A Groundless Sense(3)
第三章 PASSAGE
11
シャトル路線の遺構は、どこまでいっても同じだった。暗闇ばかりだ。
恐怖感に慣れてしまうと、その後は悪夢のように退屈。それでも、何十キロか進む毎に詰め所があり、付設の物置には閉鎖当時の保存食が半分以上残っていた。上下水道もまだ生きており、生存という意味では最低限の恵みはあった。
トンネルに潜入して四日目。医務室を備えた大きな詰め所があった。電源は落ちていたが、道具はきれいに保管してあった。
蘭は意識を回復したものの、立つことすらできないほど衰弱していた。
泉子は決断した。
「手術するしかないね」
ミナトが放った銃弾は、蘭の胸元にめりこんだままだ。
千江はまだ生きている非常灯をかき集めてきて、診察台を照らしていく。
カツシは蘭を台に寝かせると、泉子に言った。
「やったこと、あるのか?」
「ないよ」
「……だろうな」
カツシはうなだれた。
ヒーラーの才能は血筋かもしれないが、それを除けば十七歳の普通の高校生なのだ。免許はおろか、医大にも入っていない。
「カツシが考えてるような手術はね」
「?」
泉子は蘭の戦闘服を脱がし始めた。千江が助手を務めることになった。
乾いた血で黒ずんだ下着があらわになる。傷口は膏薬の深緑色に染まっていた。
カツシはそれを医師のデスクに座ってぼうっと眺めていた。
女たちは少年に白い視線を送った。
「血まみれのおっぱい見てもしょうがないでしょ?」
泉子の一言に、カツシは顔が熱くなり、あわてて医務室を出た。
二時間後、泉子のお許しが出たので、カツシは医務室に入り直した。
蘭は診察台で寝息を立てている。毛布が首の下までかかっていて傷口は見えない。
千江はカツシを見るや、興奮した様子で言った。
「すごいの。彼女、すごいのよ!」
「な、なにが?」
「だから……ああもう、言葉じゃ上手く説明できないわ!」
千江は地団駄をふんだ。
一方、泉子はイスに腰掛け、疲れきった顔を横に向けて、事務机に突っ伏していた。
「こんなことやるもんかって、思ってた」
手術は成功したというのに、泉子はあまりうれしそうではない。
カツシは思い出した。彼女はできることが必ずしもやりたいことではないという、ジレンマを抱えていたのだった。
千江は言った。
「ヒーラーを生業にするかどうかは、あなたが決めることよ。たとえ途中で学ぶのをやめたとしても、それまでに得たものを仲間のために活かすだけだって、別にいいんじゃない?」
泉子はばっと身を起こした。
「そっか……そうだよね! あたし、ヒーリングをつづけたら、人生を一つの才能だけに引っ張られちゃう気がしてた。これはこれで、必要なときにやればいいんだ」
結局、泉子が蘭の体に何をしたのか、聞きそびれてしまった。彼女はメスも鉗子もピンセットも手にしていない。それだけは確かだった。
その後、これからどうするかという話題になった。
泉子は蘭をここで数日安静にすべきだと主張した。カツシもそれに賛成したが、千江はいますぐ出発するといって一蹴した。ステーションの壁をカモフラージュした立体映像を、常管が見破るのは時間の問題だった。何しろ敵には、千江をよく知る元同僚、岡崎ユタカがついているのだ。こちらの主力武装は手榴弾が三つと、拳銃が各自一丁、弾薬も限りがある。遭遇しないに越したことはない。
蘭の意見は聞けなかった。手術の後、再び意識を失ってしまった。
一行は千江の背嚢とカツシの黒いリュック(元ミナトの品)に、詰め所の物資を積めるだけ積むと、そこを後にした。
12
トンネルに潜入してから六日。
蘭の容態は安定していたが、生きているだけで精一杯のようだった。ときおり意識を取り戻しても、ぼうっとしていて言葉はなく、泉子が半ば強引に食事させようというときだけ、面倒くさそうに口が動くのだった。
カツシは慣れのためか筋力がついたのか、蘭を背負っていてもあまり疲れなくなった。泉子が代わろうかと言ってきても、すぐには譲らなかった。
「なによ。もう蘭の方がよくなっちゃったわけ?」
「そんなんじゃないって」
「じゃあ貸して」
「物みたいに言うなよ。あ、もしかして、そっちの気(け)もあるとか?」
「あたしのエロ本見たくせに」
ライトの光を向けると、泉子の顔は真っ赤だった。そういえば、泉子はBL本のコレクターだった。
「ヒーリングの力じゃ、言葉遣いは治らないみたいだな」
泉子がすごい顔をしたので、カツシは仕方なく眠れる蘭を譲った。
おしゃべり見習いヒーラーはそれきり大人しくなった。
先行する千江は、肩を揺らして笑いをこらえていた。
カツシはため息をつく。なんなんだよ、いったい。
『275』と書かれた白い柱(キロポスト)を過ぎた。
それから少し行くと、くすんだ金色の柱があった。細かく字を掘ってあるようだが、暗くて読めない。
千江は言った。
「中間点ね。SAITOとKYUTOの境界ってわけ」
ここから先は、生活の保証がなかった。空気はSAITO側から流れてくるようだが、水道は止まっている可能性が高い。止まっていたら、直近の詰め所まで引き返して容器に水を詰めこむしかない。
カツシは偵察要員を買ってでた。徒労は一人で充分だ。
千江は自分の拳銃をカツシに手渡した。
「気をつけなさい。無人とは限らないわ」
「いいのか? これ」
黄金色の弾倉を確かめる。例の強化ガラスを撃ち抜いた、特製の弾丸が十発残っていた。
カツシは代わりに自分の銃を千江に渡す。
「ユーレーがいるかもね」
泉子は笑った。
「それが神秘家のはしくれの言葉かっ!」
カツシは拳銃を腰にさすと、暗闇へ向かってのしのし歩いていった。
強気を見せたのは、中間点キャンプの明かりが見えなくなるまでだった。カツシは目に見えない脅威が苦手だった。
「余計なこと言いやがって」
ピトッ!
額に何か落ちてきた。
「わあぁぁぁっ!」
拳銃をかまえる。
ただの水滴だった。上を見ても水道管はなかった。空気中の水分が溜まったのだろう。
「どうしたの? なんかあった?」
エコーのかかった泉子の声が迫ってきた。
カツシは思わず怒鳴った。
「な、なんでもねーよ!」
きょろきょろ辺りを見回す。泉子の姿はない。
「無駄に弾撃たないでね」
また泉子の声だけ。くそ、幽体離脱もできるなんて聞いてないぞ。
カツシは試しにベエッと舌を出した。反応はなかった。
それからしばらく歩いて、伝声管と同じ原理だったと気づき、恥ずかしくなった。
『300』のキロポストを通り過ぎた。もうかれこれ二十五キロ、五時間も歩いたのか。荷物がない分疲れていなかったが、引き返すことを考えると、うんざりした。
左手の指輪が光った。千江にもらった無線機だ。
『どう? あった?』
音質の悪い千江の声が響いた。
「今、三〇〇キロ地点だけど、なにもないね」
『何か気づいたことは?』
それはないわけではなかった。ここ数キロ、なんとなくだが違和感があった。
「下ってるような気がする」
『勾配があるってこと?』
11
シャトル路線の遺構は、どこまでいっても同じだった。暗闇ばかりだ。
恐怖感に慣れてしまうと、その後は悪夢のように退屈。それでも、何十キロか進む毎に詰め所があり、付設の物置には閉鎖当時の保存食が半分以上残っていた。上下水道もまだ生きており、生存という意味では最低限の恵みはあった。
トンネルに潜入して四日目。医務室を備えた大きな詰め所があった。電源は落ちていたが、道具はきれいに保管してあった。
蘭は意識を回復したものの、立つことすらできないほど衰弱していた。
泉子は決断した。
「手術するしかないね」
ミナトが放った銃弾は、蘭の胸元にめりこんだままだ。
千江はまだ生きている非常灯をかき集めてきて、診察台を照らしていく。
カツシは蘭を台に寝かせると、泉子に言った。
「やったこと、あるのか?」
「ないよ」
「……だろうな」
カツシはうなだれた。
ヒーラーの才能は血筋かもしれないが、それを除けば十七歳の普通の高校生なのだ。免許はおろか、医大にも入っていない。
「カツシが考えてるような手術はね」
「?」
泉子は蘭の戦闘服を脱がし始めた。千江が助手を務めることになった。
乾いた血で黒ずんだ下着があらわになる。傷口は膏薬の深緑色に染まっていた。
カツシはそれを医師のデスクに座ってぼうっと眺めていた。
女たちは少年に白い視線を送った。
「血まみれのおっぱい見てもしょうがないでしょ?」
泉子の一言に、カツシは顔が熱くなり、あわてて医務室を出た。
二時間後、泉子のお許しが出たので、カツシは医務室に入り直した。
蘭は診察台で寝息を立てている。毛布が首の下までかかっていて傷口は見えない。
千江はカツシを見るや、興奮した様子で言った。
「すごいの。彼女、すごいのよ!」
「な、なにが?」
「だから……ああもう、言葉じゃ上手く説明できないわ!」
千江は地団駄をふんだ。
一方、泉子はイスに腰掛け、疲れきった顔を横に向けて、事務机に突っ伏していた。
「こんなことやるもんかって、思ってた」
手術は成功したというのに、泉子はあまりうれしそうではない。
カツシは思い出した。彼女はできることが必ずしもやりたいことではないという、ジレンマを抱えていたのだった。
千江は言った。
「ヒーラーを生業にするかどうかは、あなたが決めることよ。たとえ途中で学ぶのをやめたとしても、それまでに得たものを仲間のために活かすだけだって、別にいいんじゃない?」
泉子はばっと身を起こした。
「そっか……そうだよね! あたし、ヒーリングをつづけたら、人生を一つの才能だけに引っ張られちゃう気がしてた。これはこれで、必要なときにやればいいんだ」
結局、泉子が蘭の体に何をしたのか、聞きそびれてしまった。彼女はメスも鉗子もピンセットも手にしていない。それだけは確かだった。
その後、これからどうするかという話題になった。
泉子は蘭をここで数日安静にすべきだと主張した。カツシもそれに賛成したが、千江はいますぐ出発するといって一蹴した。ステーションの壁をカモフラージュした立体映像を、常管が見破るのは時間の問題だった。何しろ敵には、千江をよく知る元同僚、岡崎ユタカがついているのだ。こちらの主力武装は手榴弾が三つと、拳銃が各自一丁、弾薬も限りがある。遭遇しないに越したことはない。
蘭の意見は聞けなかった。手術の後、再び意識を失ってしまった。
一行は千江の背嚢とカツシの黒いリュック(元ミナトの品)に、詰め所の物資を積めるだけ積むと、そこを後にした。
12
トンネルに潜入してから六日。
蘭の容態は安定していたが、生きているだけで精一杯のようだった。ときおり意識を取り戻しても、ぼうっとしていて言葉はなく、泉子が半ば強引に食事させようというときだけ、面倒くさそうに口が動くのだった。
カツシは慣れのためか筋力がついたのか、蘭を背負っていてもあまり疲れなくなった。泉子が代わろうかと言ってきても、すぐには譲らなかった。
「なによ。もう蘭の方がよくなっちゃったわけ?」
「そんなんじゃないって」
「じゃあ貸して」
「物みたいに言うなよ。あ、もしかして、そっちの気(け)もあるとか?」
「あたしのエロ本見たくせに」
ライトの光を向けると、泉子の顔は真っ赤だった。そういえば、泉子はBL本のコレクターだった。
「ヒーリングの力じゃ、言葉遣いは治らないみたいだな」
泉子がすごい顔をしたので、カツシは仕方なく眠れる蘭を譲った。
おしゃべり見習いヒーラーはそれきり大人しくなった。
先行する千江は、肩を揺らして笑いをこらえていた。
カツシはため息をつく。なんなんだよ、いったい。
『275』と書かれた白い柱(キロポスト)を過ぎた。
それから少し行くと、くすんだ金色の柱があった。細かく字を掘ってあるようだが、暗くて読めない。
千江は言った。
「中間点ね。SAITOとKYUTOの境界ってわけ」
ここから先は、生活の保証がなかった。空気はSAITO側から流れてくるようだが、水道は止まっている可能性が高い。止まっていたら、直近の詰め所まで引き返して容器に水を詰めこむしかない。
カツシは偵察要員を買ってでた。徒労は一人で充分だ。
千江は自分の拳銃をカツシに手渡した。
「気をつけなさい。無人とは限らないわ」
「いいのか? これ」
黄金色の弾倉を確かめる。例の強化ガラスを撃ち抜いた、特製の弾丸が十発残っていた。
カツシは代わりに自分の銃を千江に渡す。
「ユーレーがいるかもね」
泉子は笑った。
「それが神秘家のはしくれの言葉かっ!」
カツシは拳銃を腰にさすと、暗闇へ向かってのしのし歩いていった。
強気を見せたのは、中間点キャンプの明かりが見えなくなるまでだった。カツシは目に見えない脅威が苦手だった。
「余計なこと言いやがって」
ピトッ!
額に何か落ちてきた。
「わあぁぁぁっ!」
拳銃をかまえる。
ただの水滴だった。上を見ても水道管はなかった。空気中の水分が溜まったのだろう。
「どうしたの? なんかあった?」
エコーのかかった泉子の声が迫ってきた。
カツシは思わず怒鳴った。
「な、なんでもねーよ!」
きょろきょろ辺りを見回す。泉子の姿はない。
「無駄に弾撃たないでね」
また泉子の声だけ。くそ、幽体離脱もできるなんて聞いてないぞ。
カツシは試しにベエッと舌を出した。反応はなかった。
それからしばらく歩いて、伝声管と同じ原理だったと気づき、恥ずかしくなった。
『300』のキロポストを通り過ぎた。もうかれこれ二十五キロ、五時間も歩いたのか。荷物がない分疲れていなかったが、引き返すことを考えると、うんざりした。
左手の指輪が光った。千江にもらった無線機だ。
『どう? あった?』
音質の悪い千江の声が響いた。
「今、三〇〇キロ地点だけど、なにもないね」
『何か気づいたことは?』
それはないわけではなかった。ここ数キロ、なんとなくだが違和感があった。
「下ってるような気がする」
『勾配があるってこと?』
作品名:A Groundless Sense(3) 作家名:あずまや