遼州戦記 保安隊日乗 4
そう言い切る誠に満足げな表情でライラは頷く。そしてそれを後にして誠も指揮車を飛び出した。
「なんだよ、神前。アタシ等に付き合う必要なんて無いんだぜ」
出口で笑みを浮かべる要。カウラはすでに端末を開いて遼南軍の情勢を探っていた。
「遼南山岳レンジャー部隊。どれほどの実力か見せてもらえるのはありがたいな」
不敵に笑うカウラを見てアイシャは肩をすくめて誠を見つめていた。
「そう言えばムジャンタ・ライラ中佐と西園寺さんや警視正って……」
暗がりの中足早に基地を出ようとする要に誠が声をかけた。
「ああ、ライラさんと私達の関係は複雑ですからねえ」
茜の声が冷たい冬の空気に消える。先ほどショックで貧血を起こしかけたとは思えない厳しい表情が基地のスポットライトを浴びながら輝いて見える。誠はその姿に圧倒されていた。
「遼南王族の家系は複雑だからなあ。叔父貴と母親が同じ兄弟はライラの父親の故バスバ殿下のみだ。つまりアタシの親戚でもあるということだな」
そう言うと要はタバコを取り出す。嵯峨の兄弟、皇帝ムジャンタ・ムスガの子は百人以上いることは誠も知っていた。しかしその多くが庶子であり、保安隊の管理部部長、高梨渉参事のように母方の苗字を名乗るのが普通だった。
「叔父貴も本当は自分の後釜にライラにすえるつもりだったらしいぞ。まあ血統順なら茜が第一帝位継承者になるわけだが一度は王室を離れて胡州の戸籍を持っているということで国内での支持を得られる見込みが無い」
タバコの煙が冬の澄んだ空気の中、ライトに照らされてなびいている。
「でもなああいつは見ての通りの頑固者で、結局未だに帝位の継承を拒否していやがる。おかげで叔父貴は名目上はいまだに遼南の元首だ」
誠は要の苦笑いに合わせるように笑いを浮かべる。一方タバコの煙を吐きながら要がいやらしい笑いを口元に浮かべた。
「本当に頑固だからねえ。そんなだから旦那にも逃げられるんだよ」
「それは関係ないんじゃないですの?」
真面目な表情を崩さない茜。カウラは二人のやり取りに呆れたような視線を送った後、先頭を歩いて作戦開始地点に止めてあるワゴン車への道を急ぐ。
「でも良いんですか?軍が動き出したら僕達は用済みになるんじゃないですか?」
「ある意味目的はこれで一つは達成したことになるな。これ以上非人道的な実験を行わせないというのも今回の作戦行動の目的の一つだ。軍が動けば私達が追っている研究施設の連中もやすやすとは動くに動けなくなる。そうなれば実験は中止に追い込まれる公算も無いとはいえない」
基地を制圧し、非常線を張っている山岳部隊の兵士に敬礼するカウラ。だが一人島田は浮かない顔で一番後ろを歩いていた。
「どうしたの正人」
サラの心配そうな声に誠達は立ち止まった。いつもの陽気な島田の姿はそこには無かった。
「そう言えばさっき叔父貴に呼ばれてたけど何かあったのか?」
そう言いながら要は携帯灰皿を取り出す。カウラや茜、そしてこういう時は先頭に立っていじりに行くアイシャも不思議そうに島田を見つめていた。
「別に良いじゃないですか。俺も遼州系ですから今回の事件への憤りは……」
「そんなきれいごとが出てくるような顔じゃないぜ。何かあったんだろ?」
要の言葉を無視して歩き始める島田。サラは心配そうに島田の肩にすがりつく。苦笑いを浮かべる島田は彼女の肩に手を乗せた。
「まあどうでも良いけど。それよりランちゃん。啖呵は切ったのは良いけどどうするつもり?」
いつもと違う島田を眺めながらアイシャが小さなランの頭に手を載せる。どうせ何を言ってもアイシャには無駄だと分かっているのでランはそのままの体勢でしばらく考え込んだ。
「隊長が島田に何かを見せてけしかけたってことは、アタシ等の出番が終わりじゃないって事を言いたかったんだろうな。それにアタシも遼南軍の動きを耳にしてなかったから恐らく正式な出動手続きが行われたとしてもそれは臨時的措置で権限もかなり制約されているだろうからなあ」
「そうですわね。私達の捜査権限を法的に取り上げることを意味する出動なら早い段階で私やクバルカ中佐に話が降りてくるのが普通ですから。ライラ様もあのようにおっしゃったのは恐らく手柄を取られたくないからけん制したおつもりなんでしょう」
茜もランの言葉に頷いていた。
「じゃあ決まりだな。明日から忙しくなるぞ」
銃を吊り下げたまま要が再びタバコを取り出す。誠は呆れた顔で歩き出す要に続いていった。
魔物の街 18
「忙しくなるんじゃなかったんですか?」
誠は思わずそうつぶやいていた。寮に着くと待っていた嵯峨は誠達に無期限の謹慎を命じた。理由は捜査権限逸脱。だが、誠は黙認していた嵯峨の突然の変身に驚きながら抗議したが、一度決めたことを嵯峨が翻すことは考えられないとカウラに窘められて黙り込んだ。
そして誠は次の日の朝、出勤する隊員達を見送った誠達はすることも無く食堂でコーヒーを飲んでいた。
「世の中思惑通りに行かないもんだよ」
そう言いながらチョコレートに手を伸ばす要。カウラも平然とクラッカーを食べている。
「そうよ、誠ちゃん。焦っても何も無いわよ」
アイシャはニコニコ笑いながらさっき一人でコンビニに出かけて買ってきたのチーズケーキを口に運んだ。嵯峨の突然の命令に切れた島田は簀巻きにされて部屋に放り込まれている。朝、出勤する隊員達と入れ替わりにやってきたサラが部屋にいるとはいえ、不満を彼女にぶつけていることは容易に想像がついた。
「安心しろよ。捜査権限の委譲は済んでないんだ。ライラ達が出来るのは任意の事情聴取ぐらいだろうな。むしろレンジャー隊員がその得意とする交渉術を駆使して人海戦術で労せずして情報が集めてくれる。良いことだろ?」
見た目の子供のような姿からは想像もつかない老獪な話をつぶやくラン。そして一人日本茶を飲みながら穏やかな顔で誠達を見つめる茜の姿があった。
「ああ、そう言えばさっきレベッカが遊びに来てたわよね」
思い出したようにアイシャはそう言うと立ち上がった。サラより少し遅れて遠慮がちに食堂に顔を出し、そのまま非番の西の部屋に彼女が向かったのは誠も知っていた。
「なんだよ、野暮なことならやめておけよ。叔父貴にどやされても知らねえぞ」
そう言う要だが、明らかにタレ目を輝かせてアイシャについて行く気は満々のように見えた。隣のカウラも暇をもてあましているというような表情で一言言えば立ち上がるような雰囲気だった。
「そうだな。西を指導するもの上司の務めだ」
ランが立ち上がる。さらに含み笑いの茜、心配そうな表情のラーナもコーヒーを飲み干して立ち上がる。
「止めましょうよ、そんなこと」
「おい、神前。笑いながら言っても説得力ねえぞ」
微笑む要を見て誠もつい立ち上がっていた。そして一同はいそいそと食堂を後にして寮の階段に向かう。
「どうする?そのまま一気に踏み込むか?」
「西園寺。それはさすがにやりすぎだろ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 4 作家名:橋本 直