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製作に関する報告書

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『KIDの権利は二束三文で買える』
 
というもの以降、ほとんど当てにならない、むしろ逆を張っておけば当たるという意味ではとても便利なものでした。彼が『三万本』といえば、それは不可能事なのです。あるいは、

『ここを切り抜ければ、メモオフも7、8と続けられる』
 
と言えば、作品はすでに命脈が潰えているということなのです。
かといって、請けた以上は私にも責任がありますから、適当なことはできない。多少でもセールスアップを図りたかったのです。ただ、六作目ということになると新規のお客さんはまずやってこない。さらに言えば、劣化していくイラスト。状況は暗澹たるものでした。少なくともシナリオだけで状況を好転させることはできない。であれば、何かしらの仕掛けを作りたい。それが、携帯カルタフィオラートでした。サイバーフロントで作られる携帯のメモオフとはキャラであるとか匂いや、雰囲気の部分でリンクを張っておけば多少でも売上に繋がるのではないか。きわめて脆いものですがそれが私の考えでした(その程度のことしか私にはできないのです。そして、今では判っていますがどれだけ大金を投じても死んだ作品を生き返らせることは出来ないのです)。

いずれにせよ思いますが、本当であればそういうことはプロデューサーの仕事であり、グランドデザインを描くからこそのトップだと思うのですが、そういう指示は残念ながら市川氏からも他のスタッフからもありませんでした。だとすれば最後まで何もしないでくださればいいのですが、おかしな場面で彼らは最悪のカードを引いてくる。もしも私が5pb.での経験で得た教訓があるとすれば、それは、
 
『能力の無い人間はトップに立ってはいけない』
 
ということだったかもしれません。
 
 4
 
とにかくメモオフの6を作ろうということになり、そのライティングは私一人でやってくれとそういうことでした。
 
『あなたの好きなようにやってください』
 
市川氏はそのように私に言い、ですから、私はその言葉を信じてやらせていただきました。ただ、何度も繰り返しますが私はこの時、5gk改め5pb. gamesの内情をまったく知らされていませんでした。私は、
 
『エグゼクティブプロデューサー兼役員である市川氏、さらにその下にプロデューサーの柴田氏。さらにはキャラの担当の輿水氏、グラフィックのチーフである相澤氏』
 
という組織図を考えておりました。普通は将軍がいて、参謀がいて兵隊がいる。それ以外の組織構図はありえない。外注である傭兵軍団(私ですね)を雇う権限を持つ将軍が一番偉い。この将軍の意見がトップダウンで下りてきて、そこで軍団は機能する。ですが5pb.に関して言えばそうはなっておりませんでした。この会社は内も外もガタガタで私が彼らと出会う以前からすでに組織として成り立っていませんでした。市川氏と柴田氏は犬猿の仲で、侮蔑し、憎みあっていました。柴田氏は市川氏のことを侮っていましたし、また、市川氏は市川氏で、
 
『あの馬鹿』
 
と部下のことを影で中傷をしておりました。また、グラフィックの相澤氏もエグゼクティブプロデューサーの市川氏のことを侮っていました。そして、そのことは初めて会う私ににさえ透けて見えました。チームの心はばらばら。そして、そのような破綻の兆候、というか、嫌な雰囲気は実は私と元FDJの市川氏、さらにはプロデューサーの柴田氏、ディレクターの松本氏との顔合わせのときにすでに見えていました。私は市川氏の要望で十月からシナリオの作成に入っていました(それ以前にはチームのスタッフとのミーティングというようなものは有りませんでした)。私は市川氏がチームや部下をまとめ切っていると信じて疑いませんでしたから、ですから作業を続けておりましたところ突然、柴田、松本の現場の責任者と会ってくれとそのようなことになったのです。私としては、まあ、そういうこともあるのだろうと思って、ですから彼らと会いました。ですが、会合は最初から紛糾しました。

これは、それから会合の時にはいつもそうなのですが、柴田氏と松本氏は私が到着を待っているということは絶対にありませんでした。いつでも遅刻。いつでも重役出勤。大物風を吹かせて遅れてやってくる。私を待たせるだけならばともかく、上司である市川氏も待たせる。私は自分のことを奉ってくれとは言いませんが、やはりそれはおかしいことだと思うのです。まがりなりにもエグゼクティブプロデューサーは市川氏でありますから、それよりも下の柴田氏や松本氏は上司よりも先に現場に入っていなければならない。でも、そういう社会人としての通念は柴田氏にも、松本氏にも絶無でした。もちろん、そのような、
 
『序列を気にしない』
 
という雰囲気がある会社も中にはあります。けれど、そういう会社は、当然ですが、
 
『他人にも敬意を払わないが、自分にも敬意を払ってくださらなくて結構』
 
という暗黙の了解があるものです。他人に敬語を使わない人間が敬語を使われなくても怒らないものです。ですが柴田氏も松本氏も自分に対して敬意が払われないと気が狂ったように喚くということで、本当の意味でフランクな人々ではありませんでした。もちろん、彼らには彼らなりに意見があって、ですから、
 
『市川和弘などには敬意を払わなくていいんだ』
 
という不文律があったのかもしれませんが、私は市川氏とは別人格ですし、外注の人間ですから、私もまとめて粗雑に扱うというのは筋の通らない話だと思うのです。あるいは、彼らには、
 
『俺たちはKIDの残党偉いんや』
 
という自負があったのかもしれません。ですが、偉いも何もKIDという会社は潰れてなくなっている。会社も作品も支えきれなかった人物が、
 
『俺をあがめよ』
 
と喚いてもそれは無理というものでした。柴田太郎氏も松本悠介氏も本当に態度が尊大で、普通に話をするということができない人々でした。あるいは、私は今は思うのですが、彼らには知的、人格障害があったのかもしれません。
 
とにかく、最初の面談で私は、
 
『サイバーフロントでも携帯でメモオフを作っている』
 
というお話をしました。と、いうか当然その話は市川氏から向こうの現場に伝わっているとそう思っておりました。なんとなれば12RIVENですか、その作品の製作のために市川氏はサイバーフロントを足繁く訪れていることを私は市川氏本人から聞いて知っていたからです。そして私の説明に対する柴田氏、松本氏の反応は常軌を逸したたものでありました。
 
『俺たちはそんな話聞いてねえ!』
作品名:製作に関する報告書 作家名:黄支亮