遼州戦記 保安隊日乗
どこでもそうだが東和軍の施設はあまり見られたものではない。ただでさえ『アサルト・モジュール』、東和軍制式名称『特機』と言う高価な人型汎用兵器の導入をいち早く決め、正面装備の充実に血道を注いでいる軍隊である。ましてや同盟機構の司法部門直属となるこの『保安隊』のような外様の部隊の設備に金をかけるつもりなど端から無いに決まっている。
マリアはそのまま植え込みが踏み固められているわき道に入り込んだ。案内の看板はまだこの部隊が創設されて二年しか経過していないだけあって、まだペンキははげてきてはいない。誠も明らかに芝生だったものの上に出来た道を真っ直ぐに歩くマリアの後を進む。
「まあ、実働部隊や技術部に比べたら数倍ましだがな」
その言葉に誠は少しばかり恐怖を覚えた。もし誠が嵯峨と言う人物を個人的に知っていなければ、もう少し穏やかな気持ちでここまで来れたかもしれない。
三年前、久しぶりに実家に帰った時に、自称法律家と言う本業は何なのかわからなかった嵯峨が軍に登用されたという話は誠を驚かせたものだ。
誠の実家の道場に入り浸る嵯峨について、道場主の父、誠也(せいや)はあまり口を開くことは無かった。ただ、師範代待遇で父の代わりに子供達に稽古をつける、どこと無く疲れた雰囲気のおにいさんと言うのが誠の嵯峨にたいする印象の多くを占めていた。その後、誠の就職活動が上手くいかないということをどこからか聞いて、わざと東和軍の制服を着て誠に東和軍幹部候補生試験を薦めに来た時も、非常に胡散臭いという印象しかなかった。
それなりに常識があれば遼州星系第四惑星を領有する貴族制国家、『胡州帝国』の四大公家のひとつ嵯峨家の前当主と言う看板や、崑崙大陸の南部を占める大国にして地球人の移民以前の原住民族の国家『遼南帝国』の皇帝であったと言うこと位は耳に入る。だが時折真剣での演武を見せるときの表情が引き締まってそれらしく見えると言うくらいで、誠は嵯峨を見ても今ひとつ納得できなかった。
誠にとっては嵯峨はただのくたびれたお兄さんであり、母の薫に頭の上がらない情けない大人に過ぎなかった。
マリアはそのまま明らかに誰かがここを通る為に切ったと判るツツジの生垣の合い間を抜けた。誠も荷物を引っ掛けながら彼女の後をついていった。
生垣を抜けて誠の視界が広がった。
「それにしても……」
誠は周りを見る余裕が出来てつい言葉が出てしまった。
一面に広がる野菜畑。そしてどこからか羊の鳴き声まで聞こえる。先ほどの生垣はこれを来客者の目から守るためだったんじゃないかと疑いたくもなる光景だった。
「ああこれのことか?これはナンバルゲニア中尉の菜園だ。それに羊とか山羊とかいろいろ飼っている。基地祭とかお祭りがあったときには、山羊を潰してそれで管理部の部長自らケバブを作ったりするわけだ」
そんなマリアの当たり前のように放たれた言葉を聞いて、思わず誠は躓くところだった。ナンバルゲニア中尉と言えば遼南内戦で活躍した遼南のエースオブエースであり、地獄の遼南レンジャーを育てた最強のレンジャー資格保持者として誠の耳にも聞こえていた。実際、誠と同じように幹部候補教育を受けていた下士官にとって遼南レンジャー試験を通過してレンジャー資格を取ることが幹部教育受講の条件と言うこともあって、その異常とも言えるタフな試験をいかに通過したかを自慢げに話す下士官経験組みが多くいた。
しばらく誠が足を止めることは予想していたようで、マリアは立ち止まるとポケットから携帯灰皿を取り出してくわえていたタバコをもみ消した。
「シャム……いや、ナンバルゲニア中尉は遼南の農業高校の出身で、もともと遼州山岳少数民族の出身だからこういうの得意なんだ。それにこんだけの土地、遊ばせとくにはもったいないだろ?」
『……やはりこの人も毒されているよ。軍の施設のほとんど私的流用じゃないか。何を考えているんだ師範代は……』
誠の不安がさらに加速する。
「マリアー!」
耕運機が作ったと思われるわだちが続くとうもろこし畑の中、ここが本当に同盟機構の司法実力部隊の基地だとしたら似つかわしくない中学生くらいの少女が手を振っていた。
「噂をすれば影だな」
誠の思考が一瞬停止した。
ナンバルゲニア中尉が活躍した遼南内戦はもう10年以上前の戦争だ。しかし目の前にいる少女はどう贔屓目に見ても中学生くらいにしか見えない。近づけば確かに着ているのは中学校の制服のブレザーなどではなく東和陸軍と共通の薄い緑色の保安隊の夏季勤務制服。胸にパイロット章とレンジャー特技章が見え、さらに襟の階級章は中尉のものだ。
「あー!この人あたしのこと中学生だと思ってるんだ!」
ナンバルゲニア中尉は誠を指差してそう叫ぶ。その行動も遼南内戦時の年齢から逆算して三十を超えているはずの女性のとる態度ではない。誠の頭の中が疑問で膨れ上がって、思わず自分が敬礼を忘れていたことを思い出して、とってつけたように敬礼した。
「そりゃあそうだろうよ。お前の格好見て通学途中の中学生と区別がつく奴がいるもんか」
とうもろこしの垣根の向こうから、これも服装規則や身だしなみにだけはうるさい東和軍には似つかわしくないドレッドヘアーの男が現れた。東和陸軍官品作業服を着ていなければ、ただのチンピラにしか見えなかっただろう。襟の略称は少佐だった。ここで誠は思わず荷物を捨てて直立不動の姿勢をとってから敬礼した。
「おいおい、ここをどこだと思ってんだ?そんなことやってると、隊長に野暮だねえって笑われるぜ。マリアさん。紹介、お願い」
「こちらが実働部隊第一小隊の吉田俊平少佐。お前も聞いたことがあるだろうが、電子戦で右に出るものはいないということになっている人物だ」
電子戦の天才吉田俊平少佐の武勇伝は、誠も幹部候補生訓練課程の教本で知っていた。通信機能を強化したサイボーグ義体と言う特徴を生かしての情報かく乱や諜報活動。そして破壊工作に於いては軍に身を置く人間なら誰もがその名前を聞くことになった。
吉田はそのまま小柄なナンバルゲニア中尉の頭を撫で始めた。さすがにこれにはナンバルゲニア中尉も頭にきたようで彼の手を振り払う。
そんな二人を見て誠が思い出すのは特機のシミュレータ訓練だった。
初めてシミュレータに座った東和軍の特機パイロット候補は初回に彼女のデータを積んだ仮想敵相手に戦わされる。それは絶対勝てない敵がいることを身をもって知ると言う通過儀礼とも言える訓練だった。正直、この一方的に叩きのめされるだけの訓練を受けた時には誠も本気で辞表を書こうかどうか迷った。
『……じゃあ僕は何でこんなところに呼ばれたんだ?』
誠は惨めな気持ちになっていた。配属の辞令には誠は特機のパイロットに任命することがはっきりと書かれていたはずだった。特機パイロット研修では誠の成績は下から数えた方が早かった誠。特に射撃のスキルは教官をして『限りなく零に近い』とさえ言われていただけに配属が決まった時は小躍りした。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直