遼州戦記 保安隊日乗 3
「馬鹿言うなよ。ビールは喉越しっていうだろ?舌で味わうと苦いばかりだったが、冷えたのを喉に流し込むと結構いけるじゃねーか」
そう言って飲み干したグラスを再びアイシャの方に向けるラン。
「さあ、皆さん。こちらをどうぞ!」
階段を上がってきた春子と小夏が次々とテーブルにお好み焼きの素を置いていく。
「豚玉!」
「はい、師匠は三つですよね」
叫ぶシャムに小夏が三つの豚玉の小鉢を渡す。
「そう言えば久しく食ってねーな。お好み焼きは」
「じゃあ、えび玉はどう?」
ランにえび玉を渡す春子。気の早いマリアはリアナと一緒にイカ玉と格闘を始めた。
「後は明石さんが遅れて来るんでしたっけ?」
「まあ、本部に行ったわけだからそう簡単には帰してくれねえだろうけどな」
春子の言葉を聞きながらビールを煽る嵯峨。
「しかし、ビールを克服されるとは……」
「おう、要。何でも来いよ!」
また注がれたコップを空にしたランは嬉しそうに要を見上げる。
「それじゃあこれは……」
そう言って自分のラム酒を取り出そうとしたところで明華にその腕を掴まれた要。
「なに、今度はランをおもちゃにする気?ちゃんと自分ので遊びなさいよ」
そう言って誠を見る明華。要はにんまりと笑ってグラスに手を伸ばそうとする誠をさえぎってそれを取り上げた。
「そうだよなあ、オメエと遊んでやらねえと」
そう言うと要は誠のグラスになみなみとラム酒を注いで誠の前に置いた。
「これ、飲まないと駄目なんですよね」
沈んだ声を出す誠。要と明華、そしてランの視線が誠に集まる。
「あの体格だ、結構飲めんだろ?コイツも」
「いや、こいつは飲みすぎると面白いことになるからな」
ニヤニヤ笑みを浮かべながら小声で話し合う明華とラン。
「許大佐。ちょっと神前を苛めるのはやめた方がいいですよ」
カウラはそう言って烏龍茶を口に含む。彼女の焼く鉄板の上の野菜玉が香ばしい匂いを放っている。
「ドサクサ紛れに早速焼きやがって」
その様子を見た要が対抗してイカ玉を鉄板に拡げた。
「あの、西園寺さん。どうしてもこれを飲まなければいけないんですか?」
さすがにこれから教導に来てくれる教官を前に無作法をするわけにはいかないと、誠はすがるような気持ちで要に尋ねる。
「ああ、じゃあ隣の下戸と一緒に烏龍茶でも飲んでろ」
そう言うと要は自分のイカ玉を小手で馴らした。
「うめーな、ビールって」
そう言って手酌でビールを飲み続けるラン。
「でもランちゃん顔が赤いよ!」
巨大な豚玉にソースと青海苔をかけながらシャムが突っ込みを入れた。
「後は烏龍茶にしたほうがいいな」
自分の隣の瓶を空にしたマリアが小夏が気を利かせて持ってきたウォッカのボトルに手を伸ばしている。
「そうですよ、中佐。タコ中が来たときには本当に真っ赤になってるんじゃないですか?」
アイシャがそう言うが、聞かずにビールを開けては面白そうにグラスに注ぐ行動を続けているラン。小さなランが次第に顔に赤みを帯びていく様を楽しそうに見つめている要の隙を見つけると、誠は素早く小夏に要に注がれたラム酒のグラスを渡し、新しいグラスにビールを注ぎなおす。
「あー、いい気分」
ご満悦のラン。リアナ、マリア、明華の三人はさすがに言っても無駄だと自分達のお好み焼きを焼くことに集中している。
「ああ、来たみたいだぜ、タコ」
吉田の言葉を聞いていたのはカウラとパーラ、そして誠くらいだった。
「ああ、やっぱそれくらいにしろ。後はジュースでも何でも飲めよ」
一応上官であり、アサルト・モジュール教導の師でもあるランに気を利かせて要が言ってみた。
「なんだ?アタシに説教とはずいぶん偉くなったじゃねーか、要よー」
その要を見る目は完全に座っていた。この時になってようやく要は間違いに気づいた。すでにアイシャとパーラは何かを感じたとでも言うように黙ってえび玉を焼いている。
「ああ、すんませんなあ。ワイの分もあるでしょうか?」
独特のイントネーションで喋る大男、明石清海(あかしきよみ)中佐が階段を上がって顔を出した。
「おう、先にやらしてもらってるぜ。ランは……」
嵯峨がランの鉄板を見ると、もう飲むことをやめたランが不自然な笑いを浮かべながら座っている。仕方が無いと言う表情でアイシャとパーラの鉄板をすり抜けてランの隣に体をねじ込む明石。
「空酒はいかんのう。ちゃんとワシが焼いてやるけ、どれがええか?」
そう言ってメニューをランに見せる明石。
「おう!それじゃあこの広島風で!」
そう言って焼きそばののったお好み焼きを指差すラン。
「あの!ほんますいませんなあ、春子さん。広島風のデラックス、二つおねがいしま」
空のグラスを見つめる明石の視線を感じて素早くアイシャの隣に置いてあるビールの瓶を持って近づく誠。
「よう気がつくのう」
そう言いながらにこやかに笑いつつグラスに注がれていくビールを明石は眺めていた。明石の手と比べると小さく見えるグラスに注がれたビールだが、明石は当然のように一息で飲み干す。
「ああ、ええのう。全く生き返るわ」
そう言うと明石は誠に空いたビールを差し出した。誠は慎重にビールを注ぐ。
「ああ、隊長。本局には高梨の旦那も来とりましたわ。誘うたんじゃけどあの御仁、頭が硬とおまんな」
再び一息でグラスを空けた明石は誠からビール瓶を奪い取った。
「ワレも食え。後はワシがやるけ」
明石はこう言うところで気が回る性格である。確かに見た目はヤクザ以外には見えないがあの気難しい明華が結婚を決意したのも頷ける男気があると言うものだった。
「ああ、焼いてあげてるわよ、誠ちゃん」
誠の野菜玉を転がしているのはアイシャだった。要とカウラが、なんとか手を出そうとしているが、こう言う気を使うことにかけてはアイシャが抜け出している。だが、手が空いた誠がビールを飲み始めると、すぐにタレ目の要のこめかみに青筋が立った。
「あっ!神前!テメエアタシの酒を捨てただろ!」
要の怒鳴り声で思わず噴出す誠。アイシャはそれを無視して焼きあがった野菜玉を切り分けて誠の前に置いた。
「毎回いじられてばかりじゃかわいそうでしょ?はい、誠ちゃん口を開けて!」
そう言って自分の箸に掴んだお好み焼きを誠に向けるアイシャ。
「あ!俊平!見てみな!」
誠とアイシャの姿を見つけたシャムが大声で叫ぶ。マリア、リアナ、そしてパーラが誠とアイシャを見つめた。
「何やってんだ!この色ボケ!」
そう言って顔を突き出す要にアイシャは気おされる風もなく逆に睨み返す。
「あら、なにか私、変なことしてるかしら?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直