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春に降る雪

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「…っとゆー訳で皆は一つお兄さんお姉さんの学年になったんだけど…」

 四月。三年一組の教室では担任の西田先生が今日も白い歯と明るい笑顔で生徒達に話していた。生徒達は新しいクラスメイトと先生、それから進級の喜びで興奮しながら話を聞いていた。
 この子達は一体どんな子なのかしら。これからどんな楽しいことが待っているのかしら。一体どんな成長をしてくれるのかしら。期待に胸を膨らませていた西田先生だったが、次の瞬間先生の楽しい思考は一時停止された。

 「あ、ヤベェオレ行なきゃ!」

 ガタッという音と共に立ち上がると少年はランドセルを引っつかみ、バタバタとかけだした。

 「ちょっ、ちょっと大樹(ダイキ)君、まだ先生の話が終わってないでしょ?」

 少年が教室の扉に立った所で西田先生は少年のランドセルをつかみ、先生の方を向かせて言った。子供と話すとき彼等と同じ目線で物を見ようとする先生は、膝を曲げて少年と目を合わせて言い聞かせる。

 「センセ、オレどうしても行かなきゃいけないんだ!後でちゃんと掃除するからさ。じゃあまた明日!」

 西田先生の目をしっかり見据えて言った少年は次の瞬間するりと先生をすり抜けていった。その一生懸命な後姿を見ながら先生はふーっとため息をついた。

 「全く、大樹君にはかなわないわ」


 そんな先生の気も知らず、少年は大急ぎで学校を出ると走り出した。少し先の桜の花がキレイな公園を通る。その桜の木々を見つめながら速度を落とした少年は一つの桜の木の前に立ち、桜をジッと見つめたかと思うと、木の先の細い枝をボキッと折った。

 「ごめん、一つだけ下さい!」

 そう言うと折った枝を持ち、また走り出した。持ち前の大きな声と明るい笑顔に桜の木も少年の行為を許したようにフワッと花びらを散らせた。しかし夢中で走る少年はそれに気づかず、小さな体に付いた四肢を一生懸命動かし、目的地へ向かった。


 「春日(ハルヒ)ー!」

 クリーム色の扉を思いっきり開けると少年は呼び慣れた名前を呼んだ。その声に応えて奥の白いベッドから明るい声がした。

 「大ちゃん!」

 少年は急いで奥のベッドに行くとそこにちょこんと座っていた少女に先程取ってきた桜の枝を差し出した。

 「これ入学プレゼント!」

 パジャマ姿で柔らかそうな髪を肩の辺りまで伸ばした少女はそれを受け取り、大喜びした。

 「ありがとう大ちゃん、キレイな桜だね♪」

 「学校の通り道の公園に咲いてるんだ。今度連れてってやるよ」

 そう言いながら少年は得意そうに笑った。
 嬉しそうに小枝を持ちながらクルクル回す少女を見ながら少年が言う。

 「春日さ、ゼンソク大丈夫なの?」

 生まれつきゼンソク持ちの少女は肺が弱く、よく風邪をこじらせては入院する。お陰でこの病院はもう第二の我が家のように慣れ親しんでいる。

 「今は落ち着いてるけど、もうちょっといてって先生が言ってたの」
 「そっか。じゃあもうちょっとだな」

 少年の言葉を聞いてから、少女が大きくため息をついた。

 「あたし、学校行けるかなぁ?」
 「先生がいいって言ったらオレが連れてってやるよ。約束だ」

 まるで数時間前、西田先生が少年に言って聞かせたように少年は少女の目を見て言った。それで少女はとても嬉しそうに頬を染めてうなずいた。

 「あら大樹君こんにちは」

 クリーム色の扉を開けて、白い服の看護師さんが入ってきた。

 「こんにちは。今日は柴田さんなんだ」

 看護師の柴田さんはニッコリ笑って少女の体温を測り始める。

 「春ちゃん今日から小学生だね。おめでとう♪」
 「柴田さん、オレ三年生だよ」
 「大樹君も大きくなったんだ」

 柴田さんは相槌をうちながら、さりげなく少年を廊下まで呼び出した。

 「大ちゃん、実は少し困ったことがあるのよ」
 「何かあったの?」

 柴田さんは、西田先生がやったのと同じように膝を曲げて少年と目をあわせた。

 「春ちゃん、今に始まったことじゃないけど最近余計に食欲がないのよ。このままじゃ点滴しなきゃいけないの」

 そう言われて少年はうなった。元々細くて小さい少女だったが、最近余計に細さを増してきた。
 「それは困ったなぁ。オレからも春日に言ってみるよ」

 それから少年は少し少女と話し、寂しい顔をする少女に「また明日も来るから」と言い聞かせて暗くなりかけた道のりを帰っていった。
  

 その日、少年はいつものように元気に教室に入ると、まだ三年目にも関わらず使い古されたランドセルを少々乱暴に机に置いて、友達と一緒にすぐさま遊びに出て行ってしまった。
 少年達が校庭でサッカーをする様子を職員室の窓から見ていた西田先生はいつのまにかフフッと微笑んでいた。皆楽しそうに服が汚れるのもおかまいなしで一つのボールを追いかける生徒達の姿が、とても楽しそうに見えた。上手い下手も関係なしに必死で走る一生懸命な姿がとても可愛らしく見えたのだ。

 「西田先生、先生のクラスに杉浦大樹君って生徒いらっしゃいますよね?」

 声を聞いて振り向くと一年生の担任の桜田先生が立っていた。品のある顔立ちで微笑む先生は職員室の花だ。

 「ええ。いますけど、杉浦君が何か?」
 「私のクラスにいる山中春日という生徒、入院していて入学式にも出席出来なかったんです。彼女と先生のクラスの大樹君仲良しだと聞いたんで、私一人で会いにいくよりは彼に仲介役をしてもらえたらと思いまして」

 杉浦大樹が明るくて、責任感のある優しい生徒だということは分かってきた。西田先生をすり抜けて学校を出て行った翌日、彼は人一倍掃除に力を入れていたのを先生はしっかりと見ていた。しかし仲良しの友達に入院している子がいるという話は聞いたことがなかった。
 桜田先生との話しを終えた後、西田先生はもう一度外でサッカーをしている生徒達を窓から見つめた。ボールを夢中で追いかける少年の横顔が、一瞬とても寂しそうに見えた。


 「…そんでその桜田先生が春日に会いたいっていうから明日連れてくる」
 「まあ、じゃあ私その先生に負けないように明日着飾って行かなくちゃ!」

 クリーム色の扉の中で、今日も少年は少女の病室に来ていた。

 「なんで母ちゃんが?先生は春日に会いにくるから母ちゃんはいいの」

 少年と少年の母親の話に少女は肩を震わせて笑う。相変わらず食欲はないが、とても楽しそうだ。その少女を少年の母親はとても優しい顔で見つめていた。

 「よし春ちゃん、明日はここでパーティーしようか?」
 「パーティー?」

 少年の母親の言葉に少女は目を輝かせた。いくら体力が無く抵抗力が弱くなっているとはいえ、毎日この個室に一人でいて、定時にやってくる少年を待ち続けることだけが日課の少女は、寂しくて仕方が無いのだ。

 「そう。春ちゃんの入学祝い♪おばちゃんおいしいものいっぱい作るから。春ちゃん何が食べたい?」
 「う~んとね、う~んと…」

 少年は母親に「勝手に決めていいのか」と言おうとしたが、止めておいた。心の底から嬉しそうな少女の顔を見たからである。

 「じゃあオレケーキ買ってくる!」
作品名:春に降る雪 作家名:日和