遼州戦記 保安隊日乗 3
一つは遼南軍の軍服姿で戦場視察でもしているかのように部下達に指示を出している写真。その軍服は百年ほど前の遼南の将官の着る制服に酷似していた。
そしてもう一枚は何かの記念行事のようで背広を着て整列している人々の中央に座っているとでも言うような感じの写真。生気のないその顔はどこと無く不気味に見える。
最後の一枚は雪の中の街頭らしいところで上から隠し撮りされたとでも言うようなアングルで撮られた写真だった。
「なるほど、この男を知っているかと?」
カーンはその三枚の写真を手にとった。すぐに胸元から老眼鏡を取り出しそれぞれの写真を見つめる。嵯峨は黙ってそんなカーンの様子を観察している。
「知っていたらどうするつもりだね」
写真を見つめながらカーンが尋ねた。
「どうもしません。知らなくても同じですよ。ただこの人物の顔をあなたも近々多く見ることになるだろうと思いましてね。いうなれば私のささやかな贈り物ですよ。当然その三枚の写真はお持ち帰りいただいてもかまいませんよ」
嵯峨の言葉にカーンはさらによくその写真の男を見つめた。
「見たことが無いわけでは無いが、遼州人やアジア人の顔の区別がつかないものでね」
そう言いながら写真を手元に置くカーンを見ながら嵯峨は取り出した携帯灰皿にくわえていたタバコをねじ込んだ。
「ほう、これでおしまいかね」
そう言って笑うカーンに嵯峨は微笑みで返す。
「死に損ないのおいぼれの時間を取り上げるのは私の矜持が許しませんから。それに老人を敬う精神は持ち合わせているつもりでしてね。まあいつかはその両手に鉄のわっかを掛けに来ますんで、それまで元気にしておいてくださいよ」
それだけ言うと嵯峨は扉を静かに開いてラウンジへと姿を消した。
カーンは自分の体が思った以上に疲れていることを感じていた。嵯峨の毒舌は予想の範囲内だったが、その圧倒的存在感にかなり驚きを隠せない自分に戸惑っていた。
「私も年かな」
そう独り言を言うと甘いものでも頼もうと呼び鈴に手をかけた。
季節がめぐる中で 43
保安隊運用艦である重巡洋艦『高雄』はバルキスタン内陸の荒涼とした山岳地帯上空を南下していた。眼下には誠の攻撃で意識を失うか全身麻痺の症状を起こしている政府軍、反政府軍、そして難民達が時が止まったように動かないでいるのが見える。そしてその救援の為に派遣された同盟加盟国の軍や警察、医療機関スタッフの車両走り回る様を見ることが出来た。
誠は一人格納庫の小さな窓から自分が発した非破壊兵器の威力には恐ろしさと戦闘を未然に防いだという誇りを共に感じながらたたずんでいた。警備部はすでにウォッカを回し飲みし、戦勝気分を味わっているが誠にはその輪に入る勇気が無かった。
「おい、ビール飲むだろ?」
要はパイロットスーツの上をはだけてアンダースーツを見せるようにして、手にしたビールの缶を誠に渡した。誠はそれを受け取りながらダークグリーンの作業服の襟を整える。
「これだけの地域の制圧を一人でやったんですね」
艦船の他国上空での運行にかかわる条約の遵守の為に低速で飛行している『高雄』だが、すでに07式を回収した地点からは30分も同じような光景が眼下に繰り広げられている。手を振るアサルト・モジュールは治安維持部隊所属の西モスレムのM7だった。
「それだけたいした力を見せ付けたってことよ」
アイシャの声が聞こえて誠は振り返った。そこにはパーラと二人でよたよたとクーラーボックスを運んでくる紺色の長い髪の女性の姿が見えた。
「おっ、気が利くじゃねえか。ビールか?それ」
要の手にはすでにウォッカの瓶が握られている。アイシャは要を見つめながらにやりと笑うと格納庫の床に置いたそのクーラーボックスを開く。中には氷と缶ビールが並んでいる。
「どうぞ、どんどん取ってよ。あちらもかなり気分良くなっているみたいだしね」
アイシャが振り向いたので、要と誠はそちらに視線を走らせる。そこではほとんど飲み比べという勢いで酒を消費している警備部の兵士の姿があった。その中央であまり笑顔を見たことのない警備部部長のマリアが部下の髪を引っ張ったりしながらふざけあっているという光景が展開していた。
「じゃあ私も飲もうかな。疲れたしな」
突然のカウラの声に伸び上がる誠。
「そんなに驚かなくても良いじゃないか」
そう言うと珍しく自分で缶ビールに手を伸ばすカウラ。
「オメエはできれば飲まない方向でいてくれると助かるんだけどな……あまさき屋の帰りとかに」
ウォッカをラッパ飲みしながら要がいつものように皮肉を飛ばす。いつものあまさき屋での騒ぎを思い出しているようで特徴的なタレ目がきらきら輝いている。
「運転代行を頼めばいいだけだろ?」
カウラはそう言うと缶を開ける。先ほどのアイシャとパーラが運んできた時の振動で震えていたのかビールの泡が吹き出し格納庫の床に広がる。
「おいおい、慣れねえことするから、誠!雑巾取って来い!」
酔った要の言葉に思わず泣きそうな視線を送る誠。
「いいわよ、神前君。私が持ってくるから。アイシャも一緒に飲んでて」
そう言うとパーラが居住ブロックに駆け出していく。
「いい奴だよな、あいつ」
「そうね。本当にいい子よ」
「となると許せないのは槍田だな」
要、アイシャ、カウラの瞳がぎらぎらと光る。誠は彼女をもてあそんだと言われている機関長槍田にどのような制裁が加えられるのかとひやひやしながら三人を見守っていた。
「そこの三人!来なさい」
叫び声に振り向いた要と誠に手を振るマリア。いつもは凛々しく引き締まった表情でブリッジの女性隊員の憧れともなっているマリアが、戦闘服のボタンを大胆に外した色気のある姿で誠達を呼んでいた。
「そうだな、ヒーロー!」
要は誠の肩に手を回そうとするが、その手をアイシャが払いのける。
「何をしようとしていたのかしら?もしかしたら誠ちゃんと肩を組んで……」
「な、な、何言ってんだ!誰がこんなへたれと肩を組んでキスをしたりするもんか!」
そこまで言ったところで要に視線が集まる。警備部の屈強な男達や技術部の酒盛りを目の前に仕事を続けている隊員達の視線が要に集中する。
「……誰もキスするなんて言ってないわよ」
アイシャの言葉が止めを刺して要が頬を赤らめて黙り込む。
「ビールがうまいな」
突然場を読まずにカウラがそう言った。要は誠から離れてカウラの肩に手をやる。
「旨いだろ?仕事のあとの酒は。オメエは飲まないだけで飲もうと思えばパーラぐらいは飲めるはずなんだから。さあぐっとやれ!」
「あからさまに話をそらそうとしているわけね……じゃあ」
そう言うとアイシャが誠の肩にしなだれかかる。その光景に口笛を吹いたり手を叩いたりして警備部の酔っ払い達は盛り上がった。振り向いた要が明らかに怒っている時の表情になるのを誠は見ていた。しかし、タレ目の彼女が怒った顔はどこか愛嬌があると誠はいつも思ってしまい、顔がにやけてしまう。
「そこ!何してんだよ!」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直