遼州戦記 保安隊日乗 3
「まあそうでしょうね。あの人が有能な官吏で軍人だって事は私も十分承知していますよ。確かにあの人の立場に俺がいたら……そう、今回の作戦と変わらない作戦を提案するでしょうから」
『今回の作戦』と言う嵯峨の言葉に、西園寺基義は少し表情を強張らせた。
基義は外交官の出身である。戦時中はゲルパルトとの同盟に罵詈雑言をマスコミで繰り返し官職を取り上げられ飼い殺しにされていた彼は、戦局が敗北の色を帯び始めた時点で講和会議のために再登用された。地球軍に多くのコロニーを占領され、死に体であった胡州だが、そんな中で西園寺が目をつけたのは戦争遂行能力に限界の見えてきた遼北人民共和国だった。
素早く遼北の最高実力者、周喬夷首相を密かに訪れ電撃的な休戦協定を締結する方向に動く。遼北の停戦宣言で地球軍は胡州の首都、帝都のある第四惑星降下作戦発動のタイミングを失った。そして渋々講和のテーブルに付き戦争は終結へと向かった。その勲功により終戦を待たずして世を去った父重基を継ぐようにして政界へ西園寺基義を押し上げるきっかけを作った実績は誰も否定することが出来なかった。
嵯峨が『今回の作戦』と言う言葉を使ったことが、醍醐陸相から首相である西園寺基義に受けている作戦要綱以上の情報を嵯峨が手に入れていると言う意味であることを基義は聞き逃すことは無かった。
「それなら今の立場。遼州同盟司法局の実力部隊の隊長としてはどう動くんだ?」
その言葉に嵯峨は思わず笑みを漏らしていた。
「それは醍醐さんにも話しときましたよ。実力司法組織として、でき得る最高レベルの妨害工作にでると。加盟国の独走を許せば同盟の意味が無くなりますからね」
西園寺基義の表情は変わらなかった。そして、そのまま楓へと視線を移す。
伯父に見つめられた楓は首を横に振った。もとより西園寺基義は楓には嵯峨の説得が不可能なことはわかっていた。だが、とりあえず威圧をしておくことが次の言葉の意味を深くする為には必要だと感じていた。
「そうか。なら同盟の妨害工作が動き出すと。その命令はどのレベルからの指示だか教えてもらいたいな」
胡州も遼州星系同盟機構の構成国家である。比較的緩い政治的結合により地球圏からの独立を確保する。その目的で成立した同盟機構には超国家的な権限は存在しない。そのことを言葉の裏に意識しながら西園寺基義は血のつながらない弟に詰め寄った。
「同盟機構の最高レベル。そう言うことにしておきますかね」
嵯峨のその言葉は西園寺基義の予想の中の言葉だった。しかし、それは最悪に近い答えだった。
この胡州帝国は帝国とは名ばかりの皇帝の存在しない帝国だった。遼州独立戦争。この星系に棄民同然に送られた人々と、先住民族『リャオ族』の同盟が地球の支配に反抗して始まった戦争で胡州の祖先達は独立派の中で数少ない正規部隊として活躍し、『リャオ族』の巫女であったムジャンタ・カオラと言うカリスマを引き立てることで独立を手に入れることになった。
当時の遼州の各国家の意識はどれも国家意識と呼べるようなものではなく、独立の象徴として祭り上げられたムジャンタ・カオラを皇帝として元首に据えることを胡州は選んだ。
しかし、初代皇帝カオラの消息が消えると、事実上胡州はムジャンタ王朝の領土である崑崙大陸と決別し『皇帝不在の帝国』として今度は遼州内国家でのパワーゲームの一つの極をなす国家となった。
そしてその空位の皇帝の座の前で行われる今日の殿上会。
にやりとその意味を悟って笑う弟の姿に西園寺基義は背筋の凍る思いがした。
「それじゃあ、失礼するよ。ああ、そうだった康子が帰りには必ずうちに寄るようにって言ってたぞ」
そう言って立ち上がる西園寺基義。基義は兄の言葉に次第に青ざめていく弟を見ながら茶臼の間を後にした。
季節がめぐる中で 29
「なんだか増えてねえか?」
食堂に遅れて顔を出した要の第一声がそれだった。だが、誠は口の中の味噌汁の具のなすを飲み込んで苦笑いを浮かべるしかなかった。寮の前の市道には明らかにスポーツ誌の記者と思しき人物が行ったり来たりを繰り返していた。食堂で朝食をとる隊員達の視線も自然と誠達に集まってくる。
「明石中佐の話では不十分だったと言うことなんだろうな」
食事を終えていたカウラはそう言うとポットの番茶を自分の茶碗に注ぐ。そして三人は黙って目玉焼きを丸ごと口に入れようとしているアイシャを見つめた。
「何が?」
明らかにいつものアイシャに戻っていると言うことに気づいて三人は計ったようなタイミングで同じようなため息をついた。
「おい神前。何とかしてくれねえかなあ。あの文屋さん達。そのうち苦情が出ても俺は知らねえぞ」
そう言って三杯目のご飯を釜から茶碗に移すヨハンに同調するように整備班の隊員達が首を縦に振る。誠も朝のニュースでアイシャをめぐる状況がさらに変化したことを知っていた。
法術適正のあるアスリートに法術関連の研究施設における明確な回答が出るまでの間、一般試合はもちろん練習試合の出場を停止する処置を取るべきだと言う国際体育連盟の発表がどのチャンネルでもトップニュースになっていた。
これまで、噂と先走った競技団体の間だけの話がスポーツ界全体の意思として公表された。来週の東和職業野球のドラフト会議において、半数近い有力選手が指名を回避されると言う野球評論家の困ったような顔が妙につぼに入って誠の頬に笑みが浮かんできた。
「こりゃあ確実にアイシャ・クラウゼ内野手の誕生ってことになりそうだな」
要の言葉はそのことを喜ぶと言うよりも、その言葉でアイシャがどう反応するかを楽しみたいと言うような気色がありありと見えた。そんな彼女の言葉をカウラもとめることをしない。
「でも、指名が確実になったわけでもないし……それにまだどこかの球団からアクションがあったとか言う話しは……」
「ああ、あったわよ」
誠は突然のアイシャの言葉に驚いて彼女の顔を見つめた。
「どこだよ!言えよ!」
そう言いながらご飯に味噌汁をかけている要。その出自のわりに西園寺要は悪食だった。
「一応協約の絡みとかあるから口外は避けてくれって」
そう言うとアイシャは飲み込んだ目玉焼きの次とばかりに茶碗のご飯に取り掛かる。
「口外するなって、してるじゃねえか今。ってまさか……」
「ええ、私はプロには行かないから」
そう言うと黙々とご飯だけを食べ続けるアイシャ。カウラも誠も、要やヨハンまでその一言に呆然とした。
「おい!嘘だろ?一気に有名人になれるかも知れないって言うのに……」
「要ちゃんが言っても説得力無いわよ。それに別に私は有名人になりたいわけじゃないし」
いずれは胡州帝国の重鎮になることが宿命付けられている要にはっきりとそう言い切るアイシャ。
「明石中佐には話したのか?」
飲み干した番茶をポットから継ぎ足すカウラ。
「ええ、今朝電話したわ。だから前の取材陣も……」
「いや、そうは行かねえだろうな」
そう言うと要は一気にどんぶり飯を口に掻きこんだ。アイシャがプロへ行かないといい始めてから要の口元は明らかに緩んでいた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直