鋼鉄少女隊 完結
第十章 タケル
「お嬢さん、この辺りが港西町三丁目二番地ですけどね。マンションですか? 建物の名前わかりますか?」
タクシーの運転手が尋ねてくれる。
「えーと、シーサイドレジデンス21てとこです」
「あー、あそこですねぇ」
藤崎彩の住むマンションを探し当て、雪乃はその玄関に立つ。オートロックで、玄関にあるインターホンで彩の部屋番号を押し、呼び出すが返事がない。彩の携帯にかけるが、マナーモードになっている。連絡もせずに来たので彩は不在かと悩むが、何故か雪乃は部屋に居るという確信のようなものを感じている。
中から住人らしい中年婦人がドアを内側から開き出てくる。そのドアが閉まらぬよう慌てて手で押さえる。
「こんにちわ。いいお天気ですね」
その婦人に挨拶して、雪乃は中に入ってしまった。暗証番号を押そうとしていたら、中から開いたので、そのまま入ってしまった住人というふうを装った。外に出た婦人はどんより曇った空を見上げる。
「どこがいい天気なのよ……」
毒づいて歩き出す。
八月の中旬にも関わらず、異常気象なのか梅雨のような天候だった。気温は二十八度くらいで、八月初旬のかんかん照りの日々に比べれば、はるかに過ごしやすかった。
雪乃はジーンズのショーパンに、ライラック色のTシャツ、ジュート素材の編み上げのトートバッグを肩に掛けている。Tシャツは以前、彩に貰ったやつだ。前面に黒の線描で細かい花が幾つも描いてある。ブランド物らしいが、ファッション雑誌などに縁の無い雪乃にはわからない。着ていけば、彩が喜んでくれるような気がしたのだ。髪は普段はいつも無造作に後で、一本結びにしているのに、何故か今日はツインテールにしてしまった。
雪乃は横浜の祖父母の家に居住しているため、けっこう、近所の人には挨拶だけはかかさないほうだったが、彩がどれだけ、近所付き合いをしているかはわからなかった。もし、彩が近所の人に、うちの後輩ですと紹介し、その人が彩がアイドルグループ属しているのを知っている人だとしたら、何か、アイドルアイドルして行かねばと、ツインテールにしたのだ。
雪乃は彩の部屋の前に行く。チャイムを鳴らすが反応はない。 二・三度鳴らした後、今度はドアを叩く。
「藤崎さん! 村井です!」
さらに叩き続ける。
「彩ちゃん! 村井雪乃です!」
右隣のドアががちゃっと開き、若い女が顔を出す。雪乃をほうを見て、露骨にうっとおしそうな顔をした。
「どうも……」
雪乃は小さな声で呟いて、その女に会釈する。バタンとそのドアは閉じられる。雪乃があきらめて帰ろうと思った刹那、目の前のドアの鍵が、中からガチャッと外される音がした。ドアが内側に開かれる。その奧にいる人物を見て雪乃は凍りつく。
「失礼しました! 間違えました!」
雪乃は去ろうとする。しかし、ぶっきらぼうな低い声が中へと誘う。
「間違ってない。さっさと入れ! 近所迷惑だろうが」
そこに立っているのは、グレーのジャージに同色のだっぷりとしたTシャツを着た長髪の若い男だった。よく見ると、目鼻立ちが彩に似ているような気がする。彩は一人っ子だと言っていた。きっと、彩の従兄弟ではと思った。
「失礼します」
戸惑いながら入る雪乃の目に、見覚えのあるピンク色のスニーカーが目に入る。白い細かい花が幾つも描いてある。彩がこれを履いていたのを思い出した。玄関のシューズボックスの上に白鳥の置物がある。壁にも白鳥のイラストの額が掛かっている。白鳥の形をしたスリッパ立て、白鳥の頭の靴べら。彩は白鳥グッズが好きだった。携帯ストラップも白鳥、靴下やハンカチも全て白鳥柄にする凝りようだった。彩のことを戸田明日香がスワン症候群とからかっていたのを思いだした。雪乃はここは確かに彩の部屋と確信した。しかし、彩はどうしたのだろうかと訝しむ。
広いリビングに通される。床はフローリングでダンススタジオかと思うくらいだ。端の方がキッチンになっており、絨毯張りで間仕切りの無い応接間に隣接していた。寝室は、玄関から通ってきた廊下側らしかった。男はリビングとすっ通しの応接間のソファにごろっと横になって、じゃまくそうに言い放つ。
「どこでも、好きなとこに座れ!」
雪乃はリビング側にもある応接セットのソファに座る。男とは四メートル程の距離がある。
「あのー、彩さんはご在宅なんでしょうか?」
男は意味不明なことを言う。
「居るといえば、居るし、居ないと言えば、居ないなぁ……」
どういうことなんだと、雪乃は思う。多分、さっきまで居たが、ちょっと近所まで出かけて、すぐ帰るということかと推測する。
「いつ頃、帰られるんでしょうか?」
「ああ、今日は当分帰って来ないだろうなぁ」
雪乃はこれは駄目だと思う。彩はやはり、留守ではないか。やはり、昨晩電話してから来ればよかったと後悔する。挨拶をして、家を辞そうと立ち上がった瞬間、男はまた意表を突く言葉を発した。
「おい、おまえ! 料理は出来るのか?」
「はぁ!」
としか雪乃は返事が出てこない。
「料理は出来るのか? と聞いてるんだ!」
「はい。そんなに上手じゃないけど、一応は出来ます」
「じゃあ、なんか作ってくれ。冷蔵庫とかその辺の段ボール箱の中に材料が入ってるだろ。腹が減ってしかたないんだ。朝からなんも食ってないんだ」
雪乃は一瞬戸惑った。この男の素性がわからないからだ。あり得ないと思うが、彩の彼氏だったらどうしようという危惧を感じていた。彩に無断で部屋に入り込み、彩の彼氏に食事を作って出したなんて、彩に知れたらまずいことになるのではと思った。だから、まず確かめておく必要があった。
「あのー、彩さんとはどういうご関係の方なんですか?」
男は面倒くさそうに口を濁す。
「俺かぁ、俺はなぁ……、まあ彩の身内のようなもんだ」
「彩さんのご親戚の方ですか?」
「まぁ、親戚というか……、まぁ……なんと言っていいのか、言葉が見あたらないような親戚だ」
なるほど、遠い親戚に違いないと勝手に思った。雪乃も従兄弟より先の親戚をどう表現するのか知らない。祖父の兄弟の息子のそのまた息子の……とか、複雑な枝分かれの先の親戚なんだろうと思った。
「わかりました。何か作ってみます」
雪乃はリビングの向こうの端っこキッチンのほうに行く。距離が開いてしまったためか、男が大きな声で怒鳴る。
「おい! 手間暇かけた凝ったものはいらないぞ。早く出来るものにしてくれ。味はそこそこでいい。早いものにしてくれ!」
冷蔵庫の中を見るが、肉類は無く玉子が一パック入っていた。冷蔵庫の傍らの段ボール箱には野菜や油の缶やら調味料、レトルトパックのご飯が入っていた。彩はピュセルに入って以来、両親と東京の自宅に暮らしていたが、彩が二十歳になるのを待って、夫婦で群馬県のほうに引っ越して行ったのだ。残された彩はマンションで一人住まいとなった。
ピュセルプロジェクトのメンバー達には未成年の間は親または親戚と同居しなければならないという規則がある。その為、地方出身のメンバーは母親や兄弟姉妹とともに東京にやって来て、会社の借りてくれるマンションを社宅として暮らしている。父親達は地元に残されることになる。