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よしよし申すまじ

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人の不幸は蜜の味、他人の噂は鴨の味と申します。それでは、他人の幸福はどのような味がするのでしょうか。
……私が思うに、それはきっと、熟す前の果実の味覚がすると思うのです。青い果実は甘いも酸いもごちゃになったなんとも形容し難い味。

他人様の身に起こった幸福と言うものは、自分の身では絶対に味わうことができない。
それが親しい身内友人であれば素直に喜ぶ事もできましょうが、反面、妬ましく思ってしまうに違いません。
二つの気持ちがぐるぐるして、どうしようもない、妙な気持ち……。私は、今まさに、他人様の幸福を腹いっぱい食べさせられている状態でした。


 時は室町、世は戦国。しかし、そんな殺伐とした世相もどこ吹く風といわんばかりに、澄み渡る青い空、白い雲、ぽかぽかと気持ちが良い春の陽気心地よい平穏な空気が漂っています。
我が主君・朝比奈満鷹様は、目の前に展開する風景を眺めていたのでした。彼の目前には、菖蒲の花が咲き乱れる庭園。そして一人の妙齢の女性。
彼女はその中で立派な一本を手織ると、満鷹様の方へ振り向きやんわりと微笑んだのでした。
その笑顔をみると、何故でしょう、私の胸はざわめいて不安で一杯になってしまうのです。


彼女の名前は猛(タケ)姫。朝比奈様の正室であり、そして、私こと抜かず一閃は、どうもこのお姫様の事が気に食わないのでした。


例え主君が美しい猛姫の事を熱烈に愛していらっしゃるのだとしても。私は心底朝比奈様がよい奥方に恵まれて嬉しいと思う反面、どこか、腑に落ちない部分があるのです。
心に突っかかりがあるといいましょうか。この気持ちが『悋気』であると一言で片が付いてしまうのならこんなに悩む事も無いでしょう。

私も子供ではありませんし、殿とは身分が釣合わないと、自身に言い聞かせればいいだけのこと。しかし、私は男でもなければ女でもありません。突き詰めて言うと人間でもないのです。
だから、嫉妬なんてしようもない。私、抜かず一閃は五十年前にこの世に生み出された刀……なのですから。


 器物は百年の時を経ると魂を授り人間と同じ事ができるようになるといいます。
しかし何のご縁かは存じませんが、何故か私は十年と経たないうちに、人の言葉を解せるようになりました。
更に十年たって周囲を見る目を。二十年経った頃には物事を考える力を手に入れたのです。
それから三十年もの間、何の役にも立たないことではありますが、私はひたすら受身となり周囲の情報を内に記録し、考え続けてきました。
後五十年経てば更に私は力を授かり、口もきけるようになるのでしょうか?それは、天の神すら存じない事でしょうけども……。


猛姫様は、足音を立てずこちらに近寄りました。そして、履物を脱ぎ室内に上がると、満鷹様の横に腰をかけます。



「ご覧下さいませ、親方様(=満鷹様の事です)。私、こんなに立派に咲いた菖蒲なんて、見たことがありませんわ」

「腕のいい庭師に整備させているからね。毎年この時期になると、沢山の花を咲かせるんだ。ん、猛の摘んできたのはその中でも一際立派な花振りをしているね」



猛姫様は、残酷なぐらいあっさりとした手つきで、更に短く茎を折ると、花を帯に挿しました。そして、満鷹様の方に向かって笑いかけます。
その美しいことといったら!お天道様のように直視できないぐらい!
親方様の腰にぶら下がっている私ですら眩しく感じたのです。真正面から猛姫様の笑顔をご覧になった満鷹様は、一体どれほどの衝撃を受けたのやら。計り知れませんでした。



「親方様?」

「………………」

「親方様!」

「……あ、な、なんだい?猛」(姫様に惚けていた状態から覚醒したようでした)

「それは、こちらがお聞きしたいぐらいですわ。急にぼーっとしなさって。お加減でも優れないのですか?すぐに人を呼んで、床の準備を……」

「あぁ、いいんだいいんだ。大丈夫。ちょっとぼんやりするなんて誰にでもあることだろう?
 それに、私はお前の体の方が心配だよ、猛。今日の朝も、全く飯に手をつけてなかったじゃないか」

「それは……申し訳ございません。……実は、亡くなった者たちの事を考えると……どうしても、飯が喉を通らなくなってしまうのです……」



猛姫様は、そっとご自身の胸に手をやりました。かろうじて視界に入れることが出来る、筆で書いたようにはっきりとした眉をゆがめ、心底辛そうなのが感じられます。
……実は、猛姫様は満鷹様の元にお嫁入りする前に、別の方の奥方として他国の大名へ嫁いでいた時期がありました。
しかし、夫婦の契りを交わして一月と経たないうちに、敵国に攻められてしまったのです。

大量の軍勢に城を囲まれ、食糧供給の道をたたれ、じわじわと、夫を初めとした家臣ほぼ全員が飢え死んでしまったとのことでした。



「最期に腹いっぱい食べたかったという下女たちの声が……。お前だけは生き抜いてくれという前夫の今際の言葉が……耳に張り付いて貼れなくて。
 私だけ生きて、ご飯を頂いていいのかと言う思いに……」

「――……猛!」



 朝比奈様は弾かれたように、猛姫様の白い両手を握り締めました。
こういう場面では普通、彼女の細い肢体を包み込むように抱きしめるというのがお約束でしょうに。
猛姫様より三つも年下の、今年数えで十九の満鷹様は変にうぶな方でしたので、そのような大胆な事は出来なかったのでしょう。

「猛!猛……。そのような事は言うな……」

「……申し訳、ございませんでした。前の嫁ぎ先を口に出すなんて、親方様にとって……不愉快でしかありません……よね」

「そのような事を怒っているのではない!なんというか……そのな、自分の無能さを呪っているのだ!……猛の苦しさを汲み取ってやれない自分が情けなくて!」



満鷹様は、ますます自らの手に力を込めました。



「嫁いだ途端に国が攻め滅ぼされるなんて、心底怖い思いをしたのだろう。
 慣れ親しんだ人間が一人、また一人と死んでいくのを傍らで見続けるのには気が狂いそうになったろう。
 猛の気持ちは分かる、分かるのだが何もしてやれない。そんな自分が情けなくてっ……!」

「親方様……」



声に涙が混じります。大きな手が震えます。どこから落ちてきた水粒がぽたりと、床に二つほど、跡をつけました。



「だから、私はお前の心の苦しみを少しでも取り去ってやりたい。恋しいお前が心から笑えるのなら、私は何だってしてやりたいのだよ……」



いつの間にやら傾いた日が、室内に橙色の光を投げかけています。背の伸びたお二人の影がゆっくりと一つになり、そして、少し経ってから離れたのでした。
先に口を開いたのは、猛姫。囁く蜂蜜のように甘い声が私の耳(実際にはございませんが、形式上そう表現させていただきます)に届いてきました。



「親方……いえ、満鷹様。私は、今のままでも十分幸せですのよ?
 出戻りにも関わらず、また、武将の妻として夫と供に果てなかった死に損ないの猛に、このような優しいお気遣い、お言葉をかけてくださるなんて。
 本当に、感謝しきれないぐらいですのよ」
作品名:よしよし申すまじ 作家名:杏の庭