遼州戦記 保安隊日乗 5
その言葉に力ない笑みを浮かべるとシャムはそのまま置いていたペンを握りなおした。
「じゃあがんばれよ。アイシャ!取り合えず報告に行くぞ」
いつの間にかアイシャの後ろに回りこんでいた要がアイシャの首根っこをその強靭なサイボーグの右腕でつかまえる。
「わかっているわよ……でもランちゃんは?」
「ああ、今日は非番だな。代わりにタコが来ているぞ」
吉田は作業を続けながらそう言うと空になったポテトチップスの袋を口に持っていく。
クバルカ・ラン中佐。彼女は現在の保安隊実働部隊隊長にして保安隊副長を兼ねる部隊のナンバー2の位置にある士官だった。見た目はどう見ても目つきの悪いお子様にしか見えない彼女だが、先の遼南内戦の共和軍のエースとして活躍した後東和に亡命してからは軍大学校を主席で卒業したエリート士官だった。一方のタコと呼ばれる明石清海(あかしきよみ)中佐は遼州の外側を回る惑星胡州出身の学徒兵あがりの苦労人。野球と酒をこよなく愛する大男で誠達も所属している保安隊野球部の部長をしている男だった。先月の人事異動により保安隊の上部組織である遼州同盟司法局の調整室長を拝命し、ランとの引継ぎ作業と野球部の練習の為によくこの基地を訪れることがあった。
「タコが相手なら報告は後で良いや。とりあえず射撃レンジで……」
「おう、ワシのこと呼んだか?」
腰の拳銃に手をやった要の後ろに大きな影が見えて誠は振り返った。長身で通る誠よりもさらに大きなそして重量感のある坊主頭の大男が入り口で笑みを浮かべていた。
「明石中佐。なんでこんなところに?」
さすがに気まずいと言うように要の声が沈みがちに響く。
「何ででも何もないやろ。シャムにええ加減にせんかい!って突っ込み入れに来たに決まっとるやなかい」
「ああー……」
振り向きもせずに吉田が奥を指差す。左手を上げて明石に手を振るシャムがいた。
「一応、準待機言うても仕事中なんやで。少しは体調を考えてやなあ」
「今年の秋の都市対抗の試合でバックネットに激突して肩の筋肉断裂って言う大怪我居ったキャッチャーがいたのは……どのチームかな?」
吉田のあてこすりにサングラス越しの視線が鋭くなるのを見て誠は二人の間に立ちはだかった。明石も吉田の挑発はいつものことなので一回咳払いをすると勤務服のネクタイを直して心を落ち着けた。
「ああ、ワレ等の室内訓練終了の報告な。顔さえ出してくれりゃええねん。取り合えずデータはアイシャが出しとるからな。それにしても嵯峨の大将相手とはいえ……まるでわややんか。ほんまになんか連携とか、うまく行く方法、考えなあかんで」
そう言って出て行く明石に敬礼するカウラと誠。要はタレ目をカウラに向けて笑顔を浮かべている。
「ここで暴れるんじゃねえぞー」
吉田はそれを一瞥した後、再び端末のキーボードを叩き始めた。
「そう言えば……今日は?」
突然アイシャが思い出したように言う様を、明らかに仕上げの作業で煮詰まっているサラがうんざりしたと言う目で見つめる。
「呆けたの?今日は12月4日!吉田さんのところに今シャムちゃんの描いている原稿を今日中に仕上げないとって言いつけて出かけたのはアイシャじゃないの!」
そう言うと赤い髪を掻きあげた後、机の上のドリンク剤に手を伸ばした。
「4日ねえ……」
「なんだよ言いたいことがあればはっきり言え」
要はアイシャの思わせぶりな態度に苛立っている。飽きれて詰め所に帰るタイミングを計っているようで落ち着かないカウラ。だが彼女達より圧倒的に階級が低い誠はただ黙って彼女達が次の行動を決めるのを待つしかなかった。
「この前の同盟厚生局のはねっかえりを潰した件で今回のコミケの準備は吉田さんが仕切ってくれることになってたし……」
「マジかよ。おい、サラ。最後の仕事だそうだぞ」
吉田がコンピュータ端末の画面から伸び上がり目をやった先には死にそうな表情のシャムが原稿を手に取っている様が見えた。
「わかったー……」
ドリンク剤の効果もないというように半開きの目が痛々しいサラがそれを受け取ってしばらく呆然と天井を見上げているのが見える。
「つまり……私と誠ちゃんはフリーなのよ!」
「何を言い出すんだ?」
「病気だ。ほっとけ。詰め所に帰るぞ」
突然力強く叫ぶアイシャだが、シャム達の疲労が伝染したと言うような疲れた顔をして誠の隣に来て肩を叩く要。明らかに胡散臭そうなアイシャの言葉に無視を決め込もうとするカウラ。二人に連れられて誠は修羅場から立ち去ろうとした。
「ちょっと待ってよ!これはいい企画が……」
「私の誕生会でもやろうって言うのか?素直にクリスマス会がしたいって言え」
カウラの一言にまるで衝撃を受けたようによろめくアイシャ。いつものように芝居がかった動きでそのまま原稿の仕上げをしているサラの隣の机に突っ伏した。
「アイシャ。みんな呆れてるわよ」
そう言って目もくれずにもくもくと作業を続けるサラ。
「サラまで……」
「私もシャムちゃんの手伝いをしろって言ったのアイシャじゃないの」
明らかに不機嫌そうにそう言うとアイシャを無視する体制に入った。
「まあそうね」
サラが構ってくれないことで芝居をやめてアイシャは立ち上がった。
「じゃあシャムちゃん達を排除したクリスマス会の企画。これを考えてくる。ハイ!みんな。これ、宿題だから」
そう言うといつものように急な思い付きを誠達に押し付けて颯爽とアイシャは部屋を出て行った。
「何が宿題だよ……どうせ第四小隊の連中がクリスマス休暇に入ったんだ。アタシ等が休んで良いわけねえだろうが」
吐き捨てるようにそう言って歩き出す要だが、彼女についていこうとした誠の顔を心配そうに見つめているカウラを見つけて振り向いた。
「カウラさん……何か?」
思わず不安そうな顔のカウラに声をかけた誠。そこで一度頭を整理するように天井を見上げたカウラが覚悟を決めたと言うような表情で口を開いた。
「それなんだがな。何でも……第四小隊は20日から勤務の予定なんだよな」
突然のカウラの言葉に誠は呆然とする。
「そんな……ロナルドさんは婚約者と……」
「それが突然破棄されたんだそうだ。彼も相当荒れているらしいから仕事をして気分を変えたいと言うところなんだろうな」
「でも……なんでですか?あの人結構良い人ですよ」
「私に聞くな」
そう言うととぼとぼと歩き出すカウラ。そして誠は人のよさそうなロナルドが荒れている様を想像しようとしたが、いつもニコニコとしている穏やかなアメリカ海軍のエリート士官の表情がゆがんでいる様が想像できないでいた。
「なんだ、帰ってきてたの」
本館に入り、そのまま中で笑い声が絶えないアイシャ達の居る運行部の部屋を通り過ぎて、技術部部長室の前に来たとき、扉が開いて技術部のトップである許明華大佐が現れた。
『あ……』
誠もカウラも思わず声を出していた。
彼女は来年の6月にタコこと明石清海中佐と結婚する予定があった。ロナルドの婚約破棄の話をしていた二人はそれを思い出して複雑な表情で上官を見つめていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 5 作家名:橋本 直