千の夜 一の夢
2.古美術商の男
ウィンランド王国、国王アレックス三世は頭を痛めていた。
海の向こうにある強国が攻めてこようが、ここまで悩みやしないだろう。凄腕の王を悩ませるのは、娘のアデルのこと以外にない。
またもやアデルは国王自ら選りすぐった婚約者候補を嫌がったのだ。
「紳士的じゃない」「笑い方が気に食わない」「おでこがてかたかひかっている」などなど。
アデルはどうやら心の狭い娘のようで、一つでも目に付いた欠点があるとダメらしい。
頭脳明晰で将来性のある侯爵家の嫡男ケインを「ヒゲが濃いから嫌だ」といった。
多少、わかる気もするが……。それを差し引いても、有望な男を嫌がるのか?
アデルは常日頃から騒動を起こす少女である。
馬にまたがり、騎士のごとく剣を振り回す。
王は姫将軍をお育てかと新聞各社こぞって書き立てた。
アデルは自分の記事を興味深げに読んで笑った。
「わたくし、有名人なのね。王位継承権のない王女なのに」
図書館に立てこもり、一心不乱に本を読みあさる。国民が図書館に入れなくて苦情が来た。
「大した物は置いてはいなかったわよ」
あっさりと言い放ち、王立図書館の面子をぶち壊した。
これ以上何かをやらかす前に結婚相手を見つけなければ、変わり者姫と呼ばれ、嫁の貰い手がいなくなる。
権力を使って、ようやくこぎつけたのにもかかわらず、娘は父親の気苦労も知らず嫌の一点張りだ。
王は王妃にぼやくと、
「アデルはノエル王子が忘れられないのです」
彼女は眉をひそめて応えた。
「十年も前のことだぞ? しかも、たった三日しか滞在しなかった王子のことなど忘れているだろう」
「初恋なのですもの。そう簡単に忘れられるものですか」
王はノエルの容貌を思い出した。
確かに容易く忘れられない美貌の王子ではあったが……。
やれやれと王は次なる手を考えた。
両親の話をこっそりと立ち聞きしていた次期王となる王子――アベルは、両親の憂いを取り除かんと、姉の部屋へと急いだ。
「姉上」
アベルは今日こそはぎゃふんといわせようと思い、並々ならぬ決意をして、姉の部屋に入った。
姉の部屋は一国の姫君らしい豪華でかつ繊細さを備えている。ほのかなピンク色のクロスは年頃の少女らしく愛らしい。白い家具は角張らぬように丸く仕上げられ、ところどころ金で縁取られいる。
アデルは窓辺の側に気だるそうに座っていた。青を基調に作られたドレスは、ふんだんに生地が使われている。胸元が大きく開き、十六歳の若々しく艶のある肌が露出している。真珠を散らばめた髪飾りが赤茶けた髪に遠慮しがちげに差し込まれていた。
弟の訪問に気付いたアデルは座ったまま彼に視線を向けた。
意気込んでくるものの、アデルに勝てたためしがない。どうでもいいことをいってくる弟にうんだりしていた。今日は何をいいに来たのか。いつものようにこてんぱんにやっつけてやろうとアデルはほくそ笑んだ。
「余り父上と母上を困らせないでください」
「あら、わたくしがいつ困らせたっていうの?」
気の強い姉にじろりとにらまれてしまうとアベルは急にしゅんとなってしまう。乗り込んできたときの勢いはもうない。
「……あの、そのですね。結婚したくないというのがいけないのだと思うのです」
「どうして結婚しなければいけないわけ?」
アデルは弟に問いかける。アベルは自信なさげにもじもじしながらこたえた。
「やはり、女性の幸せは結婚にあるのではないかと」
「ふざけないでよ! 勝手に決め付けないで! 結婚した相手の男が浮気者だったらそれこそ地獄だわ。わたくしはしません。尼になるのよ。そうだわ。今すぐにでもいってみようかしら」
激怒した後、面白そうに笑い始めた。アデルならやりかねないので、アベルは必死になってとめた。
「それはいけません! 父上が倒れてしまいます!」
「ふん、一度泡吹いて倒れたらいいのよ」
「父上が倒れたら、国家はどうなるのですか!」
もっともな意見をアベルは告げた。だが、アデルはしれっとこたえた。
「あんたがやるんでしょう?」
確かにアデルのいうとおり、第一王位継承権はアベルにある。父王が倒れたら、アベルがこの国を統治する者となるのだ。
だが、まだアベルは十二歳の少年で、国の舵取りなど無理だ。しかも、誰に似たのか、気の弱い彼は重責には耐えられないように思える。
「うぅ、僕には無理です。いえ、姉上の方が僕よりも立派に務めてくださるのではないかと」
「嫌よ。男子優先なんだから」
アベルはアデルに泣きついてきた。
「能力ある人が国王になるべきです。僕より姉上の方が王に相応しいと思います」
「そんなこといってみなさい。お父様より優れた人が今に現れるわよ。革命を起こして、そして、この国はおしまい」
王族ともあろう者がこの国の滅亡を語り、挙句の果てにはありえないことではないとケタケタと高笑いした。
「姉上! なんて恐ろしいことをいうのですか!」
顔面蒼白のアベルが震えながら叫んだ。
これ以上いうと、アベルが泡吹いて倒れそうなのでやめることにした。気が弱い情けない子だが、弟なのだ。姉としては守ってやらなければいけない。
「わたくしの結婚よりも、もっと重大なことがあるのじゃないかしら。大陸では騒動が起こっているのだし。対岸の岸なんてのんきに考えていたら、大変なことになるわよ」
「どうしましょう。姉上」
あたふたと慌てふためいた弟を心底情けないと思った。
「バーカ。自分で考えなさい」
アデルはぴしゃりといってやると、部屋を出て行った。
何故あんなに情けないのかしら。
弟の気の弱さにいいかげん腹立たしくなった。勇ましく宮殿内を歩いていると、オホホホホと笑う母妃の声が聞こえてきた。
母妃があのような笑い方をするときは、大抵貴公子たちにお世辞をいわれて喜んでいるときだ。
貴族は大変だと思う。たかが国王の妃というだけで、愛想の一つくらいいってやらなきゃいけないのだから。
今日は誰がやってきて、母妃のご機嫌をとっているのだろう。アデルは腹立たしい母妃の笑い声が聞こえてくる部屋へと向かった。
部屋の前に着くと、ノックもせずにアデルはドアを開けた。
バラの模様のソファに腰掛けた母妃の正面に若い青年と中年にさしかかろうとしている男が座っていた。
中年の男性は無駄口はたたず、命を忠実に守る番犬のように見えた。
彼の主人と思われる若い青年は、人目を引く美貌の持ち主であった。
十年前、処刑されたノエルと全く同じ容姿にアデルは驚愕した。その場に立ち尽くしじっと見詰めるアデルに青年は視線を向けた。
淡い金色の髪から覗く灰色がかった碧い瞳が不躾な訪問者を見詰めた。
十年前、シンシアの花を一緒に眺めた十歳年上の婚約者と違うところは何一つなかった。
他人の空似とは思えない。
ノエル王子が生きていたの?
思わずその場で泣き崩れそうになる。
だけど、そうならなかったのは、彼が毒を含んだように笑ったからだ。
母妃を満足させたであろう言葉を、次々に語っていた口――左の口元だけ吊り上げて笑った。