緑の並木道 4
少し湿った空気の中、私たちは黙っていた。並木道は少し暗くなった。涼しい風が吹いても、私の頬は熱いままだった。
「…は?」
高村君の彼女を見てしまった私はショックで泣きそうになるのを必死にこらえていた。しかしそれは、先程の奴の言葉で急遽中断さた。
「あのさぁ、けっこー前から好きなんだけど」
ふいにぽつりと呟いた奴は私の方を見ようとはせず、ずっと先の方を見つめていた。あまりに唐突に事だったので、私はつい、言ってしまった。
「は?」
「…えっと、何を?」
動揺を隠せない私は声を上ずらせながら奴に聞き返した。奴は少し頬を膨らませながら、ふてくされたように言った。
「…あんた」
奴はいつもと何一つ変わらない様子で座たまま、やっぱりさっきと同じように先を見つめていた。くやしいくらいに私ばかり気が動転して、体中が熱くなった。
「…私中学の時、あんたの事好きだったかもしれない」
「あのさぁ、昔のことなんかど~でもいいんだよね。俺が聞きたいのは、今だよ」
怒った奴がこっちを向いた。久々に見た奴の瞳には、慌てふためく私の姿が写っていた。
「…ごめん。」
「…分かったらいいよ。じゃあね」
三澤葉流はなんて気まぐれなんだろう。それだけ言うと私に背を向けていつものように並木道を後にした。
「あ、先輩もそろそろ帰った方がいいよ。もう暗いし」
「あ…うん」
湿気が引いて、少しずつ暖かくなってきた。私はもう、彼に気づかれないようにひっそりと高村秋の後姿を見つめる必要もなくなった。
けれど、だからといって授業に集中するほど私は真面目じゃない。だだ一つだけ、あの時の言葉・景色がまるで映画を見た直後のように頭から離れなかった。
「あのさぁ、けっこー前から好きなんだけど」
目を閉じて浮かんでくるのはいつも、そう言った奴の、レイ過ぎる横顔と、湿った空気にオレンジ色に染まった並木道。
そしてその後、何事もなかったように帰って行ったこと。結局、動揺していたのは私だけだった。
「…せ、永瀬!永瀬!」
振り向くと高村君がいた。いつも通りの優しい笑を浮かべる彼がそこにいた。
「…高村君、どうしたの?」
「どうしたのじゃねーよ。もう授業終ってるぞ。…ってゆーかお前大丈夫か?」
心配そうに私の顔を覗き込む。どうやら彼の話では私はここ二週間程ずっと、まるで抜け殻のような状態らしい。
「…そうだったの。ごめんね?心配かけちゃって」
二週間程の記憶が私にないわけではない。しっかりとまでは言わないが、だいたい授業のノートは取ってあるし、見れば話も思い出す。好んで見ているドラマの内容だって。第一私には、異常だという自覚がない。
「まぁこっちは大変なめにあってるわけじゃないし、構わないど・・・。何か・・・さ、俺で良かったら話でも聞くし、な?」
彼の笑顔は以前とは別の意味で私の心を満たしてくれた。とても心強い。彼がいると、とても安心出来る。
「ありがとう。ねぇ高村君私・・・男の子に好きだって言われた」
「良かったじゃん。あ、もしや自慢か?」
授業はとっくに終っている。教室には私達以外誰もいなくて、とても静かだった。
「違うの。その子、すごく目立つのよ。とてもキレイで、中学が一緒だったんだけど・・・本当に人じゃないみたいに。私とその子は一年だけ委員会が一緒になっただけで…」
「やーっぱ自慢じゃねーか琴美ちゃんよ。しかし…何がそんなに悩む必要がある?」
そう言いながら彼は、笑って私の話を聞いてくれる。私は彼に、奴について、知ってる情報を全て話した。
「…そんなキレイな人が…何で私?」
黙ったまま高村君は私と目を合わせた。それからまた、あの笑顔を見せた。
「永瀬、それは違う。人の価値ってのは容姿だけで判断するものじゃないし、それによく聞いてみるとそいつさ、永瀬のことすごく好きみたいじゃないか」
予想外の答えを聞いて黙っていた私に、彼は笑顔のまま続けた。
「よく見てみろよ、そ~やって悩んでる永瀬、可愛い顔してる。・・・なぁ永瀬は、そいつの事好きなのか?」
帰り際、私の頭にポンポンッと手を置くと、彼は優しく微笑んでいつものように「大丈夫」と言ってくれた。
少しだけ体が軽くなった。
私はゆっくりと席を立ち、さつきまで彼が座っていた席をまっすぐ見つめた。
「ありがとう、高村君」
本当に彼には、どんな感謝の気持ちを込めてもたりないくらい感謝している。
ゆっくりゆっくり、教室の扉を開けて外に出た。私には、どうしてもやらなくてはいけない事があった。この決意が歪んでしまう前に。
帰り道はゆっくりゆっくり歩いたせいで電車が3本ほど遅れてしまった。一歩一歩踏みしめるように歩いた。揺れる電車のなかで、彼との会話を思い出していた。
「しかし、可愛い奴だな。そいつ」
「…どうして?」
「だって、よく考えてみろよ?そいつは注目の的だったんだ。なのにその皆の中の一人に過ぎない永瀬のフルネームを知ってたんだろ?極めつけは約半年間委員会が一緒だっただけ。…普通ならそいつは永瀬の名前はおろか同じ学校にいた事すら知らないはずじゃないか?」
電車を降りるとすぐに並木道に向かった空はもう、オレンジ色をしていた。普通に考えると、三澤葉流はもうそこにはいない。だけど、それでも私の足は並木道の方へと向かっていた。「奴はいる」そんな気がしたから。
迷うことなく、ベンチに駆け出した。オレンジ色の夕日の中、黒い物体が見えた。
「…三澤君」
黒い物体に近づきながら声をかけた。ベンチのすぐ横までたどり着いた時、ようやく奴は返事をしてくれた。
「…別に、先輩を待っていたんじゃないよ」
そう言ってそっぽを向いた奴は夕日のせいか赤く染まって見えた。私はいつものように少し距離を置いて座った。
「…じゃあ、他の誰かと待ち合せ?」
「…うん…そう」
大きく深呼吸をした。なんだかとてもこの空気が懐かしいと思った。奴とは、一ヶ月近く会っていなかったからだろう。
「…じゃあ、その人が来るまで私の話、聞いてくれない?」
「…別に、いいけど」
奴は私をチラリと横目で見た。何かいいたそうな目をしてる。
「…三澤君てさ、今好きな人っている?」
ポーカーフェイスがお得意な奴は思いっきり目を見開いて、誰が見ても驚きが伝わるような顔をした。少し間を開けてポツリと静かに「うん」と言った。
「…私も…最近好きな人が出来たんだ」
「…ふーん、良かったじゃん」
少し、奴が微笑んだ。私は続けた。
「私ね、その人と並んだらすごく劣ってる気がして…多分ずっとそれに気付きたくなかったと思うの。だけど、その人と会えるとすごく嬉しくて、会えないと寂しいんだよね…」
「…そんなの“劣ってるとか”関係ないよ」
静かに、力強く言ってくれた奴の言葉に励まされた。
「…偶然なんだけど、2年になってからよく会えるようになった。嬉しかったな。でもその時は…好きだなって気持ちを心の奥に閉まっていて、気づかなかったけど」
「…は?」
高村君の彼女を見てしまった私はショックで泣きそうになるのを必死にこらえていた。しかしそれは、先程の奴の言葉で急遽中断さた。
「あのさぁ、けっこー前から好きなんだけど」
ふいにぽつりと呟いた奴は私の方を見ようとはせず、ずっと先の方を見つめていた。あまりに唐突に事だったので、私はつい、言ってしまった。
「は?」
「…えっと、何を?」
動揺を隠せない私は声を上ずらせながら奴に聞き返した。奴は少し頬を膨らませながら、ふてくされたように言った。
「…あんた」
奴はいつもと何一つ変わらない様子で座たまま、やっぱりさっきと同じように先を見つめていた。くやしいくらいに私ばかり気が動転して、体中が熱くなった。
「…私中学の時、あんたの事好きだったかもしれない」
「あのさぁ、昔のことなんかど~でもいいんだよね。俺が聞きたいのは、今だよ」
怒った奴がこっちを向いた。久々に見た奴の瞳には、慌てふためく私の姿が写っていた。
「…ごめん。」
「…分かったらいいよ。じゃあね」
三澤葉流はなんて気まぐれなんだろう。それだけ言うと私に背を向けていつものように並木道を後にした。
「あ、先輩もそろそろ帰った方がいいよ。もう暗いし」
「あ…うん」
湿気が引いて、少しずつ暖かくなってきた。私はもう、彼に気づかれないようにひっそりと高村秋の後姿を見つめる必要もなくなった。
けれど、だからといって授業に集中するほど私は真面目じゃない。だだ一つだけ、あの時の言葉・景色がまるで映画を見た直後のように頭から離れなかった。
「あのさぁ、けっこー前から好きなんだけど」
目を閉じて浮かんでくるのはいつも、そう言った奴の、レイ過ぎる横顔と、湿った空気にオレンジ色に染まった並木道。
そしてその後、何事もなかったように帰って行ったこと。結局、動揺していたのは私だけだった。
「…せ、永瀬!永瀬!」
振り向くと高村君がいた。いつも通りの優しい笑を浮かべる彼がそこにいた。
「…高村君、どうしたの?」
「どうしたのじゃねーよ。もう授業終ってるぞ。…ってゆーかお前大丈夫か?」
心配そうに私の顔を覗き込む。どうやら彼の話では私はここ二週間程ずっと、まるで抜け殻のような状態らしい。
「…そうだったの。ごめんね?心配かけちゃって」
二週間程の記憶が私にないわけではない。しっかりとまでは言わないが、だいたい授業のノートは取ってあるし、見れば話も思い出す。好んで見ているドラマの内容だって。第一私には、異常だという自覚がない。
「まぁこっちは大変なめにあってるわけじゃないし、構わないど・・・。何か・・・さ、俺で良かったら話でも聞くし、な?」
彼の笑顔は以前とは別の意味で私の心を満たしてくれた。とても心強い。彼がいると、とても安心出来る。
「ありがとう。ねぇ高村君私・・・男の子に好きだって言われた」
「良かったじゃん。あ、もしや自慢か?」
授業はとっくに終っている。教室には私達以外誰もいなくて、とても静かだった。
「違うの。その子、すごく目立つのよ。とてもキレイで、中学が一緒だったんだけど・・・本当に人じゃないみたいに。私とその子は一年だけ委員会が一緒になっただけで…」
「やーっぱ自慢じゃねーか琴美ちゃんよ。しかし…何がそんなに悩む必要がある?」
そう言いながら彼は、笑って私の話を聞いてくれる。私は彼に、奴について、知ってる情報を全て話した。
「…そんなキレイな人が…何で私?」
黙ったまま高村君は私と目を合わせた。それからまた、あの笑顔を見せた。
「永瀬、それは違う。人の価値ってのは容姿だけで判断するものじゃないし、それによく聞いてみるとそいつさ、永瀬のことすごく好きみたいじゃないか」
予想外の答えを聞いて黙っていた私に、彼は笑顔のまま続けた。
「よく見てみろよ、そ~やって悩んでる永瀬、可愛い顔してる。・・・なぁ永瀬は、そいつの事好きなのか?」
帰り際、私の頭にポンポンッと手を置くと、彼は優しく微笑んでいつものように「大丈夫」と言ってくれた。
少しだけ体が軽くなった。
私はゆっくりと席を立ち、さつきまで彼が座っていた席をまっすぐ見つめた。
「ありがとう、高村君」
本当に彼には、どんな感謝の気持ちを込めてもたりないくらい感謝している。
ゆっくりゆっくり、教室の扉を開けて外に出た。私には、どうしてもやらなくてはいけない事があった。この決意が歪んでしまう前に。
帰り道はゆっくりゆっくり歩いたせいで電車が3本ほど遅れてしまった。一歩一歩踏みしめるように歩いた。揺れる電車のなかで、彼との会話を思い出していた。
「しかし、可愛い奴だな。そいつ」
「…どうして?」
「だって、よく考えてみろよ?そいつは注目の的だったんだ。なのにその皆の中の一人に過ぎない永瀬のフルネームを知ってたんだろ?極めつけは約半年間委員会が一緒だっただけ。…普通ならそいつは永瀬の名前はおろか同じ学校にいた事すら知らないはずじゃないか?」
電車を降りるとすぐに並木道に向かった空はもう、オレンジ色をしていた。普通に考えると、三澤葉流はもうそこにはいない。だけど、それでも私の足は並木道の方へと向かっていた。「奴はいる」そんな気がしたから。
迷うことなく、ベンチに駆け出した。オレンジ色の夕日の中、黒い物体が見えた。
「…三澤君」
黒い物体に近づきながら声をかけた。ベンチのすぐ横までたどり着いた時、ようやく奴は返事をしてくれた。
「…別に、先輩を待っていたんじゃないよ」
そう言ってそっぽを向いた奴は夕日のせいか赤く染まって見えた。私はいつものように少し距離を置いて座った。
「…じゃあ、他の誰かと待ち合せ?」
「…うん…そう」
大きく深呼吸をした。なんだかとてもこの空気が懐かしいと思った。奴とは、一ヶ月近く会っていなかったからだろう。
「…じゃあ、その人が来るまで私の話、聞いてくれない?」
「…別に、いいけど」
奴は私をチラリと横目で見た。何かいいたそうな目をしてる。
「…三澤君てさ、今好きな人っている?」
ポーカーフェイスがお得意な奴は思いっきり目を見開いて、誰が見ても驚きが伝わるような顔をした。少し間を開けてポツリと静かに「うん」と言った。
「…私も…最近好きな人が出来たんだ」
「…ふーん、良かったじゃん」
少し、奴が微笑んだ。私は続けた。
「私ね、その人と並んだらすごく劣ってる気がして…多分ずっとそれに気付きたくなかったと思うの。だけど、その人と会えるとすごく嬉しくて、会えないと寂しいんだよね…」
「…そんなの“劣ってるとか”関係ないよ」
静かに、力強く言ってくれた奴の言葉に励まされた。
「…偶然なんだけど、2年になってからよく会えるようになった。嬉しかったな。でもその時は…好きだなって気持ちを心の奥に閉まっていて、気づかなかったけど」