遼州戦記 保安隊日乗 3
響子のその言葉に烏丸側は納得したように次々と立ち上がり、そのまま襖を開けて廊下へと出て行った。それぞれに通信端末を手にしているところからして胡州政府や軍に嵯峨の作戦が一気に広まるだろうと思うと複雑な心境で醍醐は嵯峨に目をやった。
「良いんですか?今回の作戦は無茶がありすぎますよ。それに先ほどの言葉はどう見ても泉州公に不利に使われる可能性があります」
そう言って嵯峨に詰め寄る馬加。馬加ばかりではなく西園寺派の武官達は暗い表情で嵯峨と醍醐を取り巻いた。
「そうは言うが……」
恨めしそうに醍醐は嵯峨を見つめる。だが当人はまるで二人の様子に関心が無いというように立ち上がった。
「響子さん。実は遼南からそば粉が送られてきましてね。昨日少し時間が空いたもので打ったのですが……どうですか?」
突然の嵯峨の言葉に響子は呆然と嵯峨を見つめた。緊張の糸が切れそうになったところでの嵯峨の一言。一瞬と惑ったあとで目の前の西園寺派の武官達の姿を見て留袖のすそを静かに引いて息を整える響子。
「ええ、ですがこの方達のお気持ちも……」
紫色の地味めな小紋が映える姿の響子。あまりに突拍子のないことを言ってきた嵯峨にさすがに彼の臣下の衆を代弁するように言って聞かせようとする。
「なあに、これくらいの人数なら酒の肴にざるそばを食べるくらいの量は持ってきていますよ。醍醐さんも一緒にどうですか?」
『なにをのんきな事を!』
叫ぼうとするのを押さえながら醍醐はゆっくりと立ち上がる。
「今は一分一秒が惜しいですから。辞退させていただきます」
そう思わず自分の声が上ずっていることに気づいて被官達に目をやる醍醐。しかし、嵯峨の突然の提案に彼らはただ目を開けて座っているだけだった。
「確かに大臣の公務は大変でしょうから。高倉さんとかには伝えておいてくださいよ。『あんたなりにがんばったね』って」
そう言いながら胡州陸軍の制服の両腕をまくる嵯峨。彼はそのままなれた調子で廊下へと向かう。彼を見送りながら醍醐は我に返って通信端末を開いた。
「ああ、私だ。高倉大佐の身辺を固めろ!詰め腹を切る可能性があるからな!」
醍醐はそのまま部下と連絡を取りながら嵯峨とは逆の方向、屋敷の正門に向けて早足で立ち去る。残されたのは保守派の支柱である烏丸響子女公爵と西園寺派の幹部と言える馬加達だった。
「奇妙なものですね。大公と我々が取り残されるとは」
馬加は思わずそう言いながら自分の娘より年下の響子の正面に座った。嵯峨が消えて醍醐が帰った烏丸家の広間にはこの家の当主とその思想に相容れない武官と官僚達が残されていた。響子はこの状況を見て気が付いたように笑顔になっていた。
「いえ、もしかしたらこれは泉州公のご配慮なのかも知れませんね。こうして皆さんとお話しする機会などあまり無いでしょうから」
そんな柔らかい口調の響子の言葉に馬加達は思い知らされた。この状況を作り出すことが嵯峨の意図したことではないかと。枢密院での論戦では常に平行線をたどる両者が面と向かって話せる場などこれまではどこにも無かった。
響子は四大公の一人とは言え、まだ23歳と言うことで派閥の統制が取れるほどの実力は無かった。そのことが先代の烏丸頼盛以来の重臣達に左右される不安を彼女に感じさせていた。一方、西園寺派には豪腕として知られる西園寺基義への配慮もあって烏丸派と接触を取ることを自重しているところがあった。
「やはりあの人は食えないな」
馬加は一人つぶやくと目を輝かせて彼の言葉を待つ響子に何を伝えるべきか思いをはせた。
季節がめぐる中で 36
誠の乗る輸送機は東和領空を後にしていた。輸送機中野居住性の悪い臨時司令室で黙ってモニターを眺めているアイシャの流れるような紺色の長い髪を備え付けのシートに座ってぼんやりと眺める。
「どうしたの誠ちゃん。もしかして……私にラブ?」
アイシャがそこまで言ったところでトイレにつながる自動ドアから出てきた要がアイシャの後頭部に手刀を叩き込む。
「くだらねえこと言ってないでモニターでも見てろ」
不機嫌な要に振り向いたアイシャは鼻をつまむ。
「またトイレでタバコ?トイレが詰まったらどうするのよ」
「携帯灰皿持ってるよ!」
要はそう言うと誠の隣の席に体を倒す。サイボーグの体の重さにぎしりと椅子がきしんだ。
「アイシャ。作戦開始時刻が伸びているのはどういうわけだ」
後部格納庫に連なるハッチから出てきたカウラが叫んだ。
「状況が変わってるのよ。ちょっとこのデータ……分かったわ。誠ちゃんとカウラちゃんこっち来て。要はそのまま後部ハッチから飛び降りてもいいわよ」
いつものようにアイシャの挑発にのせられそうになる要を制止してカウラは仮眠を取っているパーラのオペレーター席に腰をかけてアイシャの前に展開しているモニターを覗きこむ。そこには作戦空域がかなり広く取られた画面が映し出されている。そして重巡洋艦を旗艦とした胡州の艦隊が表示されていた。
「大気圏外に艦隊を展開か。ずいぶん大げさな話だな」
要は脳内にアイシャの前に展開している画像と同じものを見ているようだった。
「隊長も相当今回の作戦には慎重になっていると言うことでしょ。現在バルキスタンへの超高度降下作戦を展開可能な宙域に胡州の重巡洋艦『妙高』を旗艦とした艦隊が所定位置に移動中ってことらしいわね」
「『妙高』……胡州第三艦隊か。赤松のオヤジの手のものだな」
空いた席に足を伸ばしていた要がつぶやく。カウラも緊張した面持ちでアイシャの顔を見つめた。赤松忠満中将。嵯峨の無二の親友である第三艦隊提督。その人柄はかつてその秘蔵っ子として仕えた明石曰く臨機応変常に先を見て動く人物だった。
「僕達が失敗すれば第三艦隊の降下作戦が行われると言うことですか?」
誠の言葉にアイシャは一回大きく深呼吸をすると諭すようにゆっくりと言葉を継いだ。
「そうね、簡単に言うとそうだけど隊長も胡州の正規軍の介入は最後の手段と考えているはずよ。まず私達が現在にらみ合っているバルキスタンの政府軍とイスラム反政府勢力の衝突を止めるのが一番目の策。それが駄目なら『高雄』による直接介入と反政府勢力の決起で仕事が無くなった胡州の特殊部隊による首都制圧作戦を展開する。これが二番目の作戦」
「だが、二番目の作戦でも同盟にとっては大きな失点になるな。現在反政府勢力の浸透作戦が展開中で派遣されている同盟軍は孤立している部隊も出ているそうだ。政府軍寄りといわれている派遣部隊が総攻撃を喰らえばかなりの死傷者が出るだろう。当然そうなれば今度のバルキスタンの選挙は良くて無期延期。悪ければ地球の非難を覚悟してカント将軍に代わる政権の担い手をむりやり擁立しなければならない。当然そうなればすべての和平合意は白紙に戻される」
エメラルドグリーンの前髪を払いながらカウラは厳しい視線を誠に向ける。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直