人間屑シリーズ
*
下校時刻の公園は、たくさんの生徒達が下らない会話をしながら歩いていた。これなら紛れ込む事は思ったより簡単かもしれない。
指定してあったベンチを見ると封筒が置いてあるのが見えた。
近くには黒いジャケットにジーンズを履いた髪の長い女がいた。あれがきっと崎村カオリなんだろう。
崎村と思しき女は落ち着かない様子で周囲を見渡している。
その姿を確認すると私は彼女から少し離れて、その旨をクロにメールで伝えた。そしてそのまま崎村を観察していると、彼女の携帯が鳴り響いた。慌てた様子で携帯を開くと、彼女はすぐさまどこかへ駆け出した。クロが何らかの指示を出したのだろう。
私はそのままベンチに近づき、何気ない様子で封筒を手に取るとそのまま公園を後にした。崎村の姿は既に見当たらなかった。
十分に公園から離れた所で封筒の中身をそっと確認すると、そこには確かに契約書が入っていた。
始まったんだ……。本当に始められたんだ……!
無意識に封筒を持つ手が震えている。私は取り返しのつかない過ちをしようとしているのかもしれない。
……ううん、してるんだ。
それでも私には他に何も無い。生きていられるだけの理由が何も無い。
パパやママの為に死ぬわけにはいかないのに、生きている事にしがみ付く理由が無い。私が死んでパパやママが狂気から目覚めるのではダメなんだもの。それは悲しすぎるから。それじゃあ救いが無いから。
だから私は狂う。そして世界を狂わせる。
これは正しい事だ。死にたい人間には何したって良い。しても良い事なんだ。
それなのに……崎村カオリという生きた人間を見た瞬間から、何だか心がざわついて仕方がない。
脳裏にしっかりと崎村の容貌が映し出される。クロからのメールを受け取った時の、あの表情、長い髪、白い肌、寂しそうな瞳……。あの人間を……“生身の生きた人間”を陥れるのだと思うと、とてつもない不安感が襲ってくる。
震える手、竦む足。
それでもギュッと右手を握りしめると、クロの冷たい左手の感覚がよみがえってきて震えが少しずつ治まっていく。
大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫…………
心の中で何度も唱えながら、私はクロの待つマンションへと戻った。
*
クロに契約書を渡すと「うん、いいね」と言った後、彼は満足そうに微笑んだ。
ローンの契約書まで作って警察は大丈夫なのかとか、それ以前に何で契約書なんて作れたのか。私はとても不思議だったけど、考えると恐怖心に飲み込まれてしまいそうだから……全部頭の隅に追いやった。
明日は土曜日で、崎村のタイムリミットは日曜日の午後八時二十二分。
崎村は今どんな気持ちでいるんだろう? ……やめよう。考えても仕方が無い。もう始まったんだ。そして私はそれを自分で望んだんじゃないか。
クロは既に崎村とのメールのやりとりを始めている。「必死だなぁ」なんて笑いながら。
崎村はどうして死ぬのを止めたのだろう。やはりあの男――池垣というあの教師の事を愛していたのだろうか。
……分からない。分からないし、考える必要だって無い事。私には関係ない。
私に出来る事はざわつく胸を押さえながら、タイムリミットの訪れをひたすらに待つ事だけだ。クロは一人の契約者さえ確保出来れば、後はあっという間に狂気は広がっていくと言っていた。ならばそれに期待するしかない。早くその狂気の波に飲み込まれてしまいたい。