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珈琲日和 その1

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初めまして。
僕は、都会の隅っこで小さな喫茶店を営んでいるしがない男です。
僕の喫茶店は、ひょっとすると見落としてしまうくらい暗く狭い路地にありますが、それでも老若男女関係なくさまざまなお客様がいらっしゃいます。年齢や背負っているもの、歩んできた人生こそ違えど、人生を必死に戦って生き抜いてきたところはどなたも同じなのかもしれません。いずれにしても僕にとっては大切な愛すべきお客様。
うちの店は規模の小ささから僕一人でも充分に回るのですが、稀になにかのめぐり合わせで誰かが働いていたりします。
今回お話しようと思っているのは、そんなアルバイトの1人。とある女性のお話です。
その女性は、僕の何人目かの恋のお相手でもありました。
出会ったころの彼女は、自分の事を「不幸せな女」だなどと公言するような人でした。けれど、僕からみると、不幸せと言うよりはどちらかというと「哀れな女性」だなと感じられました。
彼女はとても美しい人でしたし、外見の容姿はもちろん、性格も穏やかで優しくて勝気でとても魅力的な女性でした。
あらゆることを理解しようと努め、そのせいで何事も覚えが早く、まさに絵に描いたような理想の女性として、ちょっとした噂になってもおかしくないほどです。けれど、彼女は「哀れな女性」だと僕は思っていました。
「哀れ」という言葉は、誰かが誰かの基準で勝手に決めて、勝手に口にしていいことだとは思えなかったのもあり、僕は決して口には出しませんでしたが。
一般的に女性に向かって「哀れな女」だなんて言おうものなら、その女性を不快にさせ憤慨させ、あるいは嫌われてしまうでしょう。よっぽどその人があまりに絶望的な人生を送り続けているだとか、誰から見ても気の毒だと思うのなら話は別ですが。

僕が彼女を初めて見かけたのは、秋でした。
まだ幼い男の子の手を引いた彼女は、雲1つない秋空の下、銀杏の降り積もる黄色い公園をゆっくりと歩いていました。
物憂げそうに俯いた彼女とは反対に、空から舞い落ちてくる銀杏の葉を掴もうと躍起になっている男の子。
その時は、少し気になる絵を見つけたような感じで、取り立ててなにかを思うこともありませんでした。近所に建設中の大型のショッピングモールがどのくらいの規模なのかを見ておこうと、工事現場に足を運ぶ途中にすっかり忘れてしまったくらいです。
最近、ショッピングモール建設現場で働いている作業員の方々が昼休みに押し寄せてくる日が続いていたため、僕1人では店を回しきれずにちょっと困っていました。
工事がどのくらいの規模で、いつまでに完成なのかを把握しておきたかったので、ようやく作った休みに買い出しがてら現地に見に行き、募集をかけるかどうかを検討するつもりだったのです。
下見の結果、工事の期間が長いこともあり、募集をかけることにしました。とは言え、店の表に張り紙をしただけの祖末の募集広告です。工事が終わってしまえば僕1人で充分だと考えていたので、1人しか採用しない予定でした。
けれど、狭くて暗い一見さんお断りムードが悶々漂う路地裏の怪しげな喫茶店の店先。無造作に張られた小さな紙切れを誰が目に止めるでしょう。
それもそのはず。裏路地に探検気分で入り込んできて、この蔦だらけの店に目を止めるか、わざわざ来るかしない限りわからないように募集の紙を貼ったのですから。僕の気持ちとしては、店に一回でも来たことのある人をとりたかったのです。
店のお客様はほとんどが常連ばかりで、時々間違ったように若いアベックなんかがオドオドしながら入って来たりします。
「ありゃーきっと初デートだねー間違いねぇよ。」
開店当初からの常連のシゲさんが、いつものように持参した新聞を広げてホットカフェオレを頼みながら冷やかし始めました。
「そうですよ。僕らも通りました。青い春です。あの時分は女の子を見るのすら照れましたね。」
僕はカフェオレを作りながら、シゲさんの好物ミックスサンドウィッチの準備を始めました。
「おりょ?マスターにもそんなピュアな時代があったんかねぇ」
視線をカップルから僕に移しながら、シゲさんが意外そうな顔をしました。
「そりゃ、ありますよ。もしかしたら今だって・・・」
僕がにやっとしてみせると、シゲさんは大袈裟に吹き出しました。
「ぶっ、はっはっはっ!ほうけほうけ。そうだなぁー。ちげーねぇやね!」
アベックの注文は、クリームソーダと林檎ジュースでした。
注文内容を知ったシゲさんは「くっくっく。本当にうぶだねぇー」と笑いをかみ殺しました。そんな店を覆う蔦にひっそりと埋もれた募集広告に惹かれて応募してくる人は、当たり前といえばそうですがゼロでした。いつまでも応募がないので、すっかり常連になったショッピングモールの建設現場で働くおじちゃん連中によく茶化されました。
「なんだ、なんだー出会いの女神は、こんな小ちゃな店には振り返ってくんねーみてーだなー」
「俺達が交代で働いてやろうかー? 警備の服きたまんまでもえーかな? がっはっは!」
そんなタイミングでした。
僕の喫茶店に張り出してある「スタッフ募集」を見たと言って彼女が来た瞬間、僕の頭に「巡り合わせ」という言葉が閃いたのです。
「私、頑張ります!」
公園で見た憂鬱そうな顔とはちがう無邪気そうな顔で彼女は言いました。
「うん・・・まあ、頑張ってもらわなきゃ、困るしね。」と、少し経営者の威厳を持った僕。
顔を真っ赤にして気まずそうに俯いてしまった彼女をしばらく見つめてから、僕から質問をしてみました。
「どんな音楽が好きなの?」
嬉しそうに顔を上げた彼女が、口をへの字にして考え込みました。
しばらく考え込んだあげく「何でも聞くんです!こだわりは特にないです!」と、在り来りな返事。
・・・ ま、いいけど。
そのタイミングで、常連のお客様が入っていらしたので、「詳細は後ほど連絡します」と手短に伝えて面接を打ち切りました。彼女は店に来た事はありませんでしたが、背に腹は代えられません。
募集を始めて数ヶ月。他には誰も来なかったのです。
その日から、彼女は僕の人生の一部に関わるようになりました。
彼女は「おはようございます!」と、元気に出勤してから、「お疲れ様です!一日ありがとうございました!」と帰るまで笑みを絶やしませんでした。
うちの喫茶店は裏路地の立地条件もあり薄暗く、昼間でも日の差す時間が極端に短いため一日中小さなランプがあちこちに灯っています。
また、僕の気の向いた時しか精を出してやらないという怠け者の性分から、薄暗めの店内はよく見ると少し汚くて、おまけにちょっと埃臭くもありました。けれど暗いことに託つけて、天井の隅っこに引っ付いているもう1人のアルバイト、蝿取り蜘蛛小太郎に気付く人はあまりいません。
そんな年季の入った店内を慎重に掃除をしてくれていた彼女の笑顔はまるで太陽のようでした。彼女はすぐに店の人気者になりました。
まだ半年も経っていないのに仕事の覚えも早い為か、店にしっくりと馴染んでいたのです。
作品名:珈琲日和 その1 作家名:ぬゑ