君に追いつきたい
序章、再会、野球少女
相手校の試合前ノック。俺は、セカンドの動きをずっと目で追っていた。
帽子からはみ出る長い髪と、小さいながらも男子のそれよりは大きい胸を揺らしながら、グラウンドを駆ける彼女。
「おい朝日、女子がいるぞ」
「ん? ああ、そうだな」
同じく彼女を見ていたのであろう川口順一が、少し興奮しながら話しかけてきた。彼女から視線を逸らしたくない俺は、視線をグラウンドに向けたまま答える。
「どうしたんだよお前。ずっとあの女子ばっかり見て。惚れたのか?」
「バカ言うなよ」
川口の頭を叩き、俺はベンチに置いてあるペットボトルを掴んだ。お茶を一口飲み、ベンチから出る。相手校の試合前ノックが、もう終わりそうになっていたからだ。
ノックが終わるのを待ち、マネージャーから試合球とメンバー表を受け取る。それを左右それぞれの手で持ち、俺はバックネットの前に向かった。相手校のキャプテンも、メンバー表を持ってバックネット前に向かってくる。
「今日はよろしく」
「こちらこそ」
試合球を相手に渡しながら俺は答える。
メンバー表を交換し、先攻後攻を決めるためのジャンケンをする。俺が出したのはパー。相手が出したのはグーだった。
「じゃあ、先攻で」
いつも勝てば先攻を選んでいるため、今日も迷うことなく先攻を選ぶ。相手もそれに頷いた。
立ち去る前に、相手のベンチにチラリと目をやる。明らかに他とは違うオーラが出ている長髪の彼女と、目が合った。
彼女もこちらに気づいたのか、あっと驚いたような顔をした。俺は軽く表情を緩めると、自分が持つメンバー表を指差す。彼女は相手のキャプテンからメンバー表を取ると、それを眺めた。
おそらく俺の名前を見つけたのだろう。彼女は再びこちらを見て、微笑んだ。
軽く手を上げて答え、俺はベンチへと戻る。相手校から受け取ったメンバー表に目をやるとすぐに、探していた名前が見つかった。
「水野奈央……2番セカンドか。相変わらず、凄いみたいだな」
試合前ノックでの動きを見る限り、奈央は昔よりも格段に上手くなっている。だが、俺もこの三年間で上手くなったはずだ。
「そうか、三年ぶりか。早いもんだな」
この再会も予期せぬものだった。新チームが始動した夏休み、隣県である千葉へ遠征にきたところ、そこで練習試合をする相手に、偶然彼女がいたのだ。
惚れた? バカ言うな。とっくの昔に惚れてんだよ。
川口を見ながら、俺は思わず苦笑いする。
「先攻!」
ベンチのメンバーに叫び、メンバー表を机に置く。スコアラーを兼ねているマネージャーが、それを受け取った。
「あの女の子、スタメンなの?」
「そうみたいだな」
「しかも2番打者って、上手いんだろうね」
「ああ、俺よりも上手いよ」
マネージャーが不思議そうな顔をする。何故俺がそんなことを言ったのか分からないのだろう。
奈央は、昔から俺よりも上手かった。彼女に追いつくために俺は野球をやっていると言っても、決して過言ではない。
彼女と出会ったことで、俺の人生は――もちろん良い方に――180度変わった。
俺と彼女が初めて会ったのも、たしか今と同じような暑い暑い夏休みだった。