遼州戦記 保安隊日乗 4
「そうですか。失礼」
そう言うと眼鏡の研究者はそれを受け取り手元の端末のスロットにそれを差し込んだ。画面にはいくつものウィンドウが開き、何重にもかけられたプロテクトを解除していく。
「なんだよ、ずいぶん手間がかかるじゃないか」
要はそう言いながら部屋を見渡した。
「サンプル……人間の臓器だな」
カウラの言葉に誠は改めて並んでいる標本に目を向けた。いくつかはその中身が人間の脳であることが誠にもすぐにわかった。他にもさまざまな臓器のサンプルがガラスの瓶の中で眠っているように見える。
「ちょっと、そこ」
明らかに緊張感の無い様子でアイシャがつついたのは島田の手にしがみついているサラを見つけたからだった。
「ランちゃんは……平気なの?」
島田から引き剥がされたサラがランを見下ろす。
「オメーなー。アタシが餓鬼だとでも言いてーのか?」
そうランが愚痴った時、ようやく研究者の端末の画面がすべてのプロテクトの解除を知らせる画面へと切り替わった。
「それでは参りましょう」
茜はそう言うといつものように緊張感の無い誠達に目を向けた。
奥のには金庫の扉のようにも見えるものが鎮座している。迷うことなく進む茜。彼女はそのまま扉の横のセキュリティーにパスワードを打ち込む。
「ここまでは一般向けのセキュリティーか」
要はそう言うと開いていくドアの中を伸びをして覗き込む。そんな要を冷めた目で見ながら茜はそのまま中へと歩き出す。
無音。ただ足音だけが聞こえている。
「遅れるんじゃねーぞ。全員のパスワードが次のセキュリティー解除に必要だからな」
ランの言葉に思わず手を握り締めた誠。彼の後ろでは観光気分のサラとニヤニヤしている島田がついてきていた。そして30メートルほど歩いたところで道は行き詰るかに見えた。しかし、すぐに機械音が響き、行き止まりと思った壁が開く。
「ずいぶん分厚い扉だねえ。なんだ?化け物でも囲ってるのか?」
軽口を叩く要を無視して茜は歩き続ける。
「わくわくしない?神前君」
後ろからサラに声をかけられるが誠はつばを飲み込むばかりで答えることが出来なかった。
カウラは通路の壁を触ったりしながらこの場所の雰囲気を確認しようとしているようだった。要は後頭部で両腕を組みながらまるで普段と変わりなく歩いている。アイシャは首が疲れるんじゃないかと誠が思うくらいきょろきょろさせながらアトラクション気分で歩いていた。
そして再び行き止まりにたどり着く。
「おい、島田。もっとこっちに来い!パスワードがそろわねーだろ!」
ランがそう言って最後尾を歩いていた島田を呼ぶ。彼がサラにくっつくようにやってきたとき再び扉が開いた。
「次で目的地ですから安心してくださいね」
笑う茜。誠は何を安心すれば良いのかわからず握り締めていた刀に目をやった。
「あの、嵯峨捜査官……」
誠は静かにそう言って手にした刀を茜に見せる。茜はそれを見てにっこりと笑う。
「そうですわね。とりあえず袋から出しておいた方がよろしいのではなくて?」
茜の言葉に誠は刀の袋の紐を解いた。
「へー、そう言う風な結び方なんだ」
珍しそうに誠の手元に目をやるアイシャ。
「別に決まりなんて無いですよ。ただ昔から普通に……」
誠の言葉が出る前に通路の奥で不気味なうなり声のようなものが聞こえた。
「やっぱり怪獣を飼っているのか?」
笑いながらそう言って要は茜の前に出て歩き始めた。
魔物の街 4
不審そうにあたりを見回す要。茜はわざとランやラーナを壁にして誠達の足を止める。しばらくしてふと横を向いた要。そのまま手の後ろに組んだ両手を離し、静かに後ずさる。
「おい……なんだよ……なんだよこれは!」
これほどうろたえる要を誠は初めて見た。要はそのまま茜に飛びついてその襟首をつかむ。
「落ち着いてくださいな。要さん」
それまでは『要お姉さま』と呼んでいた茜が冷静にそう言って要の頬に手をやる。要は明らかに動揺し震えた両手で茜の襟を掴んで離せないでいる。
「びびらねーんじゃ無かったのか?」
そう言って笑おうとするランをにらみつける要。
「このちび!知ってたな!知っててつれてきやがったな!」
怒鳴りつける要。その時聞いたことも無いような獣の咆哮が誠達の耳にも届いた。要はそれを聞くと耳をふさぐ。そしてまるで子供のようにしゃがみこんだ。
「茜ちゃん。じゃあ行きましょう」
そのままアイシャが一人歩き出す。それにあわせてカウラも誠の肩を叩く。
「これも任務だ」
カウラの声で気を取り直した誠は刀を袋から取り出して鞘を握る。振り返るとサラと島田が不安そうに誠達を見つめていた。
「大丈夫よ。技術者の方々も見てる代物よ。噛み付いて来たりはしないわよ」
そう言って進んでいたアイシャが立ち止まった。カウラは警戒したように歩みを止める。そこに再び獣の雄たけびのようなものが響く。
「悪趣味ね」
アイシャはそう言い切ると誠を見つめて笑った。
「悪趣味ですか……それで済む代物なんですか?」
誠はアイシャの影に入り込みながら強化ガラスの中にある黒い塊に目をやった。
はじめは何がそこにあるのか分からなかった。正確に言えばそれは誠の思いつく生物のどれとも違う形をしていて種類や名前という定義づけが難しいからだろう。それはあえて言えば海胆か海鼠と考えれば分かりやすいが、海胆や海鼠が吼えるわけも無かった。
丸い、巨大な塊、肌色のその物体から何かが五、六本突き出すように生えている。その生えているものが人間の手や足と似ていることに気づくまで数分かかった。そしてその丸い脂肪の塊は細かく震えながら床をうごめいていた。その表面に見えるのは目のようなもの、口のようなもの、耳のようなもの。そしてところどころから黒い長い毛が伸びているのが分かる。
「茜さん……クバルカ中佐……」
その物体から目を離すことができた誠は近づいてくる二人の上官に目をやった。二人とも腕組みしたまま黙って誠を見つめていた。
「成れの果てですわ。法術適正者の」
そう言うと茜はガラスの窓の隣の出っ張りに携帯端末を載せた。開いた画像には女子高生とサラリーマン風の中年の男、そして小学生くらいの男の子の姿が写されていた。
「こうなってはどうするべきか分からないけど、この三人の遺伝子データと一致するサンプルが見つかっていますの。おそらくは……」
「おい、こいつはどこで見つかった……って聞くまでも無いか」
要の言葉に静かに頷く茜。東都港湾地区か沖の租界の周りででも発見されたのだろう。相変わらず目の前の饅頭に手足がむやみに生えたと言う物体がうごめいている。
その時、誠は気づいた。手にしていた剣から熱いものが手のひらを経てそのまま頭の先まで達するような感覚を。
「神前さんは何か気づいたことは?」
そう茜に言われて自然と誠は手にした刀を茜に差し出した。
「やはり待機状態に入ったようですわね」
茜はそう言うと口元に笑みを浮かべた。その視線は誠の手と握られた刀に向いていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直