遼州戦記 保安隊日乗 3
立て付けの悪いガラス戸を開いて入った廊下には、夜間訓練を終えて着替えを済ませたばかりというような東和陸軍の兵士達がたむろしていた。自動販売機の前でたむろしていた四五人の兵士達の視線が二人を見つける。突然来訪したシンと誠だが、東都陸軍と仕様が同じ保安隊の制服を見て、彼等はすぐに関心を失って雑談を再開した。
「とりあえず実験は明日の朝一番に行う予定だ。神前は仮眠室で寝ていろ。細かい打ち合わせは俺がする」
そう言うとシンはそのまま雑談する陸軍の兵士達を横目に見ながら隣にあるエレベータに乗り込んだ。誠はそのまま周りを眺める。何度か幹部候補生養成課程で来たことのあるこの建物。構造は分かっているのでそのままロビーを抜け狭い廊下に入った。
東和陸軍裾野基地は東和でも最大級の演習場を抱えている。今回は誠の専用機持込での法術兵器の実験ということしか誠は知らされてはいなかった。嵯峨は元々憲兵上がりと言うこともあり、情報管理には非常に慎重を期すタイプの指揮官だと言われていた。これまでも何度か法術系のシステム調整の出張があったが、多くは実際に実験が始まるまで誠にはその内容が秘匿されることが普通になっていた。
誠はそのまま仮眠施設のある別館へと向かう渡り廊下にたどり着いていた。正直金に厳しい東和軍らしくかなり老朽化した建物に足を踏み入れるのは気の進む話ではなかった。
そのまま湿気のある空気がよどんで感じる基地付属の簡易宿泊所に足を踏み入れる。別棟の女子の宿泊所はかなり設備も整っていると聞いているが誠が今居る男性隊員用の宿泊所はいかにも手入れが行き届いていないのが良く分かる建物だった。暗い廊下を歩いていって手前から三つ目の部屋が空いているのを見つけた。どうせ今の時間なら管理の担当職員も帰った後だろう。そう思ったので誠は管理部門への直通端末にデータを打ち込むこともせずにその部屋のドアを開いた。そして、そのまま安物のベッドに体を横たえて、訪れた睡魔に身を任せた。
季節がめぐる中で 3
日差しを浴びて目覚めた誠は硬い簡易ベッドから身を起すとそのままシャワー室へと向かった。昨日あれだけ酷使した左腕を何度か回してみるが、特に違和感は無い。そのまま食堂で施設管理の隊員や教導官達に囲まれて食事をしたがそこにシンの姿は無かった。
敬虔なイスラム教徒である彼が別のところで食事をすることはよくあることなので、誠も気にもしなかった。そして疲れた雰囲気の試験機担当の技師達を横目で見ながら携帯通信端末をいじる。
特に小隊長のカウラからの連絡も無いのを確認すると急いで典型的な焼き魚定食を食べ終えて昨日のシンの指示通りハンガーへと向かった。
一両の見慣れた05式専用の運搬トレーラーの周りに人だかりができている。
「マジかよ……」
「写真撮って配ったりしたら受けるかもな」
「アホだ……」
作業着姿でつぶやく陸軍の技官連中を見ながら、誠はトレーラーの隣のトラックの荷台から降りてきたヨハンと西、そして見慣れた整備班の連中を見つけた。
「神前さん!」
西が声をかけると野次馬達も一斉に誠の顔を見て口をつぐんだ。ちらちらと誠達を見つめてニヤニヤと笑う陸軍の将兵。
「とりあえずパイロットスーツに着替えろよ」
そう言うとヨハンはばつが悪そうに手にしていた袋を誠に手渡す。その表情は昨日の自分のミスを悔いるような様子が見て取れて誠は愛想笑いを浮かべた。
「いいですよ、気にすることは無いですから」
誠はそう言ってヨハンからパイロットスーツを受け取るとそのままトラックの中に入って着替えを始める。そんな彼等の周りを付かず離れず技官達が取り囲んでいるような気配はトラックの荷台の中でも良く分かった。
「おい!お前達。仕事はいいのか!」
外ではヨハンが叫んでいた。彼の階級が中尉と言うこともあり、ぶつぶつ言いながら陸軍の野次馬達は退散しているようだった。誠はそんな言葉に自嘲気味に笑うと作業着を脱いだ。
「まああいつ等の気持ちもわかるがなあ」
荷台の外からのヨハンの皮肉たっぷりの口調。
「駄目ですよシュペルター中尉。中で神前さん着替えているんですから」
「そう言うがよ、西。あれ見たら誰でも突っ込みたくなるだろ?」
着替えながらも誠は二人の雑談を聞いていた。誠は胡州で起きたクーデター未遂事件、通称『近藤事件』での初出撃七機撃墜のエースとして自分の愛機にオリジナルの塗装を施すことを許される立場となった誠。そこで彼はアニメのヒロインキャラを描きまくった塗装を希望した。当然却下されると思っていたが隊長の嵯峨は大喜びでそれを許可した。
そして生まれた痛車ならぬ『痛特機』の噂は銀河を駆けた。誠も暇なときにネットやアングラの同人誌などで自分の機体が紹介されているのを見るたびに暗澹たる気持ちになったがココまで来るともう後には引けなかった。頬を両手で叩いて気合を入れると誠はヨハンと西の雑談を聞きながら着替えを終えて外に出た。
「どうだ?調子は」
作業服に身を包んだシンが歩み寄ってくる。髭面が特徴の上官に礼儀程度の敬礼をする誠達。その姿に苦笑いを浮かべると手にしていた書類に目を通すシン。
「とりあえず神前は3号機の起動、西達は立ち会え。シュペルターは俺と一緒にデータ収集だ。本部に行くぞ」
『了解しました!』
ヨハン達は今度はそれらしく一斉に敬礼をする。シンがそれを返すのを見るとすぐに西はトレーラーの運転席に走る。
「とりあえずコックピットに乗っちゃってください。デッキアップしますんで!」
西はドアの前でそう言うとトレーラーに飛び込んだ。それを見ながら誠はそのままトレーラーの足場に取り付いた。
薄い灰色の機体の上を歩いてコックピットに入った誠は慣れた調子でエンジンの起動準備にかかる。この05式を本格的に動かすのは近藤事件以来である。だが、搭載された05式のシミュレーションで機能は散々使い慣れていた。シミュレータが配備されていない保安隊ではこの機体に保安隊の頭脳とも言われる吉田俊平少佐の組んだシミュレーションプログラムを走らせての訓練がその内容の大半を占める。主に近接戦闘、彼の05式乙型らしい法術強化型サーベルでの模擬戦闘。とりあえず接近できれば吉田達第一小隊の猛者とも渡り合える自信がついてきた。
「神前さん!各部のチェックはいいですか?」
広がる全周囲モニタの中にウィンドウが開き、西の姿が映った。
「ああ、異常なし。そのままデッキアップを頼む」
誠の言葉に西が頷くと誠の体が緩やかに起きはじめた。周囲が明るくなっていく、誠はハンガーの外に見える廃墟のような市街戦戦闘訓練場を眺めていた。そしてそこに一台のトレーラが置いてあるのにも気付く。
「西!あそこに見えるのが今日のテスト内容か?」
神前の言葉に、西はそのまま一度05式用トレーラーから降りてハンガーの外の長い砲身をさらしている兵器を眺めた。
「ああ、あれが神前さんのメインウェポンになるかもしれない『展開干渉空間内制圧兵器』ですよ」
淡々と答える西の言葉に誠はいまひとつついていけなかった。
「展開……干渉……?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 3 作家名:橋本 直