Estate.
Date 7/8
「真宏。ごはん出来たよ」
ひょこ、と、サキが顔を出した。
いつもの、屈託のない笑顔。
「ン。有難う。今行く」
書く手を止めて、俺は立ち上がった。
サキとの共同生活が始まって一週間が過ぎていた。
「毎日暑いねえ」
「あー。ホント、茹だる」
「色々考えたんだけど、結局今日も素麺にしちゃった」
「いい、いい。クソ暑い夏の昼飯ったら、素麺だろ」
「あはは、だよね。夕飯はまたちょっと考えるけど」
そんなことを言いながら、食卓についた。
置かれている麦茶のグラス。冷えた器に入ったつゆと水に浸された素麺は、いかにも涼しげだ。
「うまそ」
「ありがと。食べよ?」
「ン。いただきます」
「いただきまーす」
手を合わせ、箸をつけた。
サキは、つゆをきちんと作る。俺はいつも市販のものでしか食べることがなかったので、初めてサキが手作りのつゆを出してきたときは酷く驚いた。
「しょっぱくない?」
「大丈夫。サキって本当に料理上手いのな」
「ありがと。でも、褒めてもらうほど上手なわけでもないよ」
「俺はレトルトくらいしか作れない」
「……そういうのは作るって言わない」
些細なことに、二人で笑う。
出会ってから一週間。
サキの距離のとり方が上手いのか、俺は、ずっと昔からの知り合いだったかのように、ごく自然にサキと暮らしていた。
「執筆、進んでる?」
「執筆なんて大げさなもんじゃないよ。今書いてるのはただの趣味」
「でも、進んでるんだ?」
「のんびりゆっくりだけどね」
「すごいよ。俺には絶対に書けないもの。まさか、真宏が作家だったなんてなー」
「作家なんて、肩書きだけだって」
「肩書きだって、書かなきゃもらえないじゃんか」
「まぁ、そうだけどさ」
「本当に、すごいなーって思うよ。読んでみたいな、真宏の本」
「それはダメ」
「……なんで」
「恥ずかしいからデス」
「作家のくせに自分の文章恥ずかしがるなよー」
「あのね。一緒に暮らしてる人間に見られるのはさすがに恥ずかしいんですよ、サキさん」
目の前でサキがふくれたふりをする。子供のようなその動作が、不思議とサキには似合っていた。
俺には、作家、という肩書きがある。
だが、あくまでも、肩書き、だ。ごく小さな出版社から、一冊本を出しただけだった。名前を知っている人間などごく少数のはずだし、誰かが記憶してくれている保障もない。
「ならさ、せめてペンネーム教えてよ。教えてくれたら俺自分で買ってくる」
「ダーメ。教えません」
「真宏のケチ」
「ケチ、じゃないの、ケチ、じゃ。大体、買って読むほどの価値があるかどうかも微妙なところだよ」
「あ、自分の作品をそういう言い方したらだめ、真宏。どうしても見せたくないっていうなら俺が諦めるから、自分の作品はちゃんと大事にしないと。口だけでも、そういうこと言うのってよくないよ?」
サキは、真っ直ぐに俺を見てそう言った。
サキの言っていることは正しかった。
自分こその子供じみた言い草に、俺は苦笑いをこぼした。
「ン。……そだな。サキの言うとおりだ」
「うん、わかればよし」
サキは、満足げに言ってから、会話の間止まっていた手を動かしはじめる。
そんな様子を見ながら、俺は口を開いた。
「な、サキ」
「ん?」
「ここを出て行くときまでにさ。今書いてるの、仕上げるわ」
「?うん」
「それは、お前にやる。……お前のために書くよ」
「!」
「……まあ、元々趣味で書いてるだけだからね。こんな風に書くのも偶にはさ」
「いいの?」
「ああ」
「わ、すっごい楽しみにしてる!!ありがと、真宏!!」
嬉しそうに言ったサキを見てから、俺も手を動かし始める。
悪い気は、しなかった。
冷たくひやされた素麺を口に運びながら、ふと考える。
あんな風に作品について述べるくらいなのだから、サキにも何かしら作品と呼べるものがあるのではないだろうか。
そう思ってから、俺はサキが何をしている人間なのか知らないことに、はじめて気づいた。
グラスの氷が、カラン、と小さな音を立てた。