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遼州戦記 保安隊日乗 4

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「今回の事件には間違いなく同盟厚生局や東和政府、東和軍のかかわりがあるってことは感じてるだろ?当然、彼らも危ない橋を渡っているという自覚があるわけだ。さらに遼南レンジャーが捜査に参加したことであちらさんも相当警戒している。特に実際にこれから使えると言う臨床系の技術者を囲っておこうと彼らが思っても不思議はねーだろ?」 
「じゃあ見逃せって言うんですか?何人が犠牲になったか分からないんですよ!それにこの技術が今後応用されたらどういうことになるか……」 
「正人!」 
 ランに詰め寄ろうとする島田をサラが押さえようとする。しかし、子供にしか見えないランは動じることなく島田を睨み返していた。
「だからだよ。今回は何がしかの糸口を見つけて研究組織の解体に持っていかなきゃならねーわけだ。シュペルターも三人の名前を挙げたということはこいつ等のうち一人は基礎理論……あの化け物を作る必要があると言い出したってことなんだろ?」 
 ランの言葉に静かにヨハンが頷く。
「この三人なら上の反対も無いだろうから容疑が固まれば身柄を確保できる。取調べが出来ればそこからこの事件の関係者の名前が分かってくる可能性がある」 
 落ち着いてつぶやくランを見て静かに島田は腰を下ろした。
「逆に言えばこの三人以外は身柄を押さえても無駄と言うことだな」 
 誠がそう言ってエメラルドグリーンの髪を掻き揚げているカウラを見た。どこへ向けていいのか分からないような怒りがその整った顔に浮かんでいるのを誠は見逃さなかった。
「食らいつくところが決まったんだ。誰が担当する?……ってアイシャ、目が怖ええよ!」 
 要の視線の先にはらんらんと瞳を輝かせるアイシャの姿があった。
「それでは工藤博士はわたくしとラーナが担当しますわ。そして北博士は……」 
 全員の視線がアイシャに向く。頭を掻いた後、アイシャはその手をサラに伸ばし、サラは島田の腕を掴む。
「その組み合わせ、やばそうだな。仕方ねえやアタシも出る」 
 ランの言葉に茜が頷いた。
「じゃあ残りはアタシとカウラに神前か」 
「悪の女幹部に誘惑されたら困るからね!」 
「アイシャ。頭腐ってるだろ?」 
 アイシャと要の会話に和やかな空気が漂う。それまで端末をいじっていた茜がようやくコードを抜いて振り返る。
「それぞれの端末にデータを転送しておきましたわ」 
 それを聞いて誠も自分の端末を開く。脳に直接データを転送していた要は少し目を閉じた後、複雑な表情を浮かべた。
「なるほどねえ、今回の実験が『近藤事件』を契機に一気に進んだ理由が良く分かったよ」 
「どういうことだ?」 
 カウラの声に要は口元を緩める。その瞳の先の茜が仕方が無いというように頷く。
「法術系の研究をしていた研究者の監視の多くは法術の存在が知られてしまった時点で中止の指示が出てていたはずですわ。それまで監視を受けて研究が進まずにいた研究者はあっちこっちから引っ張りだこ。その研究が合法的なものばかりではありませんし。それが今回の事件が示してくれた結果ですわね」 
「そう言うわけだ」 
 要が誠の襟首を引っ張って立ち上がらせる。カウラも鋭い視線を誠に投げる。
「じゃあ行ってきます」 
「がんばってね。そこの二人!誠ちゃんを襲っちゃ駄目よ!」 
「誰が襲うか!」 
 要はアイシャを怒鳴りつけるとそのままセキュリティーの厳重な冷蔵庫の扉を開いた。心配そうに実働部隊の詰め所から顔を出している楓とシャムの顔が見える。
「見世物じゃねえぞ!」 
 そう言いながら大またでその前を通る要。仕方が無いというようにカウラと誠もそれに続く。
「がんばってくださいね!お姉さま!」 
 クールな調子だが妙に色気を感じる楓の声にびくりと震える要。
「愛されているんだな。いいことじゃないか」 
 じっと要が出てくるのを待っていたであろう楓を見ながら皮肉を飛ばすカウラをにらみつけた要はそのままハンガーの階段を大きな足音をわざと立てながら下り始めた。


 魔物の街 34


「……なんやかんや言いながら、アイツも司法捜査官なんだな。ちゃんとここからなら動きが良く見えるわ」 
 納得するようにカウラのスポーツカーの窓からマンションを眺める要。東都理科大での一般教養科目の生物学の講義を終えて片桐博士が自宅のマンションに帰っていた。茜の指示でその三階の部屋の明かりを見ながら要はあくびをしていた。
「一般教養科目の講師か。確かに屈辱でしかないだろうな」 
 カウラの声に誠も頷く。
 東都理科大は誠の母校だった。理系の専門大学の私大では東和でも一番の難関大学である。専門課程の研究室の准教授が高額の研究費を貰っているのに対して教養科目の講師の立場があまりにも低い待遇なのは誠も知っていた。
「しかし……男の影も無いのかよ?寂しいねえ」 
 まるで自分のことを考えずにつぶやく要に思わず噴出すカウラ。だがそれは要の耳には届かなかったようで彼女はひたすら車の中から夕闇に明かりの目立つ片桐博士の部屋を見つめていた。
「西園寺。あのマンションの訪問者の画像データは?」 
「当然手に入れたに決まってるだろ?あのオバサンがらみはとりあえず無し。これじゃあライラさんの部隊や東都警察の連中もすぐに手を引くだろうってことが分かるくらい綺麗なもんだ」 
 要の言葉と共にカウラと誠の端末にデータの着信を知らせる音楽が流れる。誠の深夜放送のアニメの主題歌が流れる端末を見て、要が監視をやめてニヤニヤ笑いながら助手席の誠を見つめてくるが、誠は無視してそのままデータを開いた。
「綺麗と言うか……この数ヶ月の間誰も訪れていないじゃないですか」 
「なんならお前が行くか?『お姉さんさびしいでしょー』とか言って」 
「そう言う話じゃなくて!」 
 要の冷やかすような視線を避けて誠は片桐女史のマンションを見上げた。築3年、東都の湾岸沿いの再開発で作られた新築マンション。博士号を持つ新進気鋭の研究者にはふさわしいといえるが、最近はすっかり研究から取残された知識人が住むには悲しすぎる。そんな感じを受けるマンションだった。
「あのさあ」 
 そう言って軍用のサイボーグらしく眼球に備えられた暗視装置でもなければ見えないような暗がりを見つめていた要の声が車内に響く。
「もし、オメエ等が一言の失言ですべての地位を失ったらどう考える?」 
 静かな調子で要がつぶやく。その言葉にはそれまでの軽口の調子はまるで無かった。
「考えたことも無いな」 
 運転席のハンドルにもたれかかりながらカウラはすぐに答えた。誠は突然の言葉に要に視線を向けていた。
「僕は……」 
 要は視線を薄い明かりの漏れる片桐博士の部屋に向けたままじっとしている。誠はしばらく要の言葉の意味を考えていた。
「簡単な言葉で済みませんが絶望するでしょうね。この世のすべてに……」 
 飲み込んだ誠の言葉が耳に届いたのか軽く頷くと要の表情に笑みを浮かべる。
「だろうな。カウラ、アタシにも一缶よこせ」 
 要はそう言うと視線を動かさずに手だけをカウラの手元に向けた。
「なら話は変わるが……神前。オメエが法術を使えると分かったときどう思った?」