人間屑シリーズ
妻が宇宙人になってしまった。
「ぴーぽこー ぴー」
意味不明の言葉を吐きながら遠くを見つめ、立ち尽くしている妻を見ながら俺は心底後悔していた。
なぜなら妻が宇宙人になってしまった責任は、全て俺にあったのだから。
宇宙人になる前、妻は貞淑で清楚でよく気の付く家庭的な女だった。
そして程良く愚かであり、俺にとってはそれが実に愛でやすかった。
俺は自分よりも賢しい女を好まないし、また自分の事を賢いと思っている女もやはり好みはではない。あの手の女は本当に害悪だと思っている。
妻に不満は無かったが、同時に妻は俺の世界で俺の思う通りに生きるに違いないという、確信にも似た感情をいつも持っていた。
そう、妻は俺が外で何をしていようとも気付くはずがないのだと。なぜなら妻は俺にとって最も程良く愚かなのだから。
*
三日前の金曜日。
仕事を終えた俺はリビングで妻とテレビを見ながらくつろいでいた。
ニュースでは一週間後に来るという流星群の特集が組まれており、俺と妻もそれを見ながら「一週間後は一緒に見れるといいな」などと語りあっていた。俺達の間に子供はいなかったが、幸せな家庭の週末がそこにあった。
ふいにピンポーンというインターフォンの音が二人の世界に響き渡った。
「あら、一体誰かしら?」
そんな風に言いながら妻は何の警戒も無く、パタパタと足音を立てて玄関へと向かっていった。
「ちゃんとモニターで確認してから開けるんだぞ」
俺が後ろから声をかけるも、妻は既に扉に手をかけていた。人を疑うことを知らない清い人なのだ、妻は。
ガチャリ、という聞きなれた音がして扉が開いたその瞬間、
「うああああああああああああああああ!」
という獣のような奇声が部屋中に響き渡った。
俺が何事かと玄関へと向かうと、そこには一人の女が立っていた。
「いたあああ! どおおおじてぇええぇええっ!」
奇声をあげ続ける女の手に握られていたのは包丁だった。
女は俺のよく知った顔だった。
――浮気相手である。
「なん……なんですの……?」
妻は困惑していた。ただただ困惑していた。
清廉な妻はこの状況に置いても未だ俺が浮気をいていた等とは思わない。戸惑いながら女を見つめているだけだ。しかし当の女の方は違った。
「うふふふふ! 急にぃい会うのやめるとかぁあ! 私ぃいい許さないからあああ!」
女の戯言を耳に入れながらも、俺の脳は超高速で回転していた。第一に何故ここが分かったのか? この女と会う時は身元が分かるものは何一つ持たずに会っていたというのに。俺の後をつけていたのだろうか? いやそんな事より今はこの場を何とかしなくては! それにはまず――
「あなた……?」
妻は丸い目で私を見つめる。その目は純粋そのものだった。
「ねぇええ! いつもみたいにぃぃい! ここで私を抱いてよおお! 奥さんのおおお! 目の前でえええええっ!」
女が叫ぶ度に彼女の口から発せられるアルコールの臭いに気分が悪くなった。だがそんな俺の心情など構うはずも無く、女は玄関先で服を脱ぎ始めた。
「君! やめなさい! 服を着ないか!」
俺は叱責する。貞淑で清廉な妻の前で、あたかも何かの間違いであるかのように常識のある大人の対応をする。
「いやあああ! 奥さまに見てもらうのおおお! うふふふ!」
彼女の包丁を持ったままの右手が震える。
俺は妻を自分の後ろへと追いやった。その様を見ると、女は益々猛々しく笑い始めた。
「あはははっ! そぉぉお! やっぱり奥さまは大事なんだああ! ふふふっ! 奥さまには出来ないような事も私にはたくさんたくさんしたクセにいいい! 私とする時はいつもいつもいつも」
彼女は汚らしい唇を開き、俺との穢れた思い出をベラベラと喋る。
「な……な……っ」
貞淑で清廉な妻は最早言葉を紡ぐ事さえ出来ずに、水揚げされた魚のように口をパクパクさせているだけだった。
「いい加減にしろ!」
俺が怒鳴りつけると女は俺に向かって一歩近付き、そして妻の目の前で俺に口づけをした。酒臭い息が鼻腔を支配する。馴染みの感触が、ひどく下卑たものに感じられた。下品な屑が! 俺の家庭を支配するな!
俺は苛立ちを込め、女を思い切り押しのけた。
ドンッという音を立て、女は玄関扉に背中から派手にぶつかった。
「あな……あな……あなた……」
妻は震えていた。
そしてその清い目が、俺自身を貫いた。