遼州戦記 保安隊日乗 5
「承知しました」
最初からそのつもりだったようであっさりとそう言う要に、誠は一気に全身の力が抜けていくのを感じた。安心したのはアイシャも同じようで震える手で自分を落ち着かせようと紅茶のカップを口元に引き寄せている。
「でも要様の部隊。保安隊とか世間では呼ばれておりますが、大変なお仕事なんでしょうね」
男の言葉に紅茶のカップを置いた要が満足げな笑みを浮かべている。
「確かになかなか大変な力を発揮された方もいらっしゃいますわね」
要の視線が誠に突き刺さる。一般紙でも誠が干渉空間を展開して瞬時に胡州軍の反乱部隊を壊滅させた写真が紙面を賑わせたこともあり、神田も納得したように頷いている。
「そうですね。特に誠ちゃ……いや神前曹長は優秀ですから。どこかの貴族出のサイボーグと違って」
明らかに喧嘩を要に売っているアイシャ。誠も要のお姫様的な物腰に違和感を感じてそれを崩したい衝動に駆られているのは事実だった。
「そうですわね。私の力など微々たる物ですから……まあほとんど休憩所代わりの運用艦のおまけ程度の副長を務めてらっしゃる方にそれを言う権利があればのお話ですけど」
「何?喧嘩売ってるの?」
まるでいつもと逆の光景。要が挑発してそれをアイシャが受けて立つという状況になろうとした。だがアイシャはそれ以上何も言うつもりは無いというように紅茶のカップに手を伸ばす。要も静かに微笑んでいる。
お互い慣れない展開に戸惑っているのだろうか。そんなことを誠は考えていた。
「それにしても要様はいいお友達をお持ちのようですね。先日も烏丸様と大河内様がお見えになって……お二人とも要様の様子をご心配されていましたから」
現在の四大公家の当主は要の父西園寺基義以外はすべて女性という変わった状況だった。次席大公の大河内家。その当主は現在大河内麗子が勤めていた。先の内戦で敗れて本家が廃され庶家から当主となった烏丸響子。彼女は時々隊に連絡をしてきて同い年で仲のいい嵯峨家当主で第三小隊隊長の楓と雑談に花を咲かせている。
「まあ二人とも妹みたいなものですもの。心配をするのはわたくしの方ですわ。ご迷惑おかけいたしませんでしたか?」
そう言って頬に手を当てて微笑む要。誠はそのいわゆるお嬢様笑いを始めてみて感動しようとしていた。
その時ノックの音が部屋に響いた。
「ベルガー様のお着替えがすみました」
先ほどのメイド服の女性の声。
「ああ、入っていただけますか?」
神田の言葉でドアが開いた。そしてそこに立つカウラの姿に誠はひきつけられた。
「あ……あの……私は……」
どうしていいのかわからないというように、目が泳いでいるカウラ。そのいつもはポニーテールになっているエメラルドグリーンのつややかな髪が解かれて、さらさらと流れるように白いドレスに映えて見える。
額の上に飾られたルビーの輝きが印象的なティアラ。色白な首元に飾られた同じくルビーがちりばめられた首飾りが見る人をひきつける。
「凄いじゃない、カウラちゃん。ねえ、私にもくれるんでしょ?こういうのくれるんでしょ?」
そんな荘厳な雰囲気を完全にぶち壊して爆走するアイシャ。要ばかりでなく穏やかな様子の神田まで迷惑そうな視線をアイシャに送る。だがまるで彼女はわかっていなかった。
「ほら!誠ちゃん。なんか褒めないと!こういう時はびしっとばしっと何か言うものよ!それで……」
「クラウゼ少佐。少し落ち着いていただけませんの?」
凛と響く要の一言。いつもは逆の立場だけあり、さすがのアイシャも自分の異常なテンションに気づいて黙り込んだ。
「神前……似合わないだろ」
カウラはようやく一言だけ言葉を搾り出した。頬は朱に染まり、恥ずかしさで逃げ出しそうな表情のカウラ。
「そんなこと無いですよ!素敵です。本当にお姫様みたいですよ!」
誠もアイシャほどではないが興奮していた。胡州貴族やゲルパルトの領邦領主が主催する夜会に出たとしても注目を集めるんじゃないか。そんなパーティーとはまったく無縁な誠だが、赤いじゅうたんの敷かれた階段を静々と下りてくる場面を想像してさらに引き込まれるようにカウラを見つめる。
「本当にお美しいですわよ、ベルガーさん」
タレ目の目じりをさらに下げて微笑みながらの要の言葉。いつもなら鋭い切り替えしが繰り出されるカウラの口元には代りにに笑顔が浮かんでいた。
「いいのかな……私……」
ただカウラは雰囲気に飲まれたように入り口で立ち尽くしていた。
「どうでしょう、要様」
自信があると言い切れるような表情で神田が要を見る。満足そうに頷く要。
「ベルガーさん。とてもお似合いですわね。わたくしもこれならば上司と呼んでもお友達に笑われたりなどしませんわ」
明らかに毒がある言葉だが、すでにカウラは自分を見つめてくる誠やアイシャの視線に酔っているように見えた。ただ頬を染めて立ち尽くす。
「ではこちらでよろしいですね」
老紳士の静かな言葉に満足げに頷く要。カウラの両脇にいたメイドが自分を導くのを見てカウラも静々と部屋を出て行った。
「でも実にお美しい方ばかりですな、神前曹長。非常にうらやましい職場ですね」
「ええ、まあ」
頭を掻く誠。確かに自分がパシリ扱いされて入るものの、神田の言うことが事実であると改めて思っていた。
「それではクラウゼ様のものは候補が出品された段階でお知らせいたしますので」
その言葉に要が立ち上がる。呆けていたアイシャもそれを見ていた誠も立ち上がった。
「ありがとうございます」
次々と店員達が頭を下げてくるのにあわせながら頭を下げる誠。彼をにらみつけながら要は先頭に立つようにして歩く。誠達は居づらい雰囲気に耐えながら客の多い広間のような店内に出た。
「まもなくカウラ様とお品物の方も揃います」
神田という支配人の言葉に笑顔で頷く要。
だが、外を見ていた要のタレ目が何かを捕らえたように動かないのを見て誠も外の回転扉を見た。
そこには見覚えのある黒のコート、紫のスーツ、赤いワイシャツと言う極道風のサングラスの大男が右往左往しているのが見えた。頭はつるつるに剃りあげられ、冬だと言うのになぜかハンカチで頭を拭きながら何度も店内に入るかどうかを迷っている。
「明石中佐……」
誠の言葉に店内をきょろきょろと見回していたアイシャも回転扉の外の前保安隊副隊長を見つけた。
「なにやってんだか」
呆れてため息をつくアイシャ。
「遅れてすまない。ではこのバッグは……」
着替えを済ませてアタッシュケースに入れた先ほどのティアラなどを手に持っているカウラも三人の視線が外に向かっているのを見て目を向ける。
「あれは……」
「それでは、また時間を作って寄らせていただきますわね」
そう言って微笑みながら出て行こうとする要を見送ろうとする神田。誠もただ外でうろうろしている明石が気になって仕方がなかった。
要の落ち着いた物腰は回転ドアを出るところまでだった。
そのまま彼女は目の前に立つ巨漢の首根っこをつかんでヘッドロックをかます。重量130kgの軍用義体の怪力の前に明石はそのまま歩道に引き倒される。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直