遼州戦記 保安隊日乗
上機嫌にアイシャが答える。誠は何が企まれているか分かった。カウラが真似ていたアイシャの飲みすぎた姿。それを本人で再現させようと言うのだろう。島田と要はラム酒を飲みながら、サラとパーラはビールを飲みながらじろじろとアイシャを観察している。
「今回の活躍凄いですね。三機撃墜ですか。保安隊の誇りですよ」
「褒めたって何にもでないわよ。第一、ここに七機撃墜の初出撃撃破記録ホルダーがいるのに」
そう言うとアイシャは空いたコップを西に突き出した。西が日本酒を注ぐ。
「そんなに飲めないわよ!」
そうアイシャが言うのを聞きながらも、わざとらしくコップに8分ほど日本酒を注いだ。
「おい、西。何してんだ?」
わざとらしく島田が近づいてくる。上官である彼に西が直立不動の姿勢で敬礼する。
「なるほど、上司にお酌とは気が利いてるじゃないか。じゃあ一本行きますか!総員注目!」
島田が大声を上げる 彼の部下である技術部整備班員が大多数を占める宴会場が一気に盛り上がる。
「なんとここで、今回の功労者クラウゼ大尉殿が一気を披露したいと仰っておられる!手拍子にて、この場を盛り上げるべく見届けるのが隊の伝統である!では!」
アイシャが目を点にして島田を見つめる。してやったりと言うように島田が笑っている。さらにアイシャはサラ、パーラ、そして要を見渡す。
『はめられた』
アイシャの顔がそんな表情を見せた。全員の視線がアイシャに注ぐ。引けないことに気づいたアイシャが自棄になって叫ぶ。
「運用部副長!アイシャ・クラウゼ!日本酒一気!行きます!」
どっと沸くギャラリー。島田の口三味線に合わせて一気をするアイシャ。
「おい!今回はオメエがんばったよ。アタシからの礼だ。受け取れ」
そう言うと今度は要がアイシャの空けたばかりのコップに西から奪い取った日本酒を注いだ。もう流れに任せるしかない。そう観念したように注がれていくコップの中の日本酒をアイシャは呪いながら眺めていた。
心配そうな顔で飛び出そうとするリアナを制して明華が立ち上がる。島田、要、サラ、パーラはさすがに身の危険を感じたのか人影にまぎれて逃げ出す。
「大丈夫ですか、アイシャさん」
さすがにふらついているアイシャに誠が声をかけた。
「らいろうふ、らいろうふなのら!」
今度は本物の酔っ払いである。いつもなら白いはずの肌が真っ赤に染まっている。呂律の回らなさは、いつも自分が一番に潰れるのでよくわからないが、典型的な酔っ払いのそれと思えた。
「まころらん!まころらんね。あらしはれ!」
アイシャはネクタイを緩めた。
「苦しいんですか?」
「りらうろら!ぬるのら!」
さらに襟のボタンまで取ろうとしているので、思わず誠は手を出して止めた。
「あらあら。久しぶりねえ、アイシャちゃんてば!」
「どうせ島田と西園寺のアホが仕組んだんでしょ」
そう言うと明華は人垣に隠れようとした島田を見つけて、周りの整備員に合図を送った。取り押さえられる島田。続いてサラ、パーラが捕まって引き出されてくる。三人を見て事態を悟った西だが、あっという間に捕まりこれも明華の前に突き出された。
「西園寺の馬鹿は後でお仕置きね」
そう言うと明華は引き立てられてきた四人を見下ろして、誠がこれまで見た事が無いような恐ろしい表情を浮かべていた。
「ぎりゅるぶろうろの!あらしのいれんはれすれ!」
アイシャが手足をばたばたさせて叫ぶので、竹刀を技術部員から受け取ったまま立ち尽くす明華はアイシャのほうを向いた。
「アイシャ。あんたはしゃべらなくてもいいから」
「そうれはらいのれす!わらしは酒のりかられ!」
そう言うとアイシャは誠に抱きついてきた。
「なにすんだこの馬鹿は!」
天井から要が降ってきて、アイシャを誠から振り解こうとする。しかし、運悪くそこに明華の振り下ろした竹刀があった。
「痛てえ!姐御、酷いじゃねえか!」
「主犯が何を言ってるの!隊長。こいつ等どうしますか?」
要に竹刀を突きつけて、後ろで騒動を眺めていた嵯峨に尋ねる明華。
「俺に聞くなよ。まあ一週間便所掃除でいいんじゃないの?」
嵯峨はそう言うと何時ものようにタバコを吸い始める。
「じゃあそう言う訳で。誠はアイシャを送って……」
「姐御!そんなことしたらこいつがどうなるか!」
要が叫んだのはアイシャが誠に抱きつくどころか手足を絡めて、そのまま押し倒そうとしていたのを見つけたからだ。
「サラ、パーラ。あんた等アイシャを取り押さえて連れて行きなさい」
誠はアイシャから引き剥がされてようやく一息ついた。
「大変だったわねえ」
リアナが自分が飲んでいたサイダーを誠に渡す。
「まあ、そうですかね」
技術部員の痛い視線を浴びながら、誠は大きく肩で息をした。
「俺は楽しめたからいいけどな」
誠の肩を叩き去っていく吉田。自分が大変なところに来てしまったと実感する誠だった。
今日から僕は 30
菱川重工豊川工場製の掘削機の鉱山用ドリルを積んだ大型トレーラーにくっ付いて、東和帰還後の休暇を終えた誠は最近買った中古のスクーターで本部に急いだ。下士官寮からの出勤に一番適していると寮でもスクーターの使用者は多い。いつものように保安隊の通用口、警備員が直立不動の姿勢でマリアの説教を受けていた。
「おはようございます!」
誠の挨拶にマリアが振り向く。警備部員はようやく彼女から解放されて一息ついた。
「昇進ですか?」
佐官用の勤務服姿のマリアを見て誠はそう言った。マリアは何か話しかけようとして止めた。普段ならこんな事をする人じゃない。誠は不思議に思いながら無言の彼女に頭を下げてそのまま開いた通用口の中に入った。
広がるトウモロコシ畑は、もう既に取入れを終えていた。誠はその間を抜け、本部に向かって走った。そして駐輪場に並んだ安物のスクーター群の中に自分のを止めた。なぜかつなぎ姿の島田が眼の下に隈を作りながら歩いてくる。
「おはようさん!徹夜も三日目になると逆に気持ちいいのな」
そう言うと誠のスクーターをじろじろと覗き込む島田。
「大変ですね」
「誰のせいだと思ってるんだ?上腕部、腰部のアクチュエーター潰しやがって。もう少しスマートな操縦できんのか?」
そう言いながら島田がわざとらしく階級章をなで始める。
「それって准尉の階級章じゃないですか?ご出世おめでとうございます!」
「まあな。それより早く詰め所に行かんでいいのか?西園寺さんにどやされるぞ」
要の名前を聞いて、あわただしく走り始める誠。技術部員がハンガーの前で草野球をしているのに声をかける。
何か変だ。
誠がそう気づいたのは、彼らが誠を見るなり同情するような顔で、お互いささやきあっているからだった。しかし、そんな事は誠にはどうでもよかった。誠をぶっ叩くことに快感を見出しはじめた要に見つかったらことである。階段を駆け上がり管理部の前に出る。
予想していた菰田一派の襲撃の代わりに要とアイシャが雑談をしていた。アイシャの勤務服が佐官のそれであり、要が大尉の階級章をつけているのがすぐに分かった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直