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遼州戦記 保安隊日乗 4

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「そうおっしゃるなら……この『高雄』の母港移設にかかる予算の見積書がなんでここに突き返されてきたのか説明いただけますか?」 
 長身の穏やかな淡いブルーのショートカットの妙齢な女性、保安隊運用艦『高雄』艦長の鈴木リアナ中佐の言葉に嵯峨は困ったように眉間にしわを寄せる。
「そんなこと言ったってさあ、司法局の連中がさあ……」 
「必要資料の連絡ミスってつまらないことをするなんて隊長らしくないんでは?それとも隊長は現在の新港まで車や輸送機でハンガーの機体を運ばなければならない現在の状況に満足されているんですか?」 
「分かった!分かりましたから!勘弁してください!」 
 あくまでにこやかな笑みを絶やさず嵯峨に説教を始めようとするリアナを黙らせると再び窓の外に目を向けた。そこには嵯峨の娘の茜が自分のセダンにアイシャ達が乗り込むのを眺めているところだった。
「それはさておいてさあ。安城さんの機動部隊、茜の法術特捜、そしてうち。一番評価が低いのは法術特捜だからな。本音を言うと今回は金星を上げてもらいたいんだよね」 
 その言葉に吉田は頷いた後、嵯峨の執務机のモニターを開いた。嵯峨は相変わらず北風を浴びながら外を眺めている。
「今回はどろどろしてそうな事件だが大物は関わっていないだろうからな。まあ俺等と同じ木っ端役人か……町のチンピラか……まあいずれは潰す必要のある連中のいたずらってところかねえ」 
 吉田がその言葉にキーボードを操作する手を止める。リアナは嵯峨の不謹慎な発言に大きくため息をついた。
「なんだよ、見せたいものがあるんじゃないのか?」 
 その言葉を聞くと嵯峨の顔を見て恥ずかしそうに笑った後、吉田はそのまま作業を続ける。
「偶然なんですよね。たぶんこれは撮った方も撮られた方も気づいてはいないと思いますし、証拠としては使えない資料なんですが……」 
「え、何があるの?」 
 リアナが机の隣で突っ立っている嵯峨を押しのけてモニターを見つめる。そこには労働関係の役所の資料であることを示す刻印のある中層ビルの崩れた鉄骨の写真があった。吉田はその一角、鉄骨の合間に見える外の光景を拡大していく。長髪の男が映っていた。
「へー素敵な人じゃない」 
 素直にそう言うリアナとは違って嵯峨は明らかに渋い表情を浮かべていた。
「確かに資料にならねえな。これがこの前クバルカ達を前に法術のデモンストレーションを見せた悪趣味な奴か?確かに悪趣味そうな面だわ」 
 そう言って嵯峨は引き出しに手を伸ばした。
 舞う埃の中から取り出したのは三枚の写真。散らばる書類の上に嵯峨はぞんざいにそれを広げた。
 写っているのはどれも長髪の目つきの鋭い男だった。
「同じ人物ですわね」 
 リアナはそこに映る長髪の男をじっと見つめた。
「吉田。この面(つら)は見たことあるか?」 
 嵯峨の突然の言葉に首を振る吉田。それを見て嵯峨はにんまりと笑った。
「吉田君も知らないなんて……誰なんですか?」 
 リアナの言葉に困ったような顔をする嵯峨。
「そんな吉田も知らねえような奴のことを俺が知ってると思うの?」 
「でもこの写真は隊長が出したんですよね、その机から。それとも隊長の机には誰かが写真を放り込むことが出来るようになっているんですか?」 
 当然のようなリアナの言葉に嵯峨は額を叩く。
「そうだな。悪かった」 
 しばらく嵯峨はそのまま沈黙した。吉田とリアナの目は嵯峨から離れることが無い。その沈黙は情けなさそうな顔をした嵯峨に破られた。
「あのさあ、タバコ吸って良い?」 
 緊張した空気を台無しにするためだけの言葉。仕方なく頷く二人を見て机に置き去りにされていたタバコの箱からよれよれの紙タバコを一本取り出してゆったりと火をつける。
「俺は元々胡州の東和大使館付き武官で軍人の生活を始めたわけだけどな。その時偶然この写真を手に入れちまってね」 
「偶然?大使館付き武官の任務は情報収集活動ですよね。そんな任務の将校が偶然?」 
 リアナの突っ込みに再び泣きそうな顔をする嵯峨。
「まあ当時から一般メディアで出てこないだけで法術の存在は胡州軍も知ってたからな。東和はこの惑星遼州の富と情報が集まる国だ。いろいろあって法術関連の情報を集めていて手に入れたのがこの写真だ」 
 そう言うと嵯峨は同じ男が写っている写真の一枚を取り上げる。そこには軍服を着た長髪の男が部下と思われる坊主頭の兵士に何かを指示している写真だった。
「コイツは遼南再統一以前の遼南南部軍閥の制服ですか……この人物がラン達に喧嘩を売ったとしたらこの顔つき時代がおかしくないですか?若すぎますよ。それとも俺と同類のサイボーグか何かなんですか?」 
 吉田の言葉にリアナも頷く。遼南が再統一されたのは目の前の中年男、嵯峨惟基誕生以前の話である。先ほどの誠達に法術のデモンストレーションをやった人物と同一人物であるならばサイボーグ化でもしていない限り変化の無いことなどありえないことだった。だが法術に耐え切る義体の開発は未だどの国も成功していない。
「俺もそう思ったさ。だけどこの写真を手に入れて数日後に俺は本人に会った」 
 その言葉に吉田は黙り込む。冗談は言う、嘘もつく、部下を平気でだます。そう言う嵯峨だがこの状況でそんなことをするほど酔狂でないことは長い付き合いで分かっていた。
「じゃあ誰かは分かるんですよね」 
 リアナが嵯峨を見つめて話の続きを待つが、嵯峨はのんびりとタバコをくゆらせる。
「なあに、ちょっとコイツで斬りつけただけだ。それほど会話を楽しんだわけじゃない」 
 そう言って立てかけてある愛剣長船兼光を指差してそのまま伸びをする嵯峨。
「穏やかじゃないですね、それは」 
「そう、穏やかじゃないんだよこの男は。実際資料も集めてみたが結果こっちの二つの写真が見つかっただけだ。吉田が知らないのも無理がねえよ。電子データはいくら探しても見つからなかった。こんなアナログデータ、吉田の飯のねたにもならんだろうしな」 
 そして指差したのは遼南帝国軍の制服を着た軍人達に囲まれての記念写真のようなもの。そして背広を着て街を歩いているところを盗撮したような写真だった。
「法術の存在を世に知らしめる必要がある。それを考え出したのはこの男に斬りつけて返り討ちにあったその日のことだ。でもねえ、所詮一介の二等武官がどうこうできる話じゃねえ」
 嵯峨は再びタバコを口にくわえる。
「でもなんで……」 
 リアナの真剣な顔をちらりと見た嵯峨は再び机をあさって一冊の冊子を取り出した。
『ソクラテス哲学研究・社会情勢と政治学について』そう書かれた表紙の貧相なコピー冊子に吉田とリアナは首をひねる。
「これがコイツの書いたものらしい。哲人政治の実現に向けての施策を論じたものだが……俺にはヒトラーの『わが闘争』と区別がつかなかったよ。力を持つものは人々を導く責任を負うっていうのが論旨だが……俺はこういう論じ方している人間が大嫌いでね。弱肉強食を人間同士で当てはめようと言うような論理が見え見えで」 
 皮肉めいた笑みを浮かべる嵯峨。
「法術師を頂点にしたファッショでもやろうって言うんですか。確かにそれは願い下げだ」