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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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第四章 夢魔



 あれから、由紀は雪乃を離さない。由紀はまた熱心にスケートの練習に励むようになったが、週末、雪乃を呼んで自分の家に泊まらせる。由紀は母と子の二人暮らしだった。由紀の母も家族が増えたように喜んでくれた。
 土曜日に由紀の家に呼ばれ、三人で食事して、トランプやUNOをして、テレビを見て笑いはしゃぎ、由紀のベッドの横に布団を敷いて、段差はあったが並んで寝た。由紀はしゃべりまくって、雪乃を寝かせてはくれなかった。
 そして、日曜日の夕方、早めに夕食を摂らせてもらい、雪乃は由紀の母が手提げの紙袋に詰め込んだ、果物や菓子を土産に持たされて送り出される。月曜から仕事なので、会社の寮に帰るのだ。由紀といえば、見送ると言って何処までも付いて来る。帰り道が暗くなるので、見送らずに帰れと言っても、何時までも付いて来るのだ。駅の改札口で、「じゃー」と言っても、電車が到着するまで帰らない。毎週泊まりに来いというので、月に一度にしようと言うと、二週間に一度じゃなきゃ嫌だという。
 雪乃はこんな過剰な人間関係に慣れていなかった。路地を裏道を、他の人間に会わないようにそっと通ってきたのが、雪乃の人生だった。由紀の自分に対する思いの過剰さは甘美な菓子であると同時に、劇薬のようにも感じた。今まで生きてきた雪乃という人間を、形が無いくらいまで溶かしてゆく、猛毒のように感じた。しかし、そうやって溶けて行くことに幸せを感じ初めていた。
 ドアが閉まり、電車が発車する。ガラス越しに、
「雪乃! またねぇ、またねぇ!」
と、由紀が改札口で叫ぶ姿が見える。雪乃は回りの乗客の目を気にして、右手を軽く胸の辺りに上げただけだ。
 雪乃は、ふぅー、と深い息を吐き座席に座る。由紀と居るのは楽しかった。しかし、濃密過ぎるのだ。飲まず食わずでいた人間に、肉の塊を食わすようなものだ。暖かく薄いスープくらいが丁度いいのだ。
 でも、遠ざかる由紀に赤い星を感じているのは好きだった。電車の窓越しに由紀の方向を向く。暖かいマゼンタの赤い星が、心臓が鼓動するように収縮と膨張を繰り返しているのを感じる。由紀は本当に今日、楽しかったのだなぁと感じる。
由紀の幸せが自分の幸せなんだなあと実感する。

 由紀の家に泊まり、帰ってきた日曜の夜のことだった。電車を降りて、自分の会社の寮に向かう。駅前の商店街を過ぎ、川沿いの公園の傍らを行く。ふと見ると、公園の植え込みに人が倒れている。雪乃は駆け寄る。汚い作業服のようなものを着た白髪の老人が横たわっていた。
「おじいさん! どうしたんですか! だいじょうぶですか!」
 雪乃は老人の肩を揺する。
「ああ、ほっといてくれ。ありがとう。ありがとう。でも、ほっといてくれ」
「ほっとけるわけないでしょ! 何処か具合が悪いんですか? 救急車呼びましょうか?」
 老人は体を反転して草むらのほうに転がる。
「頼むから、向こう行ってくれ。わしなんか見なかったことにしといてくれ」
「そういうわけにはいきませんよ。家は何処なんですか? 家族の人に連絡しましょうか?」
 老人はうっとおしそうに、雪乃のほうを見つめる。
「家族なんていないよ。三十年前に死んじまったよ。家ったって、そこの青いシート張ってあるのが、わしの家だよ。だから、ここはわしの庭だ。庭で涼んでるんだよ」
 雪乃は老人を引き起こす。
「じゃぁ、家に入りましょう」
 雪乃はぶつぶつ言う老人をブルーシートを掛けた掘っ立て小屋に入れる。中は三畳くらいで、段ボールが敷き詰められている。段ボールの上に座った老人の腹がぐーう! と鳴る。雪乃はそれを聞いて、由紀の母親からもらった紙袋から、バナナとロールケーキを取り出す。
「お腹空いてるんじゃないですか? ほらこれ食べてください」
 老人は不機嫌に怒鳴る。
「いらないよ。食いたくないんだ」
 由紀はバナナの皮を剥き、老人に手渡そうとする。
「食べないと死んでしまいますよ」
 老人はその手をはねのける。
「死んじまいたいんだよ。飢え死にしたいんだよ」
 雪乃はあきれてしまう。
「どうして、死にたいんです?」
 老人は突然わっと泣き出す。
「女房や子供死んじまったのに、なんで生きてたんだろうなぁ。あの時、一緒に死んじまったらよかったのに……・」

 雪乃はもうどうしたらいいのかわからなかった。
「奥さんや子供さん、どうして死んだんですか?」
 老人は遠い過去を思い、うつろな眼になる。
「女房と娘と息子、車に乗せて、川に遊びに行ったんだ。子供らは水の中に入ってはしゃぎまくってたよなぁ。夜、帰りにドライブインで、あいつらに鰻重食わしたんだ。そら、うまいうまいって食ってたよな。デザートにメロンも注文したんだよ。お父さん、おいしいよぉって、娘が言ってたよなぁ。残業続きだったからな、帰り道、ふと居眠り運転してしまったんだ。そしたら、反対車線にでてしまって、トラックにガーン! だ。わしだけ生き残ってしまった。死んじまえばよかったのになぁ……・」
 雪乃は胸がきゅっ締まるようなせつなさを感じた。自分は父親を亡くしていたが、もし自分の父親が生きていて、死んだのが自分なら、父親もきっと幾ら年月が経っても悲しんでいてくれるような気がした。雪乃は老人の気が休まるようなことをして上げたいと思った。
「おじいさん。ちょっと、待っててね」
 雪乃は商店街のほうに駆けた。鰻屋で鰻重をオリに詰めてもらった。果物屋にゆき、メロンを買った。直ぐに食べられるように、切ってパックしてもらった。地面に敷いた段ボールだけでは冷えると思って毛布も買った。給料日前だったので、なけなしの金は全て消えた。しかし、気にはしなかった。寮の食事は給料よりの天引きなので、小遣いがなくなるだけの不便だと思った。
 また駆けて戻ってきた雪乃は、掘っ立て小屋に入る。
「おじいさん。鰻、一緒に食べよ! 私とじゃ嫌かもしれないけど……」
 雪乃はきょとんとした。そして、また外に出る。また、中に入ってみる。頭がすっかり混乱し、口がきけない。
 掘っ立て小屋の中は、二十畳くらいの広いフローリングの部屋だった。開いた窓からは、美しい山々と森が見えた。風が窓のレースのカーテンを揺らす。窓際に、机と椅子が置かれ、さっきの老人が座っていた。汚い灰色の作業着を着ていた老人は、チェックのブレザーという出で立ちで、パイプをくゆらせている。
「合格だよ。雪乃、お前は合格だ」
「これ、どうやってるんですか? プロジェクターか何かで映像を投影してるの? なにこれ、テレビのドッキリ番組。何なの、これ?」

 老人はにこにこして雪乃に椅子をすすめる。雪乃は椅子が固い実在するものなのか触ってから座る。「おじいさん、誰なんですか? この中、なんでこうなってるの?」
「実はわしは人間じゃないんだよ。夢魔というんだ。人間の力を超えた特別な力を持ってる。だから、こんなことが出来る。それでな、実はお前も夢魔なんだよ。お前もそういう力を持ってる」
 雪乃はいまいましそうに言い切る。
「そんなこと信じられるわけないでしょ!」
「でも、普通の人間はこんなことできないだろう?」
 雪乃は苛立つ。