鋼鉄少女隊 完結
第十五章 アンジェリア
丁度、ピュセルに入って一年が過ぎた五月の休日、雪乃は自分の部屋でギターを弾いていた。最近は、アコースティックギターを弾くことが多い。もともとエレキギターから始めたので、アコギには縁が無かったのだが、一人居るときに気晴らしに弾くようになった。仕事でさんざんやっているので、何か仕事ではやらないことのほうが、息抜きになった。アコギで一人でメロディからコードまで弾いてしまう。雪乃はクラッシックギターを弾いていたのだ。
別にクラッシックギターを誰かに習うのではなく、自分で本買ったり、DVDになった教則買ったりして練習した。
初級の誰でもが弾く『禁じられた遊び』は直に弾けた。今は、ロドリゴの『アランフェス協奏曲』を練習している。特に人気のある第2楽章は美しく、確かに弾いていて気持ちがよかった。
そんなふうに、アコギを弾いていた時、麻由が携帯に電話してきた。
「雪乃、今何してるの?」
「ギター弾いてる」
「作曲してるの?」
「違うよ。ただの遊び」
「じゃあ、一人で遊ばずに一緒に遊ぼうよ」
「何して?」
「わかんないよ。あんた何かおもしろいこと無い?」
「釣りしようか?」
「やだよ! 魚なんて生臭いから嫌」
「魚じゃないよ。カニ釣り」
「カニ? そんなもの釣れるの?」
「すごく釣れるよ」
「ザリガニ釣りみたいなもの?」
「あ、そんな感じ。釣れるカニはもっと小さいけどね」
「行く! 行くよ。おもしろそう。子供の頃、お父さんと公園の池でザリガニ釣ったことあるんだ。じゃあ、三十分後くらいに、あんたのとこ行くわ」
それから、言った通り三十分くらいして麻由は電動アシストの自転車でやってきた。麻由の家は雪乃の家から電車で一駅くらいの距離なのだ。
雪乃も電動アシストの三輪自転車に乗る。静岡から乗ってきたサイドカー付きバイクは、以来一度も乗らず、車庫に入れっぱなしになっている。バイクに乗ってきたのを会社から、すごく怒られてしまった。ピュセルに居る間は、バイクも自動車も運転しないようにと約束させられた。事故にあったら、ピュセルのメンバが欠けてしまうことになるからだ。その理由で、一人で釣りに行くことも禁止された。だから、こちらに来てからは、一人ではなく横浜の祖父とともに、ときどき海に釣りに行く。海は自転車で15分くらいだが、祖父との時は車で行くのだ。今日も、麻由と一緒なら、一人じゃないのでOKだろうと思っている。
雪乃は三輪自転車の後のカゴに、蓋付きの水槽と、かに釣りの仕掛けの短い棒を何本か積んでいた。二人で海というより、河口付近にくる。堤防を乗り越えて、波よけのテトラポッドのすきまに、先にスルメを縛った糸を短い棒の先につけて降ろす。念のため、二人は自動膨張式の肩掛けタイプの救命胴衣を付けている。普段は帯のように平べったくて、かさばらないが、海面に落ちて水を吸うと膨らむやつである。
雪乃は最初に甲羅が十円玉くらいの大きさのを一匹つり上げる。網で受けて、薄く海水を張った水槽に入れる。麻由もほどなく、同じくらいの大きさのカニを釣り上げる。
そうやって二人で二十匹くらいの小さなカニを釣り上げた。
「ねぇ、雪乃。このカニどうするの? 帰るとき逃がしてやるの?」
「逃がさないよ。家に持って帰る」
「え! まさか、これ食べるとか……」
「食べないよ。水槽で飼うんだ。海水の素ってやつで、水作って、エサやって飼っておくの」
「あんたって、やっぱり変わってるね。ペットがカニだなんて」
「ペットじゃないよ。魚釣るときのエサにするのよ」
「魚ってカニ食べるの?」
「うん! 黒鯛はね。黒鯛釣るときのエサを先に取って飼っておくのよ」
麻由は自分の理解の範疇を超えしてまっている雪乃の言葉に、ただ、ふーんとだけ返事する。
「この辺てその黒鯛いるの?」
「うーん。どうかな? もうちょっと河口よりか? 港のほう行くと確実に居るよ」
「ねぇ、魚って海の中で普段、何してるんだろ?」
「確実に言えるのは、泳いでるってことかな」
麻由は冗談めかしではなく、真面目な顔で言い出す。
「泳いでるのはわかってるよ。あとゴハンも食べるのもわかる。ねぇ、魚って恋愛とかするのかな?」
「恋愛? 恋愛するかどうか知らないけど、産卵期になると、ちゃんと相手見つけるみたいよ」
「ねぇ、魚は相手見つけたらとずっと一緒にいるの? それとも離婚とかもするの?」
「あのねぇ、魚の世界では、一夫一婦制はすごくまれなの。夫婦でいるのはサケがそうかな。あとネンブツダイ。あんたがよく見る魚では、ピンク色のマダイもそうみたい」
「あんた、魚釣り好きなだけあって、魚のこと詳しいんだ」
「実はね。私のお祖父ちゃん。今一緒に住んでる、横浜のお祖父ちゃんじゃなくて、私が子供の頃から一緒に居た静岡のお祖父ちゃんて、大学で魚のこと教えてたんだ。海洋生物学、生物海洋学? なんか、そんなやつ。だから、魚のこといっぱい教えてくれたんだ」
「えー! あんたのお祖父ちゃんて、大学の先生だったの! あんたの話では、てっきり軍事評論家かなんかと思ってたよ……。そりゃ、魚詳しいよね……。ねぇ、話戻すけど、普通の魚の夫婦ってすぐ離婚しちゃうの?」
「ほとんどの魚は、産卵期かぎりの付き合いでしょ。次の産卵期はまた別の相手になるわけ」
「ふーん、そうなんだ。でも、魚でも、産卵期になればちゃんと恋人みつけるんだ……」
麻由はしばらく沈黙を続けたのち、吐き捨てるように言った。
「私も……、彼氏欲しい!」
雪乃は思わず返事につまってしまう。何か声かけてやろうと思うのだが、言葉が浮かんでこない。
「ねぇ、雪乃。あんた処女なの?」
「はぁ……。なんでそんなこと聞くの? 恥ずかしいよ」
「私そうよ。小学校六年のとき、ピュセルプロジェクトの研修生になって、14才でピュセルに入って、今年で17才。ずーっとよ。男の子と付き合ったこともない。デートしたこともない……」
雪乃も肯く。
「私も……、そう!」
「そうだと思ったよ……。あんたって、きれいで可愛いけど、男寄せ付けないような雰囲気あるもんね。て、言うかピュセルのメンバー、みんなそんなとこあるものね。ピュセルに居る間は恋愛禁止。まるで、修道院の世界よね」
雪乃は沈黙を守る。普段から、こういうことを考え、突き詰めていないと、なかなか言葉が出てこない。結局、麻由のグチの聞き役になってしまった。
「今年の四月、久しぶりに中学時代の友達の女の子達に会ったんだ。そしたら、みんな、今付き合ってる彼氏の話ばっか、するわけ。私、みんなの話題に入れなくて……。私って、自分のことアイドルグループに入れて、勝ち組だって思ってたの。でも、ほんと、勝ち組なのか自信無くなっちゃったよ」
雪乃はなにか麻由を慰めるようなことを言ってやりたいのだが、ほんと頭が真っ白で言葉が浮かばない。麻由がそれを見透かしたように言う。
「今のあんたの状態わかる。言葉が浮かんでこないでしょ。私もこの春そうだったもの。恋愛話に入り込むような、ネタも考えも何もなし。普段経験してないことには、ほんと絡んでいけないよ」