人間屑シリーズ
夜に微笑む
クロと出会ってから私の生活は一変した。
まず学校に行かなくなった。だってクロは吸血鬼だから、昼間は会えないというのだ。だったら私も夜型の人間になるのが当然だと思ったし、 私が学校に行かなかった所で問題は何も無かった。パパとママは相変わらず狂気の中に存在していて、私の事など気にも留めない。さらに私には教室で挨拶を交わすクラスメイトはいても、私の事を心から心配してくれる友人もいないのだから。
毎日毎日ただひたすらに夜が来るのが待ち遠しかった。夕日が沈んでいくのを見ると、心が躍った。
クロ! クロ! 今日ももうすぐあなたに会える!
クロと出会ってから一週間、私はすっかりクロに夢中だった。
*
日が暮れると私は颯爽と家を飛び出し、闇夜の中クロと出会ったあの公園へと向かう。そこは私達の温かな場所。
公園に足を踏み入れると、遠目からでもクロがいるのが分かった。
真っ黒な学生服は闇に溶け込み、その白い肌だけが漆黒の中で妖しく浮かび上がっている。
「クロ!」
彼の名を呼びながら、私は彼の元へと駆け出す。
「やあ」
初めて会った時と同じように彼は私に声をかける。
でも初めて会った時とは違う。今の彼は私に向かって微笑んでくれている。
彼の元にたどり着き、私は右手を差し出す。
彼はその左手を私の右手と繋ぎ合わせる。白い肌と白い肌が重なり合って、二人の境界が消えていく。私達はいつもこうして一つになる。
「ねぇ、今日はどうするの?」
私より十センチメートルばかり背の高いクロを見上げて、問いかける。
「そうだなぁ、今日もいつも通りかな」
クロはそういうと、右手でナイフをチラリとかざした。
いつも通りというのは、通り魔をするという事だった。
この一週間――クロは血が必要だからという理由で、適当な人間を見つくろっては、ほんの少しだけ切りつけている。本当に少しだけ殺傷するので、表だった事件にはなっていない。
例えば、満員電車の中で手の甲をちょっとだけ切りつける――切られた人間は、少しどこかで引っかけたかな? と思う程度の傷を負う。でも、それだけだった。
「ねえ、世界を狂わせてくれるんだよね? そんなんでいいの?」
クロの事は大好きだし、一緒にいられるだけで幸せだ。
でも私が彼に強く惹かれたのは、彼の端正な顔でも私の恥を受け入れてくれたからでも無い。
『僕と一緒に世界を狂わせないか?』
真っ直ぐに私の心に深くこの言葉が飛び込んできたからだ。
そんな私の心を見透かしたかのように微笑むと、クロは余裕たっぷりにこう答えた。
「本気でいてくれたんだね、シロ。僕は今とても嬉しいよ。実は計画があるんだ」
クロはとても愉快そうだった。
「計画?」
だから私もとてもワクワクした。一体どんな?
「一千万で命を買うのさ」
右手のナイフを月の光にキラキラ反射させながらクロは言った。
「? ……命を? どういう意味? 大体、そんなお金だって……」
全く意味が分からなかった。クロは何をしたいんだろうか?
「この計画にお金なんて必要じゃ無い。そんなものはただのエサだよ」
クロは私と手を繋いだまま、公園を優雅に歩き始める。
「僕はいつも思ってた。僕は吸血鬼で、生きるためには血が必要。だけど、だからって誰でも傷つけていいのか? ってね」
毎日のように見知らぬ人間を傷つけておいて、何をいうのかと少しばかり笑ってしまう。
「うふふ」
「笑っちゃあいけない。僕は本気さ、これは僕の悩みでもあったんだからね」
クロはおどけてそう言った。けれどその瞳はちっとも笑ってなんかいなかった。
「それで思ったのさ。死にたい人間なら傷つけても構わないだろうってね」
クロは月明かりで浮かび上がるように嗤う。
「死にたい人間?」
私はクロをじっと見つめた。クロが本気だと分かったからだ。
「そう。これは死にたい人間をあぶり出す為の計画なんだ」
そう答えるとクロは私の右手をキュっと握りしめた。私もクロの左手を強く握り返すと、心に穿たれた思いを吐露する。
「世界を狂わせてくれる?」
彼は笑った。笑って言った。
「もちろんさ」
彼のその笑顔が余りにも綺麗だったから、私はとても安堵して――そうして
二人して笑った。闇夜の中で、ただケラケラと――。
それはとても幸福な夜――
狂気と正気の境界が薄れ始めた、恍惚の夜だった。