャとただ立って笑顔を浮かべているだけの誠を見ながら、満足そうに手に握っている腿に付いた肉を食べていた。
「そう言えばアイシャさん。ケーキとかピザとかはどうしたんですか?」
骨を咥えているアイシャに誠は声をかけた。静かに口から骨を出して、そのままにんまりと笑みを浮かべるアイシャ。
「私に抜かりがあるわけないでしょ?当然、手配済み。もうすぐ配達の人が来る手はずになっているわ」
「じゃあ何で西園寺は……」
カウラは引き戸を開けて出て行った要の後姿を見るように廊下に身を乗り出す。
「さあ?私は知らないわよ。それにしてもこんなにお肉があるなんて……ピザちょっと頼みすぎたかしら?」
そう言うとアイシャは手にした骨を、要がきれいに食べつくした鶏肉の骨の上に並べた。
時は流れるままに 34
結局、ケバブを食べ損ねた誠はその代わりと言ってアイシャに渡されたみかんを手に、居間のコタツに入ってゆったりとテレビを眺めていた。番組はなぜかラグビー。工業系の大学で体育会は軒並み弱小だった誠はラグビーなどまるで縁がない話だが、なぜかアイシャはなぜかその番組を選んでちらちらと試合の流れを見ているようだった。
「もうすぐ来るはずなんだけど……」
アイシャは時計を気にしながら自分でも確保したみかんの皮を剥いている。薫はシンのレシピを片手に鶏肉の仕込みをしている。カウラはその後姿を眺めているようで、台所を居間から覗き込めばそのエメラルドグリーンのポニーテールが動いているのが確認できる。
「みかんおいしいわね」
そう言うと一つ目のみかんの最後の袋を口に放り込むアイシャ。
「そうでしょ?この前、うちの道場に来ている双子の小学生の男の子の親御さんが持ってきてくれたんだけど、本当においしくて……最高でしょ?」
得意げな薫の声が台所から聞こえた。
「宴会をするんだろ?場所とかはどうするんだ?」
台所にいてもすることが無いことに気づいたのか、カウラはようやく腕組みをしながら居間にやってきた。アイシャはコタツの真ん中に置かれたみかんの山から一つを手に取ると、そのままカウラの座る席の前に置いた。
「まだ少し待っててね。そちらにこっちのテーブルと椅子を運んでもらうから。こちらが一段落着いたらお願いするわね」
薫の声。今度は野菜を切るような音が響いてくる。
「こんな話は無粋なのはわかっているんだが……」
おずおずと口を開くカウラ。不思議そうにそれをアイシャが見つめていた。
「突然、何?」
みかんを剥きながら話を始めようとしたカウラに、眉をひそめてめんどくさそうな表情を向けるアイシャ。カウラの生真面目なところがこう言うときにも出てくることに、誠は笑顔で彼女を見つめた。
「例の遠操系の法術師の件はお前にも連絡が無いのか?」
みかんを剥き終えて今度は白い筋を取り始めたカウラ。アイシャは呆れ果てたと言う表情を一瞬浮かべた後、真面目な表情でカウラを見つめた。
「もし、私達に連絡が必要なような事実が出てきているのなら、私がここにいるわけ無いじゃないの。一応佐官なのよ。責任者として呼び出しがかかってもいいような心の準備はいつもしてるわよ」
そう言って剥いていた二つ目のみかんを袋ごとに分け始める。
「そうだよな……」
「なあに?そんなに仕事がしたいわけ?それじゃああんたは一生人造人間のままよ。培養液の中にいるのと今と、変わってないじゃないの」
そう言ったアイシャの表情。誠はその初めて見る悲しげで冷たいアイシャの表情にみかんを剥く手を思わず止めていた。
「今は楽しむこと。これは上官の命令。絶対の至上の命令よ。聞けないならランちゃんに告げ口するからね」
「何を告げ口するんだ?」
そう言ったカウラの口元には笑みが浮かんでいた。
「そりゃあ今度カウラちゃんは誠ちゃんの第二夫人になるんで寿除隊しますから!って」
その言葉に思わず誠は口の中のみかんを吹いた。
「第二婦人って……いつからここは西モスレムになったんだ?」
カウラの顔は笑っている。それを見ながら誠はようやく息を整えることが出来た。だが得意顔のアイシャと次第に不機嫌そうな顔つきになるカウラの間で実に微妙な立場になったものだと、自然と苦笑いが浮かぶのを止めることは出来なかった。
「そりゃあ、第一婦人が私だからね。カウラちゃんは第二夫人。そう言うことでいいかしら?」
アイシャの目が誠に向かう。あまりに唐突な話題に誠は目を白黒させるだけだった。
「まあ、誠は奥さんが二人なの?まるで遼南の皇帝みたいね。凄いじゃない」
いつの間にかご馳走の支度にめどが付いたと言うように薫が顔を出した。母親にまでそんなことを言われて顔が赤くなるのを自分でも感じる誠。
「それじゃあ西園寺はどうするんだ?」
カウラの一言に誠もうつむいていた顔を上げる。アイシャは天井を向いてしばらく考えていたが、ひらめいたと言うように手を打った。
「そりゃあ小間使いよ」
「誰が小間使いだ?」
そう言ったのは要。彼女は要人略取などを専門とする非正規部隊のサイボーグらしく重そうな銀色のアタッシュケースを抱えながら、音も立てずにアイシャの背後に立っていた。
「お帰り、要ちゃん」
まったく驚く様子も見せないアイシャ。むしろ要が後ろに立っていたからからかってみたのだと開き直るような顔をしている。
「お帰りじゃねえ!なんでテメエがこいつの第一夫人なんだ?って言うかなんでテメエ等がこいつと結婚することになってんだよ!」
そこまで言ったところで要が不意に口ごもる。カウラも薫も黙って仁王立ちしている要を見つめている。次第に要の顔が赤く染まる。そして手にしていたアタッシュケースを脇に置き、身動き一つすることなく同じポーズで固まっている。
「つまり、要ちゃんが誠ちゃんのお嫁さんになる。と言うか、要ちゃんは……」
「うるせえ!死にたいか?そんなに死にたいか?」
真っ赤な顔をしてアイシャの襟首をつかんで持ち上げる要。首が絞まっているわけではないのでアイシャはニヤニヤしながら要の顔を見つめている。
「それより何?それ」
驚きも恐れもしない肝の据わったアイシャに言われて、ようやく要は我に返る。そしてすぐ持ち上げていたアイシャから手を離した。
「なんだと思う?」
要はそのままアタッシュケースを抱き込んで笑顔を浮かべる。
「なんだって……わからないから聞いてるんじゃない」
アイシャはつれなくそう言うとそのまま服の襟元を直してコタツに戻ろうとする。
「少しは気にしろよ!」
「やだ。気にしたくない」
要の叫びがむなしく響くだけ。アイシャは見向きもせずにみかんにを伸ばす。
「アイシャ。聞いてやるくらいはいいだろ?」
「そうよ、かわいそうよ」
カウラと薫の言葉がさらに重く要にのしかかっているようで、そのまま要は静かにアタッシュケースを持って歩いていく。
「アイシャさん。聞いてほしいみたいですから……」
「あのねえ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直