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製作に関する報告書

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であるとか。わざと作業を遅らせて権利を奪ったサイバーフロント、さらにはそのサイバーフロントと提携をした5pb.親会社のTYOに打撃を与える。言ってみれば謀略ですよね。現にFDJの市川氏はこういうことも言っていました。
 
『スタッフの中には向こうに悪い感情を持っているものもいる』
 
と。彼のいう『向こう』が誰なのかは判りませんし、彼のいうスタッフが柴田氏なのか相澤氏なのか輿水氏なのかも判りません。ただやはり損害を与える意図のようなものはあったのかもしれません。とにかくそうやっているうちに私はシナリオの作業をどんどん進めていき、三ヶ月が経過してしまいました。
 
『名前の変更をしてくれ。テレカとかこっちで作った名前をもう印刷してしまったので変更はきかないから』
 
という柴田氏をはじめとする5pb.スタッフからそのような一方的な通告が来たのは十二月も終わりになってから。私としては非常に困惑することでありました。最初の不愉快な会合から後、実は二度ほど、柴田氏とはお会いをしていたのに名前の件についての話はまったくされておりませんでしたし、ですから、その件については終わったことというのが私の認識でしたから。だいたい、
 
『テレカに名前を印刷してしまったので変更がきかない』
 
という理由もおかしなことです。彼らの中ではゲーム本体よりもグッズであるテレカのほうが重要だということなのてすかね。だとすれば彼らはゲーム屋ではなくテレカ屋ということになる。普通そういう重要な決定は私も交えて協議をするべきだと思うのですが、相澤氏や柴田氏にはそういう考えは無かったようです。一方ですでにサイバーフロントでのシナリオをあがっており、プログラムも組まれている段階でしたし、そちらで伏線として張った名前の変更はきかない状態でした。FDJの市川氏からは、
 
『早くしろ』
 
という催促があり、しかしながら一方で、作業を増やすようなことを柴田氏たちはする。私としては誰に従えば良いのか分かりませんから、とてもやりにくいものがありました。結局、これは私の認識違いが問題だったのだと思います。つまり、私は、
 
『FDJの市川氏の下に、全ての人が統率をもって行動している』
 
と考えていたのですがそうではなくて、
 
『FDJの市川は孤立、軽蔑されており、現場の柴田たちが勝手にやっている』
 
ただ私はFDJの市川氏から指示を貰っているわけで、そういう意味では立場的に微妙でした。しかもFDJの市川氏は自分がチームの統率が取れなくなると全てを投げ出して、
 
『あとは柴田と勝手にやってくれ』
 
というような態度をとってくるようになりました。そこで、私も自分の職責を全うしなければなりませんから、柴田氏やグラフィックのチーフである相澤氏との会見に臨みました。本来であれば、こういう会合は最初にやって欲しいと思うのですが、そういうこともない。本当に段取りの悪いスタッフはどこまでも段取りが悪いものです。と、いうか、これも今にして思うことですが、結局はFDJの市川氏は自分の部下となるスタッフのことを私に見せたくなかったのかもしれません。グラフィックのチーフ相澤こたろー、輿水氏も、そして柴田氏もまともな人間ではありませんし、はっきり言えば、
 
『どこに出しても恥ずかしい人々』
 
でしたから。
 
『俺たちがつくってやってんだ。会社も役員も親会社も、俺たちを奉りやがれ』
 
と、グラフィックの相澤氏を初めスタッフはそのようなひねた考えを持っており、そして、それは多分、KIDの時代に植えつけられたものだったのでしょう。当時は確かにメモオフという作品によって会社は潤っていた。役員、社長何するものぞという思いがグラフィックのチーフである相澤氏などにはあったのでしょう。
  
『現場は俺たちが取り仕切ってるんだ。上は口を出すな』
 
確かにそうですが、彼らは単なるサラリーマンであり、さらに言えば、ピンでやっていけるだけの実力は無い。相澤氏にしろ輿水氏にしろ、
 
『それではあなた個人の代表作はなんですか?』
 
と問われれば、誰も答えられません。
 
 7
 
それに。私は思うのです。
 
『メモオフという作品は、ささきむつみ氏がいたから成り立った作品』
 
 なのだと。それ以外の人物は多分、いてもいなくても同じ。誰でも同じであったでしょう(当然ですが外注の私も同じです。私もまたいてもいなくても同じです)。それは多分、5pb.の人々にもわかっている。だから、余計に尊大な態度を取る。でも、やはり彼らはいてもいなくても同じなのです。
さらに言えば社内クリエイターは、会社あってのもの。KIDという会社はすでになくなっておりました。私も、もしもこれがKIDという会社が存続していて、そのKIDからのお呼びでメモリーズオフ6を作るということでしたらもっと別の態度をとっていたはずです。ただ、KIDという会社は倒産してなくなっていたのです。それは動かしようのない事実でした。ですからこその危機感でした。メモオフのスタッフはすでに存在自体に天意がない。私は、このグラフィックのチーフである相澤氏や輿水氏との話し合いで、思っていることを直接ぶつけました。曰く、
 
『KIDという会社はすでにない。昔のまま、以前と同じようになあなあのずぶずぶでやってもらっては困る』
 
『名前ひとつ決めるのに三ヶ月とはどういうことなのか。物見遊山、道楽気分、ふざけて仕事をするのはやめてくれ』
 
『皆さんの心がひとつになっていない。上は上で無責任、下は下で険悪に上を狙っている。これではプロジェクトとして危ない』
 
あるいはこういうことも申し上げました。
 
『メモオフ、メモオフと私物のように仰られるが、作品の権利はサイバーフロントにあり、それを5pb.が取得している。権限は会社にあるのであって、あなた方にはない』
 
『作品の権利は会社に属している。みなさんはそれを譲っていただいて、作業をさせていただいている立場でしかない。つまり、私と皆さんは立場は同じである。対等である』  
『このような状況ではまた潰れますよ』
 
私としては事実を言ったつもりでした(このときは、何度も言いますが私は5pb.が危機的な状況にあるとは知らされていませんでした。それを知るのは私がプロジェクトを外れて後のことでした。何も知らされていない私の見立てのほうが大筋で正しかったわけです)。いい加減な気持で乗り切れるほど状況は甘くはない。実力、技術のある会社でも利益を上げているか上げていないかという状況であるのに、過去の栄光にすがるだけの紙芝居ゲームが生き延びられるとはとても思われない。私はそう思っていましたから。私としては多少厳しいことを言ってでも現場に修正をしておきたかったのです。普通はそういうことはチームリーダーであるFDJの市川氏の役割でした。ですが、彼は何の能力もなく、また、人に嫌われたくないという思いの強い人でした。何かあると、
 
『まあまあ、万事丸くおさめて、穏便に……』
 
作品名:製作に関する報告書 作家名:黄支亮