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千の夜 一の夢

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 もし、あきらめることができたのなら、十年の間、処刑されたノエルを待ってはいない。

「願うだけで事態は好転しないわ」

 アデルは力強くいうと、ノエルは苦笑いをした。

「発掘作業を続けているフランツ皇太子に会ってどうする? 蹴散らされるのが落ちだ」

 あきらめてしまい、何もしようとはしないノエルに違和感を抱いた。

 ノエルという人はこういう人だったのだろうか。
 幼い時に会った時、彼は優しくて、アデルを勇気付けてくれる綺麗な人だった。

 十年という長い時が彼を変えたのだろうか。
 それとも、そういう人だったのだろうか。

 ノエルの灰色がかった碧い瞳が色をなくし、ぼんやりと空を見ていた。辛い過去を思い出しているのだろうか。しばらくしてから、ノエルがかすれた声で告げた。

「君にはわからないだろう。身を引き裂かれるような思いを。もう二度とあのような想いをしたくない」

 ノエルのその一言がアデルを凍らせた。

 十年間、待ち続けたノエルはいないのだ。アデルを光の輪の中へ導いてくれたあの人はもういない。
 ノエルはアデルがどんな思いをして生きてきたのか知らない。きっと、ウィンランドの城の中で、何不自由なく平和に過ごしていたと思っているのだろう。そう考えると、悔しくて仕方ない。
 ふつふつとこみ上げてくる怒りに堪えながら、アデルはノエルに言い放った。
 
「バカにしないでよ。私にだって、身を引き裂かれるような思いをしたことがあるわ。あなたが処刑されたと知った日、わたくしがどんなに嘆いたか。自分だけが悲しく辛い日々を送っていたなんて思わないで。この世の中で一番不幸なのはあなただけじゃないのよ」

 護衛を失ったノエルと比べてはいけないだろうが、アデルはいわずにはいられなかった。
 思わず吐露してしまったノエルは、青い顔をしてアデルを見上げていた。アデルは目をそらすことなく、苦痛に歪む彼の表情を見ていた。苦しむ姿もまた美しく、惹き付けられてならない。
 ノエルの乾いた唇から、そっと告げられた。

「ごめん。アデル。泣かないでくれ」

 アデルは泣いてなんていないと首を横に振った。決して認めないアデルにどう思ったのだろうか。ゆっくりと立ち上がったノエルは、優しくアデルを包み込んだ。温かい彼の体を感じながら、ごめんと耳元で囁かれた時、アデルはようやく泣いているのを認め、ノエルの背に腕を回した。


 落ち着いてきたアデルは、今、自分がノエルの腕の中にいるのだと自覚すると急に恥ずかしくなり、そっと離れた。顔がひどく熱く、まともにノエルの顔を見れない。
 ノエルは軽くアデルの肩をたたくと、向きをかえ、側に控えているダリルに告げた。

「ダリル。お前にやってもらいたことがある。ノエル王子が生きていたと情報を流せ」

 その声は落ち着いてはいたが、強い決意をしているようだ。

「兄さんが国へ帰る今しかない。さらに混乱させている間に、僕は巨人を破壊しに行く」

 思わぬ応えにアデルが驚きの声を上げる前に、狼狽したダリルの声が漏れた。

「危険です。お止め下さい」

 反対するダリルにノエルは微笑んだ。

「僕はあの頃の子どもじゃない。自分の身一つくらい守れる」

 しばらくダリルはノエルを見上げていたが、彼の決意は固いと悟ったのだろう。静かに頷いた。

「決して、無茶をしないでください」

 あぁとノエルは笑った。
 アデルは何が何だかわからなくなっていた。発掘作業をしているフランツ皇太子を、中止させるのは無理だといっていたのに。なぜ?
 ノエルに疑問を投げつけるようとした時、ノエルは軽く首を横に振った。

「アデル。君が聞きたいことはわかっている。だけど、今――ここではいえない」
「わたくしも行くわ。だったら、その先で教えてくれる?」

 ノエルが眉をひそめたので、反対されると思ったアデルは先に告げた。

「心配しないで。わたくしは馬に乗れるし、剣術も得意なのよ」

 自分が役に立つとさらに主張する前に、ノエルは困ったように笑った。

「反対したって、来るんだろう? ただし、決して無茶をしないでくれ。僕が必ず君を守るから」


 ソファに浅く腰掛け、真剣に綿密な計画を立てているノエルを見て、アデルはこの人たちはこうして十年間逃亡してきたのだと思った。
 あらゆる事を想定した戦略に、アデルは口を挟めない。一人少し離れた場所に立ち、彼らのやりとりを見ていた。剣呑な空気にアデルは思わず胸が押しつぶされそうになる。
 失敗は許されない。強国を出し抜き、反撃するチャンスは今しかないのだ。

「アデル」

 ノエルはアデルの方を向いた。一刻も争う大変な時だというのに、ノエルの凛々しい表情に胸がドキリとなった自分が恥ずかしい。

「君はどうやって部屋から抜け出す?」
「マーニャにわたくしの代わりになってもらうわ。前から何度もしていたの。今度もマーニャなら上手くやってくれるわ」

 アデルが告げると、ノエルは何かを思い出したような表情を浮かべた。
 護衛のチャーリーと代わって、ノエルは城の外へと抜け出していたのだろう。そんな気がした。

「なるべく目立たない格好で、待ち合わせの場所まで来てくれ。5分たっても僕が現れなかった場合は、直ちに城へ戻るんだ。いいね?」
「……わかったわ」

 反対を許さない強い口調に、アデルは渋々頷いた。

 ノエルは心配しすぎていると思う。わたくしは、足手まといにはならないわ。必ず、あなたの力になってみせる。

 部屋を出たアデルは何があるかわからないから、とりあえず用意してきた男装服に着替えるために、客室へと戻った。
 大きな事をしようとしているのはわかっている。けれども、ノエルと二人きりでいられる幸せに喜ばすにはいられなかった。



 部屋に戻ったアデルは、くせの強い長い髪にはさみをいれ、少年のように短くきった。
 地味な男性用の服に着替えると鏡の前に立つ。鏡の中にうつる自分は、気の強そうな小柄な少年にしか見えない。

 鏡ごし、マーニャと目が合った。アデルが髪をきることに反対したマーニャと長い間言い争った。
 アデルは一度決めた事を覆すことはない。何が何でも説得する。
 大抵マーニャが先に折れるが、他国で勝手な行動をとろうとしているアデルをマーニャは認めなかった。
 暫く言いあった後、根負けしたマーニャが頷いた時、理解者がいてくれたことにアデルは心から喜んだ。
 アデルはマーニャに抱きつき、ありがとうと耳元で告げた。

 アデルは鏡の中にうつる自分をまじまじと見詰めた。

 これなら誰にも怪しまれないわ。

 くるりと振り返ると、眉を寄せているマーニャに笑いかけた。しかし、彼女の表情は曇ったままだ。
 彼女はアデルが夜遅く一人だけで、城から抜け出そうとしていることに気が気でない。

 心配をかけていると思ったアデルはマーニャに一言話かける前に、ポソリとマーニャが告げた。

「姫様に想われていらっしゃるノエル様はお幸せですね」

 すっかり少年のようになってしまったアデルを見て、複雑な表情を浮かべているマーニャに、アデルは微笑んだ。
作品名:千の夜 一の夢 作家名:加味恋