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遼州戦記 保安隊日乗 5

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 湾岸地区や東都租界のような無法地帯は陸軍士官の任務として潜入工作隊員としてもぐりこんだことがあっても、こういう下町の雰囲気は体験する機会は無かったのだろう。
「おい!駄菓子屋があるぞ。寄って行くか?」 
 要の言葉に誠は見慣れた古い店構えを見ていた。昔の懐かしい記憶が再生される。小学生時代から良く通っていた駄菓子屋。子供相手ということで今ぐらいの時間に登校する子供達を目当てに店を開け、彼等がいなくなると店を閉めるという変わったおばあさんがやっている店だった。
「子供じゃないんだから……それにもうすぐ着くんでしょ?」 
 アイシャの言葉に頬を膨らましてにらみつける要。車はそのまま駄菓子屋を通り過ぎると狭い路地に向かって走っていく。
「でも……ここの一方通行はややこしいな」 
 カウラはそういいながら今度は車を左折させた。歩けば二三分の距離だが、路地は狭く車がすれ違えないので一方通行になっている。
 まだ店を開けていない八百屋の角を曲がり、金型工場の横を入ってようやく誠の実家の道場の門が目に入ってきた。
「おい……あれ」 
 要が指をさすまでも無く門のところで箒を使っている和服の女性が目に入る。
「ああ、皆さん!」 
 気がついて手を振るのは誠の母、神前薫だった。


 時は流れるままに 15


「早かったんですね、皆さん」 
 客間のテーブルに並んで座るアイシャとカウラと要。アイシャは正座、カウラは横座り、要は胡坐をかいている。
「ええ、渋滞はありましたがなんとか」 
 そう言って出された茶碗に手を伸ばそうとするカウラだが、安定が悪いのでふらふらと伸びた手が湯飲みを取り落としそうになる。
「そんな不安定な座り方するからだ。体育座りでもしてろ」 
 要はそう吐き捨てると悠々と茶をすする。そこで突然アイシャが立ち上がる。
「すいません……座卓ありますか?」 
「そうですね、ベルがーさんや西園寺さんも……」 
「ああ、アタシはいいですよ。まあ正座で五分持たない誰かと違いますから」 
 その要の挑発的な発言。にんまりと笑う要のタレ目はカウラを捉えている。同じく勝ち誇った笑みを浮かべているアイシャの視線がカウラに飛ぶ。だが、アイシャは膝から下の痺れに耐えかねてそのまま座り込んでしまう。
「じゃあ、ちょっと待っててくださいね」 
 そう言うと薫は消えていく。すぐにアイシャの顔が誠の目の前に動いてきた。
「何度も言うけど、あれお姉さんじゃないの?本当にお母さん?」 
 毎回言われ続けてもう誠は飽き飽きしていた。実物を見たのは夏のコミケの前線基地にここを使ったとき。その時同じ質問を何度も受けたのでもう答えをする気力も無かった。
「ああ、叔父貴の写真でもあの顔だぞ。あれじゃねえか?頭を使う人間は、年をくいにくいって言うじゃん」 
「言わないわよ」 
 アイシャの一言だが要は黙って茶をすする。
 要の叔父、保安隊隊長である嵯峨惟基が新人の胡州陸軍の東和大使館付武官時代。まだ彼の名前が西園寺新三郎であったころに彼はこの道場に挑戦を仕掛けてきたという。
 その時、めったに他流試合では剣をとらない母が彼の相手をした場面の映像は誠も目にしていた。
「まあ僕はそういうものだと思っていましたから……」 
「そうだろうな。身近な人間は気づかないものだ」 
 カウラは体育すわりのままうなづいてみせる。そこに笑顔で座卓を手にした薫が戻ってきた。
 言われて意識して見るとやはり自分の母は妙に若く見えた。高校時代あたりからそのことは誠自身も引っかかっていた。だがそんな意識していた時期も過ぎるとそういうものだと受け入れてしまっている自分がいた。
「はい、これ。カウラさんとアイシャさん」 
 薫はそのまま二人に木製の座卓を渡す。そしていつものようににこやかに笑う母に誠は少しばかり安心した。
「ありがとうございます……でも本当にお母様はお若いですね」 
 受け取りながらのアイシャの言葉。にっこりと笑う薫だが特に言葉も無く、そのまま誠の隣に座った。
「でもクリスマスが誕生日なんて素敵ですよね」 
 そう言うと薫は茶をすすってうれしそうにカウラを見つめる。
「まあ、特に私の場合は関係ないですが」 
 薫の言葉に微笑を浮かべながら答えるカウラ。カウラがまんざらでもないときの表情を最近誠は覚えていた。
「でも結構広い庭で……建物も古そうですし……」 
「悪かったですね。中古住宅で」 
 誠はアイシャの言葉に思わず突っ込んでしまう。
「そういう意味じゃないわよ、誠ちゃん。由緒正しいというか、風格があるというか……」 
 アイシャはごまかすようにそう言うと茶をすすった。そんなやり取りを薫はほほえましく眺めていた。
「そういえば神前一刀流の継承者は現在は薫さんじゃないですか?」 
 すっかりくつろいでいる要の一言。薫はにこやかに笑いながらうなづいた。
「ええ、私の四代前の遼南の庶子の姫君が始めたという話ですけど」 
 真剣な表情を浮かべる薫にうなづいてみせる要。
「ほう、じゃあちょっと見せてもらえませんかね。アタシは剣術に疎いんで」 
 挑発的に吐かれた要の言葉。
 誠は知っていた。遼南流剣術の達人であり、薙刀を使ってはあの嵯峨を子ども扱いしてみせる要の母、康子。当然彼女も徹底して鍛えられており、とても剣術に疎いというのは謙遜以外の何ものでもない。
 前回の夏のコミケでは雑用ばかりで一戦交えたことも無かったが、今回はそんな用事も無い。腕に自身のある要ならではの挑戦だった。
「それよりカウラさんの誕生日プレゼントはまだお買いになっていないんじゃないですか?とりあえずそちらの方を先にされては」 
 まるで要の言葉を聞かなかったとでも言うように薫は立ち上がった。それを見てアイシャも立ち上がる。
「そうですね。要ちゃん、行くわよ」 
「行くってどこに?」 
 薫に試合を断られて不愉快そうな要にあきれ果てたようなアイシャのため息。
「決まってるでしょ?買い物よ」 
 そう言うアイシャに目をつけられてしぶしぶ誠も立ち上がった。
「こいつへのプレゼントか?いいじゃん、そこらの駄菓子屋でメロンソーダでも買ってやれば喜ぶだろ?」 
「お前のおごりだったら自分で金を払う」 
 カウラは立ち上がり見下すような視線を要に向ける。
「そんな子供じゃないんだから。そうだ!カウラさんは私と一緒にお買い物しましょうよ。その間に三人でカウラさんへのプレゼントを買っておくって言うのはどうかしら」 
 自分の提案に自信があるというように薫は胸を張って見せる。
「じゃあそれで。行くわよ要」 
 アイシャに腕を引っ張られて要はようやく重い腰を上げた。


 時は流れるままに 16


「おい、アイシャ」 
「なに?要ちゃん」 
 さすがに今の状態で誠はアイシャを弁護することはできなかった。彼女はすでに両手に袋を下げていた。そして中身はどうやら自分でなくカウラにプレゼントする目的で買ったらしいということもわかっている。