人間屑シリーズ
*
「おかえり」
黒い箱で黒い服に身を包んだ白いクロが玄関で私を迎え入れた。
「ただいま」
私はいつも通りにそう言って、室内へと入っていく。
クロの横を通り過ぎると、クロが私へ言葉を投げかけた。
「シロ、何かあった?」
「え?」
「なんか、辛そうだから」
「……なんにもないよ」
そう言った。なんにもない。なんて事ない。
クロの目には一体どういう風に映ったんだろう? 今の私はやはりどこか違うのだろうか。
……迷っているのだろうか。
いいや違う。迷って何かいない。迷っちゃいけない。決して。
「スイッチの設置場所の希望メールが来たよ」
そんな私の心中を知ってか知らずかクロは事務的に話しかけてくる。
「そう、どこに?」
「駅のコンコース内の公衆電話だってさ」
「そう」
私達の住む街で最も大きな駅構内には、広いコンコースがある。その中で一か所だけ公衆電話の設置された場所があり、ミカの契約者はそこへとミカを導いていくつもりだと言う。
「彼女、既に六回もヒントを買っているらしいね」
「うん」
「明日の何時頃に十回目のヒントに達するかな。場合によっては僕はスイッチを置きに行けない」
明日もミカが今日のようなペースでヒントを買い続ければ昼過ぎにはスイッチを配置しなくてはならなくなる。そしてそうなれば、配置できるのは私だけなのだ。
「大丈夫よ、私がするから」
「でもシロは彼女と一緒に行動するんだよね?」
「……上手くやるわ」
そう、上手くやるしかない。組織は生き物だ。動きを止めてしまえば、そこで組織は死んでしまう。今までやってきた事全てが無駄になる。
「シロ」
私を呼ぶとクロはそっと私の頬に触れた。
手では無く頬に触れられた事に、私はひどく驚いて少しだけ体を震わせた。
クロは安心させるように微笑んでから、長い睫毛に縁取られた黒い瞳でじっと私を捉える。そうしてそっと囁くように声を発した。
「シロ、僕等は間違ってなんかない」
「クロ……」
「大丈夫だよ、シロ。君は大丈夫。僕にとって赤にも染まらないシロは君だけなんだから」
頬に触れられていたクロの手は、するりと下へ下がって行くと私の右手にそっと触れた。
馴染みのその感覚に心が平穏を覚える。ざわざわとした不安な音はもう聞こえない。
私にはクロがいる。クロがいつだって私の不安を取り除いてくれる。じゃあミカは? ミカにはクロのような存在がいるんだろうか。上辺だけの友達と、自分の事ばかり考えている両親。ミカは今この瞬間も、きっと不安で不安でたまらないんじゃないだろうか。
……それともやはり死んでしまったとしても、それはそれで仕方無いと思っているのかもしれない。所詮は彼女が死を放棄した理由は、私の友達ごっこだ。そんなものに大した力があるとは思えない。今も心のどこか片隅で死を望んでいるのかもしれない。
分からない、分かるはずもない。自分の心だって覗けやしないのに、他人の心なんて分かるわけがない。だったら――迷ったって仕方がない。
私はシロだ。クロが認めてくれた唯一絶対のシロ。
「今日は冷えるね。明日は雪が降るっていうよ」
ふいにクロが小さく漏らした。
「そう」
繋がった右手ごしにクロの体温が伝わる。他人の温度の温かさに今さらながらに息を飲む。
「雪が降ったら――そこはもうシロの世界だね」
私の世界……?
「君の色に世界が染められていくんだ」
クロの優しい声だけが鼓膜を支配する。
明日もし本当に雪が降ったら……
その時、私は何も迷いはしないだろう。白い雪が世界と自分の境界を消していってくれるというのなら、私は迷いはしない。シロとして白い世界の中心でただ嗤っていれば良いだけだ。
ほの暗い決意を胸に秘め、私は右手に力を込めた。