遼州戦記 保安隊日乗 5
二人にしがみつかれながら誠は犯人の拳銃を手にとって笑っている要を見つめた。だが、時折誠をちらちら見つめる視線にはどこと無く殺気のようなものが漂っていた。
「大丈夫ですから!もう終わりましたから!」
少女達の頭をなでる誠。そこでさらに黙って慣れない借り物の銃の安全装置をチェックしているカウラも厳しい視線を誠に向けてきていることに気づいた。そんなカウラの表情に気づいた要は満足げに犯人から奪った拳銃をかざして見せる。
「馬鹿扱いするけどな。この状態で人質に銃口向けてたんだぜ?普通なら撃つだろ」
そう言って銃をカウラに手渡す要。銃の後ろを見るとハンマーが下りた状態だった。ガバメントモデル。1911とも呼ばれるこの銃は、シングルアクション。ハンマーが下りた状態ではいくら引き金を引いても弾が出ることは無い。胸を撫で下ろす誠だが、カウラはそうは行かなかった。
「もし貴様が撃った弾が反れたらどうするつもりだ?いつものXDとは違うんだぞ」
「05式の弾道はすべて頭の中にあるからな。まず外さねえよ」
そう言うと誠にまとわり付いている二人のアルバイトに手を伸ばす要。
「怖かったのか?もう安心だ」
手を差し伸べてくる要を見るとなぜか二人とも要にしがみついて泣き始めた。楓をはじめ要は同性をひきつけるフェロモンでも出ているんじゃないだろうか。誠は要にしがみつく二人の少女を見てそう思いながら手にした銃の置き場に困っていた。
それを見て大きく息を付いた後、カウラは銃口を通り魔の男に向ける。男はまだ腕を押さえたままで痛みに顔をゆがませながら倒れこんでいた。
「それでは……」
カウラが男を組み敷こうとした瞬間。誠の体はカウラと男を突き飛ばしていた。それはまるで威圧感のようだった。法術師としての直感が誠を突き動かしてそんな行動をとらせていた。
男が倒れていた廊下の床が白くきらめく刃物で切り裂かれる。その床材と金属のこすれる音を感じてカウラが振り返った。
「何をする!神前!」
振り返った先にできた刀傷のようなものを見て、カウラの目は驚きから状況を分析しようとする指揮官のものへと変わる。
「神前!法術の反応は!」
要の言葉で誠は精神を集中する。そしてその時いくつかの思念が遠ざかりつつあるのを感じた。先ほどまでまるで何も感じなかった自分。それを後悔しつつ些細な感覚も取りこぼさないようにと意識を集中した。
先ほどの何者かの物理的攻撃を察知はできたが、その干渉空間を生み出す波動はすでに消えていた。そしてただ、痛みに痙攣する通り魔の恐怖だけが誠の脳にこびりついて離れない。
「とりあえず……今は、特には……」
誠はそれしか言うことができなかった。顔を見合わせるカウラと要。そして床に突然できた傷に驚いて泣き止んでいた少女達が要にまとわりついてまたすすり泣き始めた。
「おい、カウラ。まだ下の連中は来ねえのか?」
「はい来ました」
突然の声。要の後ろに立っていたのは手に野菜の袋を抱えたアイシャだった。
「やっぱりジゴロよねえ、要ちゃんは」
二人の少女に抱きつかれている要をじろじろと見る。アイシャの後ろに立っていた女性警察官が毛布で二人をくるみ、彼女達がゆっくりと立ち上がるまで要は少女に抱きつかれながらアイシャに対する怒りでこめかみをひくつかせていた。
「なんでテメエがここにいる?」
そう尋ねる要に自分の身分証を見せるアイシャ。そして左手の指で身分証の右肩を指し階級の表示を誇示してみせる。
「まあ階級が高いといろいろと便利なの。要ちゃんも兵隊さんなんだからわかるでしょ?」
満足げに笑うアイシャに明らかに食って掛かりそうな要。
「協力感謝しますが……とりあえず銃を」
そう機動隊の制服の警部補に言われて要は銃を手渡す。カウラが組み敷こうとしていた犯人はすでに機動隊員が取り押さえていた。出血がひどいらしく、両脇を隊員が抱えながら連行されていく。
「神前。あれはなんだったんだ?」
落ち着いたと言う表情の誠を見つけたカウラに尋ねられて誠は神妙な顔で彼女を見つめ返した。
「わかりませんよ……ともかく急に来ましたから。監視カメラとかからこの状況を外部から見ている法術師がいれば干渉空間を一瞬だけ展開してあの犯人の殺害をすることができるだろうとは思いますが……なんでそんなことをするのか……」
「そうなるとあの通り魔実行犯の取調べには茜さんに手を貸してもらわなければならないかな」
カウラの言葉に頷く誠。
「法術特捜。早速のお仕事か……まあ茜なら大丈夫か」
要とカウラはそう言うとそのまま彼女達の周りに現れた鑑識の捜査官達に現場を任せてちらちらと二人を見ながら付いて来いと言うような表情の先ほどの警部補のところに向かう。
「私は無視?」
「まあ良いじゃないですか。行きましょうよ」
カウラと要に無視されたアイシャは肩を落としながらそう言う誠についていくことにした。
時は流れるままに 26
「いいんですか?」
暖房の暖かさに皮のジャンバーを脱いでトレードマークの赤いアロハシャツのすそを気にしながら、北川公平は手にした日本刀を持ち主である桐野孫四郎に返した。右手の端末から目を離して柄を握った後、切っ先を見た桐野の表情が曇る。
「コンクリでも掠めたか?」
その冷たい言葉に北川は背筋に寒いものを感じてすぐに頭を下げた。
「まあ……すいません」
「借りたものは大事に使え」
それだけ言うと桐野は手にした関の孫六を鞘に収めてそのままソファーに体を横たえる。
彼等がいる部屋はすでに夕暮れの予感を漂わせていた西向きの広い応接室だった。黄色く色づき始めた夕日の下には、中規模のオフィスビル達が行儀良く並んでいる様が窓からも見える。そしてそれに対する圧倒的なほどの視線の高さが、彼等のいるビルの大きさを示していた。
ノックの後、ドアが開いた。
現れたのは長髪の若い男と、灰色の背広姿のメガネをかけた重役風の老境に達しようとしている男だった。そのおどおどとした態度で彼がどれほどの無理をして今の地位まで駆け上がったのかを想像するのは北川の楽しみの一つだった。
「ゲルパルトの狂信者達の実験は終わったようだな」
北川よりも頭一つ大きい長髪の男はそう言うとそのまま窓辺までまっすぐと歩いていった。彼の真意がわからず、重役風の男は入り口近くで身を正すようなたたずまいで立ち尽くしている。
「ああ、あんたの思ったとおり演操系の法術は察知するのが難しいらしい。あの神前とか言うアンちゃんも北川の馬鹿が手を出さなければ気づく様子も無かっただろうな」
そう言うと桐野は端末の画像を拡大した。そこにはデパートのレストランの警備用カメラの画像が映っていた。通り魔事件の実行犯に仕立て上げられた哀れな大学生が、ダウンジャケットを着たタレ目の若い女に銃で腕を撃ち抜かれる様が何度と無く繰り返されている。
「でも……良いんですか?俺が手を出さなくてもゲルパルトに納品した姉ちゃんの所業は遅かれ早かればれますよ。嵯峨茜。親父と同じでなかなか食えないって話ですしね」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直