遠くへ行く歌
それに引き換え、隣にいるこの学生は、あの曲から受けている影響が薄いようだった。あまりあの曲を聴いていないのかもしれないし、聴いていても、『行って』しまう人間とそうでない人間がいる。空洞の大きさや形に個人差があるように、満たされ方にも個人差があるのだ。失恋の痛手から救われたという人もいるし、麻薬のかわりにパーティであの曲を聴いて満たされている若者たちもいる。犯罪件数も減少の一途を辿っていた。ただし、満たされてしまった彼らが今後誰かを愛したり、生産的な活動をするのかどうかは怪しかったけれど。多分、人々が自分や周囲の変化を自然に受け入れている中で、まだ違和感を抱けるというのは健全であることの証だろう。この学生は、健全で、稀少な一人だ。
私がそう思った時、突如、電子音のメロディが鳴った。耳に馴染んだ『遠くへ行く歌』の旋律が。鞄の中から鳴っているような小さなそれは学食のざわめきを割って妙にはっきりと響き、食事や会話をしていた学生達の空気を揺らがせた。誰かが携帯をマナーモードにし忘れていたのだろう。持ち主は座席を離れていたのか、サビの旋律を2回繰り返すまで音は止まなかった。けれども誰も持ち主を見つけ出したり糾弾しようとはせず、今起こったことは学食全体から黙殺され、やがて辺りの空気は元に戻った。
「茶、汲んでくるわ」
「おう」
もう片方の学生がコップを手に席を立ち、残されたあの学生は鞄から携帯を取り出し、メールを打ち始めた。私は最後に皿に残ったミートボールを口に入れながら、やはり彼は今でも、ちゃんと携帯を使っているのだなと思った。近頃は、緊急の連絡でもなければ携帯をいじらない人が多くなった。あの曲のおかげで、誰かと繋がっていたいという欲求も希薄になっているのだろう。私もほとんど使わなくなったし、あの友人がいなくなった後、一緒に行動する別の誰かを探す気も起きないでいる。なんだか一人でも平気なのだ。
私は食後のお茶を飲み終えるとi-podの電源を切り、イヤホンを外した。隣の学生はまだメールを打っている。肘をつき、彼は軽く鼻歌を歌った。何か楽しい内容のメールなのだろうか、興が乗って思わずこぼれたという風に。それは紛れもなく『遠くへ行く歌』のメロディだった。
冷房で涼しい学食を出ると、たちまち強い日差しと温度が襲ってきた。地元では、真夏でも遭遇することのなかったような暑さだ。
先週、親から夏休みには帰って来るのかと尋ねる電話がきていた。帰れたら帰る、と答えたものの、結局理由をつけて帰らないような気がしている。以前は帰りたいとよく思っていたのだが、今はそういう気持ちが起こらないのだ。この街に不満はないし、地元のことは懐かしく好ましく思い出すけれど、それだけだ。
行き交う学生達の群れへ混じりながら、私は肩から提げた鞄を揺すり上げ、足を踏み出すリズムに合わせて鼻歌を歌った。遠くへ行こう。頭の中であの透明な声が歌っている。
何度となく聴いたあの曲は、もう頭がすっかり覚えてしまって、イヤホンがなくても頭の中で鳴り響いている。微小な鈴を一斉にふるような音をたてて、雪の結晶が花をひらく。それが後から後から、世界に止む事無く降り続いている。雲のくっきりした青空から、学生達の汗の滲む首筋にも、濃い影の落ちるコンクリートにも。触れ合うたびに混じり合い、新しい響きを生みながら、鳴り続けている。ずっと鳴り続けている。