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鳥のいる風景

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各駅停車のディーゼルカーのたてる憂鬱なエンジン音が昨日から続く夢から俺は弾き跳ばして、硬すぎる座席の上に叩きつけた。窓の外には汚らしいくらいに茂り続ける広葉樹の森。視界は開けたり無くなったり、下のほうに光ってみせるのは地図で見たY川の水面だろうか。
 昼下がりののんびりとした空気の中、誰もが思い思いにゆっくりと流れる空気の中に佇んでいる。向かいの七人掛けのロングシートには、等間隔に四人の客が座っている。
 一番右端、丁度俺の正面に座っている女子高生。ときどき目が合うたびに、まるで汚いものにでも出会ったかのように顔をしかめてみせる。その隣には小豆色のふろしきに包んだ、自分の胸のあたりにまで積み重ねられた荷物を座席の前に置いて、首に巻いた手ぬぐいで額の汗を拭っている老婆。それも一段落すると、駅のゴミ箱から拾ってきたようなしわくちゃのスポーツ新聞を広げて芸能欄ばかりを飽きることなく読み続ける。左端には平和そうな山歩きの二人。お互いに相手を意識したように真正面を向いて視線を固定している。
 もう一度、外の変わる事の無い景色に目を移した。相変わらず外を流れる木の葉の群れはどれもこれも申し合わせたように鈍い緑色の光を俺の顔に向かって反射しながら俺の行く先の風景をわざと遮ってみせる。列車はその合間を蛇行しながら黙々と山中へと分け入ってくる。腕時計を見る。もう少しで駅に着くようで、列車は減速しながら窪地のようなところを進んでいく。ほったて小屋のような家のそばではいつ倒れてもおかしくないような老人がトラクターの修理をしている。
 ディーゼルカーは、木造の駅舎の手前で気持ち悪そうに体を震わせながら停止した。俺が立ち上がっても車内の乗客は一人として反応を示さない。まるでここには駅などという物は存在しないとでも言うように、彼らは無関心を装い続けている。
 半自動のドアを引き開け、砂利の敷き詰められたホームに降り立った。車掌は俺と視線を合わせるのを拒むかのように、上目遣いに電柱に引っ掛けてあるタブレットを手に持つとそのまま車内へ引っ込んだ。ディーゼルカーがまた鈍いうなり声を上げて動き始め、車体の下から黒い排気ガスと、息苦しい熱気が俺の顔面を嘗め回しに来た。俺はその煙を避けるべくトタン葺の古めかしい屋根に入った。
 ポケットから切符とハンカチを取り出し、右手に持ったハンカチで額の汗を拭いながら時代物の駅舎に填められた木の枠を持つ窓のほうを見つめた。中には二人の駅員がこのように客も降りない駅だというのに、いかにも忙しそうに立ち働いていた。一方は風邪でもひいているのか、口のところにマスクをしている。
 そのうちの一人、マスクをしていない方の駅員が、雑巾を持ったまま窓枠の方に顔を向けたとき、ようやく珍しい降車客を見つけたのか、マスクをしている方の駅員の肩を叩くと手にした雑巾を放り投げてそのまま奥の部屋へと消えていった。もう一人は机に張り付いたまま俺のことを無視しているように帳面に張り付いている。俺はとりあえず改札口に行こうと駅舎を横手に見ながら歩き始めた。
 寂れきった駅前の風景を見ながら改札口に行くと、いつの間にやってきたのか二人の駅員が先を争うようにして改札口に立とうとしている。二人ともその定位置を確保することに一生懸命で、俺のほうは眼中にないと言ったような感じで俺は改札口の手前で立ち往生してしまった。
「困るなあ、それじゃあ通れないんだけど」 
 俺のこの言葉が聞こえたのか急に争うのを止めて、一番俺に近かったマスクをしている方が切符を受け取り、俺はようやく改札口をでることができた。
 売店すらない待合室を抜けて駅前に出た。そこは丸いロータリーのようになっているだけで、その近くに店のようなものは何もない。ただ、かつて店であったと言うような建物が、分厚い扉を閉めたままさもそれが当然のような顔をして立っている。
「お客さん、何か待ってらっしゃるんですか」 
 マスクをしていない方の駅員が後ろからそう訊ねる。二人は相変わらずお互いに牽制をしながら突っ立っている。
「いや、たぶんバスぐらいあるかと思ってね。十年前に来た時は確か走っていたような・・・」 
「いやだな、お客さん。この駅にバスが走っていたことはただの一度もありませんよ。少なくともあたし達がこの駅の駅員になってから近くの小学校の遠足のためのバスが止まるくらいでそんな路線バスなんか一度だって来た事はないですよ」 
 俺はその奇妙なほどに親切ぶった視線を逃れるべく残忍な日差しの照りつける広場に出た。二人は一度戸惑ったようにお互いの顔を見合わせたままその場に突っ立っていた。
 照りつける日差しにどうにも耐えられなくなって日陰に後ずさりを始めたとき、駅前のロータリーに一台の黒い大型車が止まった。俺は一人、公衆電話すらない駅の改札の前でこの暑さにはふさわしくない深紅のネクタイを締めた男をぼんやりと見つめていた。ちらちらと俺のほうを見つめ、軽く右足を踏み出して俺のほうに向かおうとするが、少し気が変わったと言う様に一度首を傾げて、そのまま立ち止まる。かつて俺を同じようにして迎えた事が何度と無くあった時そのままに目を伏せてようやく決心がついたかのようにして向かってくる。変わらない七三わけの脂ぎった髪の下にある顔が、少しだけ昔より太っているように見えた。
「いやあ、待たせたね」 
 相変わらず消え入るような小さな声、そのくせ語感は一つ一つはっきりとしている。決して俺と視線を合わせようとはせず、ただうつむいたまま俺がゆっくりと車に向かって歩き始めるのを待っている。
「荷物、持とうか」 
 俺は一語一語、間違えることを恐れるかのようにゆっくりと話す聡に、俺は持ってきた荷物を差し出した。奴はようやく安心したようにそれまでの不安げな足どりが少しだけ軽快になっているように見えた。聡は車のトランクを開け、まるで貴重品でも扱うように丁寧に俺の荷物をその中に入れる。俺はオートロックによって解除された後部座席のドアーを開き、昔のように無造作に座る。
「一応、禁煙だから・・・」 
 遠慮がちにそう呟いて聡は運転席に座った。俺は取り出しかけた煙草を胸のポケットにしまうと開け放たれた窓から顔を出して生暖かい風を思い切り吸い込んでは吐き出した。
「さっき、健一が話してたの・・・、あの二人、双子なんだよ」 
 俺は何気なく頷いた。気の利いたことを言ったつもりが、とうに見透かされていたことを恥じるように、聡はかつての卑屈な笑い声をもらして道なりにハンドルを切った。道は舗装されてはいるものの、予算が足りないのか、路面はかなりの部分がひび割れていて、時折、タイヤが大きめの石を踏みつけるたびに前輪が軽く跳ね上がる。俺は振動を受けるたびに足を踏ん張って自分の体を支えていた。左右に広がる畑には生える草も無く、表面の砂が弱々しく山から吹き降ろす風と車の起こす衝撃波によって巻き上げられ、開け放たれた窓ガラスから入り込んでくる。
「名札を見たから知っていると思うけど、さっきの双子は鈴木っていう苗字で、兄貴が亮二、弟が敬一っていうんだ」 
作品名:鳥のいる風景 作家名:橋本 直