人間屑シリーズ
階下からの激しい罵りあいの声で目覚めた。時刻を確認すると午前四時。
こんな早朝まで……よくやる。小さく舌打ちをすると、私は制服へと着替える。その間もパパがママに暴力をふるう音と何かが割れる音、それにママのヒステリックな叫び声が継続して聞こえいた――けれどもう毎日の事だった。
もう三年もこんな日々が続いていた。……あの二人は既に狂っているのだ。
三年前まではこんな風では無かった。
パパとママ、それに私。
決して裕福な家庭では無かったけれど、温かかったと思う。私はパパもママも大好きだった。
私はまだ十二歳だったから、どうしてそうなったのかは分からない。
でもパパは何らかの事業を成功させて、我が家の暮らしは一気に変わった。
一年目は夢のように暮せた。家族は相変わらず仲が良く、そしてお金まであった。今まではクラスの誰もが持っているような流行りの物も持っていなかった私が、みんなが未だ手に入れてないような物を真っ先に見せびらかせるようになった。楽しくて嬉しくて仕方がなかった。
家だって変わった。ボロボロのアパートに家族三人ひっつきながら寝てたのが、大きな一戸建てに変わった。私の部屋は広くて、それが少し寂しい位だった。幸福ってこういう事をいうんだな、なんて思ってた。
なのに変わってしまった。
三年前から、パパは変わった。ママに暴力をふるうようになった。
ママも変わった。それが辛いのか、浴びるようにお酒を飲むようになった。
大きな一戸建ては、いつも腐敗の臭いがした。――ここには狂気が渦巻いている。
死にたいと思った事は無かった。だって私の死をきっかけにパパとママが正気に戻ったらどうするの? 私の死をきっかけにパパとママが悔いて悔いて……悲しむような事にはなってほしくなかった。簡単に死ぬわけにはいかなかった。
――だからその代わりに私は毎日祈った。
「ああ、神様。どうか明日は私も気が狂っていますように」と。それでも毎朝、私は正気のままパパとママの争う声で目覚めるのだ。
最初のうちは学校に行くのすら怖かった。
帰ってきたら、パパとママ、どちらかの死体が転がっていたらどうしようと思うと、怖くて仕方無かった。それでも、家にいるのも怖かった。怖くて苦しくて悲しかった。
だけど今はそんな風には思わない。あの二人は同じ狂気の中に存在しているの。だからきっと殺したりはしないんじゃないか……そんな風にさえ思う。
学校は大嫌いだったけど、私には学校しか逃げる場所が無かった。
着替えをすませ、階下へ降り玄関の扉を開ける。私を気に掛けてくれる人は、この家には一人もいなかった。狂気の二人は、正気の私がこの家という空間から外れても決して気付きはしないのだ。それに寂しさを感じるような心は、とうの昔に凍結してしまっている。
*
学校に行く前に、学校近くのコンビニで買い物をするのが私の日課だ。私にはお弁当なんて無いから。作ってくれる人もいなければ、作れるキッチンも無い。キッチンは狂気が支配しているから。
「今日も早いね! 頑張ってね!」
コンビニのおじさんは、いつも元気に声をかけてくる。私を部活少女だとでも思っているようだった。
「ありがとう」
特に否定する必要も無いので、いつも通りに適当な相槌を打ってコンビニを出た。コンビニ袋をブラブラとさせながら、足取り重く学校へと向かう。
学校は嫌いだ。
別に苛められているわけじゃない。空気なわけでもない。クラスメイトと挨拶くらいは交わすし、ちょっとした会話もする。だけど私は他人が嫌いだ。
だって一番信頼出来る両親が狂ってしまったんだもの。一番愛する両親に愛されなくなってしまったんだもの。
だから他人に心を開くなんて無駄な事だ。……いつか裏切られるに決まってるんだから。
*
学校へ着くと、こんな時間でも熱心な運動部員達の声がそこかしこから聞こえた。
声達を耳に響かせながら、靴を履きかえ教室の扉を開ける。早朝の教室には誰もいない。私はまず教室の窓を全て開ける事にしている。
季節は秋――涼やかな風が教室中を支配する。私が学校で唯一好きな時間がこの時だ。あと数時間もすれば、ここは多くのクラスメイトに支配され退屈な授業が始まる。全く……下らない。