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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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 由紀はこのプログラムに四回転ジャンプを一つ入れていた。今の由紀にとって、六種類のジャンプ全てを四回転で飛ぶことは可能だったが、あえて飛ぼうなどとは思わなかった。そんな男子さえ達成していないことをやってみせて、観客をど胆を抜くようなことはしたくなかった。
 荘厳でダイナミックな曲は次第にテンポを速めてゆく。並足で進んでいた騎兵の大群が突撃体型になり疾走してゆくように。由紀は二つ目のジャンプで四回転を飛んだ。きれいに着氷する。観客がどよめいた。それから幾つもの三回転を力強く飛ぶ。スパイラルもステップも切れがいい。
 原田は一人はらはらとして見ている。あの衰弱した体が持つのかと不安なのだ。激しく力強く滑る由紀が突然限界が来て、電池の切れた携帯の画面が突然真っ暗になって消えていくように崩れ落ちるのではないかと恐れている。まるで、今日の由紀は全ての命を燃やし尽くそうとしているかのようだった。
由紀は少しずつだが、夢魔の死に方を体得しつつあった。原田が感じていたように、自分の中の余剰の命を絞り出し、燃やし尽くすという感覚。もう、これで全てを使い切ってしまうという感覚だった。演技最終のスピンに入る。くるくるとコマのように回る。次第に回るスピードが落ちてくる。しかし、それからまた急激に加速して回り続ける。どこにそんな力が残っていたかと思うようにスピンは長く、速く続く。
「由紀ちゃん。もういい。もういいよ。もう充分だから」
 原田は由紀の体を気遣う。実際、思った以上に由紀の体は衰弱しており、練習の合間に氷の上でうずくまってしまうことが度々あったのだ。
 スピンが止まり、由紀は腕を上方に差し上げフィニッシュする。その顔は上気して幸せに満ちている。
「これで行く!」
と、由紀は思った。目の前がぱっと輝いた気がした。自分の体が熱く燃え上がるように思った。
実際、その場の観客達の目にも、由紀の体が一瞬ぱっと光ったように見えた。テレビに映った姿ではその光は見えなかったのだが。
 由紀は腕を突き上げたままのフィニッシュの姿勢でじっと、待ち続けた。しかし体は光になって拡散してゆくことはなかった。観客は総立ちで拍手してくれているのにも関わらず、由紀の耳には届いていなかった。精神と肉体の奧に湧きだした熱いものを、意識の力で頭上に導こうとしていた。自分の内部に光の玉が見えた。それが序々に上昇してくる。しかし、胸の辺りでその輝きは急にあせて、次第に小さくなり消え失せてしまった。
「失敗した……。でも、力の使い方はわかった……」
 由紀の内部から光が消え失せて、初めて周りの音が戻ってきた。とても大きな音だった。スタンドで立ち上がった観客からの拍手と歓声が聞こえた。由紀は自分の演技が絶賛されていることに気付いた。四方にお辞儀をして、リンクから上がった。その時、背中一面に電気が走るような激しい痛みが襲った。
「あうぅーっ!」
 由紀はフロアに横たわり呻き続けた。原田が由紀を抱き起こし、金切り声を発する。
「由紀ちゃん! 大丈夫? すぐ救急車呼ぶからね!」
 由紀はそれを手で制し、口の中で媚の長に習った沈痛の呪を唱える。遙かな古代の言語でまったく意味もわからず、奇妙な発音の言葉だった。呪が効力を現し、次第に痛みは和らいでいった。滑る前に念入りに、腹腔神経叢に呪を込めて入れ、痛みを遮断していたはずなのだが、演技のフィニッシュの時に由紀の内部に湧きだしたあの輝く光の玉が、全ての呪を吹き飛ばしていったようだった。
「大丈夫です。先生。気がゆるんじゃって……。大げさに痛がってしまって、すみません。大丈夫ですから」
 由紀は原田の手を振り切って一人で立ち上がり、ふらふらとキスクラのほうに行こうとする。原田が慌てて後を追い、由紀の肩を抱く。
 キスクラで得点と順位が発表される。フリープログラム一位だ。ショートと合わせて総合で一位だった。原田が熱狂する。
「ほら、あんたが一位だよ。ほら!」
 由紀はキスクラでぐったりしていた。体力も精神力も全て使い切っていた。
「あ、そうですね。ほんとだ。でも、なんか疲れすぎてて、実感がないんです。ほんとうなら喜ばないといけないのに。疲れちゃって……」
 原田が由紀の頭を抱いてすすり泣く。
「そうだよね。よくやったよ。がんばったよ……」
 後一人最終滑走者を残していたが、由紀の優勝はほぼ確定だった。最終滑走者のショートで順位は六位でポイントも大きく離れていたからだ。
 
 全ての滑走が終わり、由紀は日本選手権で優勝した。表彰式で金メダルをかけてもらう。疲れ切った重い体をひきずり壇上に登るが、心は晴れなかった。失敗してしまったのだ。夢魔の死を行うことが出来なかった。しかし、その方法はわかったのだ。次は出来るような気がする。しかし、練習のように一人でリンクで滑っていても出来ないと確信している。この会場での緊張感と、満員の観客から押し寄せてくる気力の波のようなものが必要なのだと感じていた。
 次の直近の大会といえば、来年の二月の四大陸選手権。それから三月の冬期オリンピックだった。四大陸選手権は経験を積ます場のようにして、オリンピックや世界選手権代表から落ちてしまった選手が割り当てられる。しかし、由紀は日本選手権一位なので、オリンピックのほうに行く。
「あと三ヶ月か……。持つかなー……。この命」

 日本選手権の表彰式が終わった直後、由紀とコーチの原田はスケート連盟の理事長に呼ばれた。女子フィギュアスケート強化部長の中年女性もいた。今回のオリンピック代表の選考基準として、グランプリファイナル優勝者、日本選手権優勝者は無条件で選ばれると発表されていた。しかし、由紀の病状を危惧した理事長が由紀の出場の意志を確認した。由紀は凜として言い切った。
「大丈夫です。オリンピックに出させてください。もし、急に病状が悪化して体が動かないような事になりましたら、早めに辞退いたします」
 理事長は肯いた。連盟と強化部長に定期的にコンディションを報告し、出場が無理なようなら代わりの選手を代表に立てるということで決着した。
 
 日本選手権優勝。オリンピック代表に選出。双方の表彰式、発表セレモニー、記者会見で由紀は疲れた体をさらに消耗させた。帰りのタクシーの中、隣に乗っている母にもたれうとうとしていた時、また激痛が襲ってきた。必死で沈痛の呪を母に聞こえぬよう口の中で唱えるが、効き目がない。呪言は誰が唱えてもも効力があるわけではない。呪者としての能力のあるものが、研ぎ澄まされた精神力、針の穴を凝視するような集中力をもって唱えて効力があるものだった。今の由紀は心身の疲労のため精神が散漫になり、呪の効果がなかった。
 横にいた由紀の母が、自分のハンドバッグを探っている。
「由紀ちゃん。もういいんでしょ? 試合後のドーピング検査終わったんだから」
 母はアルミスティックに入ったモルヒネの内服液を取り出し、由紀の口に持って行く。
「もう飲んでもいいのよ。終わったのよ。もう麻薬使ってもいいんだからね……」
 服用し麻薬が血中に広がっていくに従い、痛みが薄れてくる。次第にものが考えることが出来るようになってきて、由紀は強く思い続ける。