眠れぬ夜は羊を数えて
よく晴れた日だった。「やっぱり校庭は危ない」と一人で納得した彼は今日も満足気に屋上で日向ぼっこをしながらお弁当を広げていた。
「なに?」
突然の切り出しに少々驚いたものの、彼の切り出しはいつも突然なので、最近はいい加減慣れてしまった。彼はいつになく真剣な眼差しで空を見上げ、そのままの瞳で私を見た。
「俺と夏樹は、違う人間だ」
「何今更!知ってるけど?」
そういうと彼は「そうか」と妙に納得した様子だったが、彼の話はまだ終わってはいなかった。突然何を言われるかと思い、こちらは拍子抜けしたというのに。
「俺達は一卵性だし、外見なら見分けがつかない。やろうと思えばもっと似せられるかもしれない。今はお互い別々の友達とかも多いけど、昔は食べ物の好みや好きなことも昔は似てた。なのに俺達ひとつだけ、決定的に違うものがある」
彼等二人を知ってしまった今、私には以前よりも彼等が似ているとは思えない。彼の言うように簡単に見分けが付かなくなることも、あまり想像が出来ない。それでも気になって、思わず身を乗り出して先を促した。彼等の決定的な相違点。
「何?」
「好きになるこのタイプ」
「はぁっ?」
「本当だ。これだけは初恋以外に被ったことないんだ」
・・・決定的ではないんじゃないか。と内心思いながら「初恋」のワードになって彼を見つめた。
「初恋の人って?」
「そこも聞くの?」
「当然でしょ。自分から話ふっといて中途半端にするの?」
思い切りため息をしながら「そうなると思っていた」とでも言いたげな顔で空を見上げた彼はやっぱり眩しさに目を細めた。
「姉貴。今もう大学行ってるんだけど昔から小さくて人形みたいなんだ。小さい頃さ、ガキながらに<自分が守ってやんなきゃ>って思ったんだ。同じこと考えて取り合ってよくケンカして。・・・んで結局、姉貴は俺達よりもよっぽど強いことに気付かされて幼い初恋は終わった」
そこまでいっきに言ってから照れくさそうに「こんな話誰かに話したこと無かったのに」と照れ笑いする姿が夏樹と被って慌てた。
「ま、いっか。長谷川さんとは良い友達になれそうだし」
無邪気に微笑みを見せる顔がやけに胸にグサリと突き刺さって抜けなかった。
「良い友達でいたいから、余計かもしれないけど…長谷川さんは今も、夏樹を好きなんじゃないか?」
驚いて彼を見つめると彼は何も言わずに私を見つめ返した。その瞳の中にいっそ吸い込まれてしまえたらと、ばかげたことを思う。
私には、海斗がいる。
それでも私の中には、夏樹がいる。
不覚だった。という表現が一番適している気がする。今更私は、自分を弁護してやるつもりなどない。自分以上に、責めるべき対象も見つからない。ずっと、静かにひっそりとそこにいたのは夏樹の方だった。夏樹の中の私が消えうせようとも、私はしつこく私の中に彼を留まらせていた。彼を疎ましいと思いながらも、私は私を好きな彼を手放すつもりなどなかったのだ。
たとえ自分勝手に彼をひどく傷つけ、そこに居てくれた彼の場所を奪い、そ知らぬ顔で私の隣に別の男を座らせたとしても。それでも愚かな私は、彼は結局いつでも私を思い続けるだろうと疑うこともしなかった。
私はずっと、夏樹を好きだった。
「どうして、急にそんなこと?」
いきなり核心をついてきた彼に精一杯の冷静を装ったつもりの声は震えていて、見えないように隠して握った手はこの蒸し暑さの中冷たくなっていた。
「本当はずっと前からそんな気がしてた」
横目で私をチラリと見ると、彼は遠くの空を無表情に見つめた。夏樹と同じ顔で、夏樹とは違う目に醜い私が隠されることもなく写っていた。私はとてもよく似た彼等をもう間違えることは出来ない。私は知っている。夏樹はそんな目で私を見ない。夏樹の目には醜い私の姿など、けして写されない。
「言わない方がいい気もしたんだ。だけど長谷川さん苦しそうだし。俺と居ても、夏樹の代わりにはならない」
ハッとした。彼は全部知っているような気がした。全部知った上で何も知らぬフリをしていてくれていたのかもしれない。それだけの言葉に私は彼から目が離せなくなった。彼の目には相変わらず醜い顔の私が写る。冬路君の目は私に何か訴えかけるでもなく、私を非難するでもなくただただその漆黒の瞳に私の姿を写し続けた。
「…私、今彼氏がいるのよ?今更、『やっぱり、好きでした』なんて、言えると思う?」
「それを決めるのは長谷川さんだ。好きなようにすればいい」
彼はそれだけ言うと、席を立ち屋上を後にした。空は雲ひとつない快晴で、見上げると気だるい暑さが体にまとわりついた。
「なんか、久々かもな。こうやって会うの」
健康的に日焼けした海斗の向かいで、私は静かに目の前に置かれたアイスティーの氷の音を聞いていた。白いミルクと混ざってキレイに透き通った茶色がだんだんとまだらなマーブルになり、やがて白が茶色の中に溶けていき、ミルクティーが出来る。
「海斗、今日は謝らなきゃいけない事があるの」
「ふーん。愛美、何か俺にした?」
不思議そうな顔をしながら海斗は手にしていたグラスの水をいっきに喉を鳴らして飲み干した。店の窓からは何組ものカップルが楽しくうでを組んで歩く姿が見える。
「…私、海斗の他に好きな人が居る。本当は海斗と会う前から、その人が好きだった!」
ミルクティーの付けた水滴の跡を見つめながら私は海斗に向かっていっきに全てを打ち明けた。体が震えていた。私は夏樹だけじゃ飽き足らず、海斗までもを傷つけた。
「来週の日曜暇?映画の割引券もらったから見に行こう。俺見たいやつあってさ」
頭を下げて、震えと涙を必死に耐える私に降ってきた意外な言葉に思わず顔を上げて海斗を見た。目の前の海斗は特別変わった様子も無く、楽しそうに私の前に券をヒラヒラとちらつかせて見せた。まるで、私と海斗は同じ場所にいながら全く別の時間軸にでもいるように。けれど、私と海斗は今ここで話していた。
「…私、好きな人がいるの。だからもう、海斗とは付き合えない」
もう一度伝えた言葉に海斗はニッコリと頷いた。
「だから、来週映画付き合ってよ。それとも、友達としても俺とはもう会いたくない?」
海斗の言葉に私は激しく首を横に振った。
「よし。じゃあ決まり♪」
嬉しそうに微笑む海斗に私は混乱していた。何故海斗は、微笑んでいられるのか。何故、こんな残酷で自分勝手な私を誘うのか。私の視線に気づいたように海斗が再びニッコリと微笑んだ。
「俺と愛美は、今終わった。何も無くなった。だったらその後俺が愛美を好きになるのは俺の自由だし。何も無いなら、また最初から作ればいいだろう?」
作品名:眠れぬ夜は羊を数えて 作家名:日和