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遠くへ行く歌

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最初にその曲を聴いたのは、大学の帰りに友人とお茶をしていた喫茶店でだった。有線放送から流れ出したその曲は、はじめは何の変哲もない、ただのしっとりしたポップスに思えた。けれど、友人とのお喋りの単なるバックミュージックだったそれが、なんだか耳に引っ掛かりだし、私は会話に割いていた思考の一部を徐々に曲の方に向けるようになった。その割合がいよいよ曲に傾いて、すごく綺麗な曲、と私が思ったのと時を同じくして、友人も言った。
「いい曲だね」
「うん。初めて聴いた。新人かなあ?」
 他のお客たちも会話をやめて、似たような遣り取りをしていた。誰の曲? わかんない。でも超キレイ……。自然に声をひそめて、いつしかみんながじっとその曲を聴いていた。女性とも男性ともつかない、独特の透明な声と、反響するコーラスのようなサウンドが、午後の喫茶店に満ちていった。音は跳ね返って混じり合い、混じった場所からまた花が咲くように、次々と生まれては響き続けた。脳裏に浮かんだのは、地元の冬をもっと抽象的にしたようなイメージで、響き合いながら花ひらく、大きな雪の結晶にこの喫茶店ごと降り込められてゆくような気がした。音の雪に永遠に取り籠められるような感覚が、不思議な快感を伴っていた。

 家に帰って、私がテレビを見ていると、先程の友人からメールがあった。『あの曲わかったよ!』というメッセージと共に送られてきたのはyoutubeのURLで、私はパソコンをつけてそれにアクセスした。ほどなく、スピーカーからあの曲が流れ出した。1Kの私の部屋に、またあの雪の結晶が降り始めた。
 画像は、最初から最後まで一枚だけ、外国の庭のような写真で、CDのジャケットらしかった。動画の投稿日はつい昨日だったが、アクセス数はかなり多く、ページを更新するたび、コメントと共にその数は増え続けていた。
 動画にはタイトルがついていた。スラッシュで左右に区切られた日本語と英語の、おそらく左側が曲名で右側がバンド名なのだろうと思った。左側のほうが歌詞に出てくるフレーズと似ていたからだが、ありがちに凝った英語のバンド名に比べると、随分シンプルでかえって奇妙なほどだった。『遠くへ行く歌』。けれど投稿者が表記した歌詞を読んでみると、確かにそれは『遠くへ行く歌』以外の何ものでもなかった。


 『遠くへ行く歌』は瞬く間に大ブームになった。
 ラジオでも、お店でもしょっちゅう流れるようになったし、CDの売り上げもミリオンに達した。作詞作曲を手がけていたボーカルが、メジャーデビューする直前に死んで、一枚だけアルバムを出して解散したバンドのものだとか、ボーカルは自殺で、あの曲は最後に書かれた曲だったとか、そうした“いわく”に飛びついたテレビが特集を組んだりもした。
 けれど、私たちにとって重要なのはただ『遠くへ行く歌』一曲だけだった。アルバムの他の曲は正直言ってぱっとしなかったし、インディーズ時代の曲もネットにアップされていたけれど、若者たちの心さえ掴むことはなかった。残されたメンバーの活動も、少しだけ話題になったもののすぐ忘れられた。あの曲だけが一人歩きして、ブームを通り越し、やがて社会現象にまで発展していった。
 あの喫茶店での有線放送から半年たった今、『遠くへ行く歌』はもう発禁になって、CDも廃盤されている。けれども元々持っていた人がこっそり売りに出すことがあるし、ネット上で削除と投稿のいたちごっこを繰り返しながら、音楽データも遣り取りされていた。所持しているのを見つかると没収と軽い罰金があるけれど、公には流されないだけで、みんな何らかのメディアに隠し持って聴いていた。私のi-podにも入っている。私はそれをイヤホンで聴きながら、一人で学食で昼食を食べる。一緒の授業を取って、一緒に昼食を食べていた友人はもういない。『遠くへ行って』しまったのだ。
作品名:遠くへ行く歌 作家名:かにかま