遼州戦記 保安隊日乗 3
黙って咳き込むカウラを見ながら悪びれもせずに答える要。確かにこの保安隊下士官寮に誠の護衛と言うことで同居を始めたカウラ、要、アイシャの三人はできるだけ他の部屋に入らないようにと寮長の島田が説明しているところに誠も同席していた。そのことを盾に不法侵入を繰り返すアイシャに要が制裁を加えている場面には何度か行き当たっていた。
「別に制裁なんて……どうせ昨日も泥酔した僕が暴れて看病でもしてくれていたんじゃないんですか?」
そう言う誠の顔を見て、タレ目を光らせながらばつの悪そうな顔をして頭をかき始める要。
「……お前、力の加減くらいはしろ」
ようやく息を整えたカウラが要をにらむ。
「あー、頭痛い。誠ちゃん起きた?」
そう言ってさも当然のように入ってくるのはアイシャだった。シャワーを浴びたばかりのようで胸にタオルを巻いただけのあられもない姿でドアを開けて立っている。要は誠を指差す。
「元気そうじゃないの。ごめんね、昨日はどこぞの馬鹿が飲んだらどうなるかわからないちびっ子に酒を飲ませたからこんなことになっちゃって……」
そんなアイシャの言葉で昨晩意識を失う直前に見た薄ら笑いを浮かべる幼女、ランの表情が思い出されて頭を押さえる誠。
「そう言えば今は何時ですか?」
そう言う誠に要が腕時計を見せる。まだ7時にはなっていない。とりあえず余裕がある時間だった。
「あの、お願いがあるんですが」
誠は三人を見回す。察したアイシャはそのまま出て行った。
「着替えたいんで」
その言葉でようやく要とカウラは立ち上がった。
「先に飯食ってるからな」
ドアを閉めて去っていく要。誠はゆっくりと起き上がるとアニメのポスターの張られた壁の下にある箪笥から下着を取り出す。
そしてすぐドアを見つめた。隙間から紺色の髪が見え隠れしている。
「あの、アイシャさん。なにやってんですか?」
そんな誠の言葉で静かにドアが閉じられた。
隠れていたアイシャを追い返すとそのまますばやく着替えを終える。そして廊下に出ると誰にも行き会わずに食堂に入った。いつものことながら技術部法術技術技師長、ヨハン・シュペルター中尉が食事当番の時の朝食は豪勢である。
最高級のウィンナーとハム。それにスクランプルエッグが食欲を誘う。どれも材料は東和の有機栽培農場から取り寄せた最高級品とシャムの育てた菜園の恵み。食べることに人生をかけているヨハンは自分の給与を割いてまで食卓の充実に力を尽くしていた。それを味わうこともなく口に詰め込む要。
「要ちゃんは味なんてわからないんでしょうね」
そう言いながら緑色のジャケットを着たアイシャがちゃんとマスタードを塗りながらウィンナーソーセージを食べている。
「そう言えば今日から隊長休みだったわよねえ」
「知らねえよ、アタシは叔父貴の保護者じゃねえんだから」
周りは半分も食べていないと言うのに皿の隅に残った卵のカスを突くだけになった要が答える。
「殿上会。お前も恩位で伯爵の爵位を持っているんだから出ないといけないんじゃないのか?」
そう言いながらトマトを箸で掴むカウラをあからさまに嫌な顔をした要が見つめる。当主ではない要も一応は胡州の有力貴族の息女として女伯爵の位を持っていることは誠も知っていた。
「誰が出るかって!あんな鼻持ちなら無い公家連中の相手なんて想像しただけで吐き気がするぜ」
そう言いながらテーブルに置かれたやかんから番茶を汲む要。
「そう言って、実は康子様に会うのが嫌なんじゃないの?」
アイシャのその言葉にびくりと震え、静かに湯飲みをテーブルに置く要。
「康子様?」
不思議そうに要の顔を見る誠。その名前を聞いてから確かに要の行動がどこか空々しいものになっている。
「ああ、この胡州四大公筆頭西園寺要嬢のご母堂様よ。まあ胡州帝国西園寺基義首相のファーストレディーと言った方が正確かしら」
タレ目で迫力が減少しているとは言え、明らかに殺意を込めた視線をアイシャに送りながら要は番茶をすすっている。
「別名、遼州星系最強の生物」
そう付け加えると茶碗の中の最後のご飯を口に突っ込むカウラ。
「要さんのお母さんがですか?」
「そう言ってたろ、こいつ等も」
ぎこちない動きを見せる要に思わず噴出しそうになる誠。だが、ここで噴出せばただではすまないと必死にこらえて茶碗のご飯を無理やり喉に押し込んだ。
「まあ康子様からの電話を取り次いだ時のあの隊長の恐怖に震える表情は最高だったけどねえ」
そう言いながら自分の手元にやかんを持ってくるアイシャ。
「体調がびびる……つまり凄い人なんですね」
「凄いんじゃねえよ、ただのアホだ」
誠の言葉に、要はそう自分の母を切って捨てた。
「あんまりそう言うこと言うもんじゃないわよ。当代一の薙刀の名手。自慢くらいしてみなさいよ。ああ誠ちゃん酒臭いわよ。たぶん空いてるからシャワーでも浴びてきなさいよ。そのままじゃ姐御達にいろいろ言われるわよ」
アイシャはそう言うと誠の肩を叩いた。
「30分で支度を済ませろ。遅れたら置いていくからな」
カウラもそう言うと立ち上がった。誠は番茶も飲めずにそのままシャワーへいかなければならない雰囲気に立ち去らなければならなくなっていた。
季節がめぐる中で 16
「お待たせしました」
そう言って駆け寄る誠を見上げたのは寮の入り口の隅の喫煙所でタバコをくゆらせている要だった。
「あの、アイシャさんとカウラさんは?」
「気になるの?」
そう言って突然誠の後ろから声をかけるアイシャ。振り返るといつもと変わらぬ濃い紫色のスーツを着込んだアイシャと皮ジャンを着ているカウラがいた。
「それじゃあ行くぞ」
そう言って寮を出る。空は青く晴れ渡る晩秋の東都。都心と比べて豊川の空は澄み渡っていた。
「こう言う空を見ると柿が食べたくなるな」
そう言いながら路地にでた要。カウラはそんな要の言葉を無視して歩いていく。緊張が走る中、ドアの鍵が開かれるといつも通り真っ先に助手席を持ち上げて後部座席に乗り込む要。そんな要と渋々要の隣に乗り込む誠を見た後、アイシャはそのまま助手席に乗り込んだ。
ガソリンエンジンがうなりをあげる。
「確かに遼州は石油が安いけどもう少し環境に配慮したエネルギー政策を取ってもらいたいわね」
手鏡で自分の前髪を見るアイシャ。動き出したカウラの車はいつものように住宅街を抜けた。いつもの光景。そして住宅街が突然開けていつも通りの片側三車線の産業道路にたどり着く。昨日の醜態を思い出して沈黙を守る誠。三人の女性の上官は察しているのか珍しく静かにしている。順調に走る車は渋滞につかまることも無く菱川重工業豊川工場の通用門をくぐる。
「生協でも寄っていくか?」
カウラが気を利かせてアイシャにそう言うが、アイシャは微笑んで首を振る。そのまま車を走らせて保安隊の通用門。マリアの部下の警備兵達はあくびをしながらゲートを開けた。
「おい、叔父貴、来てるじゃねえか。なにかあったのかね」
駐車場に止められた白い軽乗用車。スバル360。嵯峨の愛車である。
「本当ね、忘れ物でもあったのかしら」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直