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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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第八章 師父



 あの銀杏の木は、枯れ、枝が落ち、幹は縦に割れて無惨な姿になっていた。しかし、それ以後、由紀の力は外に向かうことはなかった。雪乃を殺したのは自分だ、という思いから自分自身を害そうとしたため、その力は由紀の体を蝕んでいった。ほとんど治癒しかけていたガンが、また広がっていった。由紀はまた、死を宣告された。今度は余命六ヶ月だった。
「三ヶ月もおまけが付いてる」
 由紀は暗い眼をして、皮肉な笑みを浮かべて呟いた。由紀の母は、娘の人格が変貌していることに、戸惑った。まるで、自分の死を楽しんでいるような、不気味なそぶりを見せるのだった。 
 由紀は自分の死が待ち遠しかった。しかし、死ぬなら雪乃の側で死にたという思いが募った。夢魔の老人から吸い取った記憶によると、雪乃は、自分の命を分散させ、広く広がり、この惑星を覆い尽くして消滅したらしい。由紀は自分もそうやって、命を消滅させることができれば、雪乃の側に行けるのではないのかと思った。でも、ガンで死んで行こうとしている由紀は、人間と夢魔の中間でしかなく、夢魔の死に方が出来るかは疑わしかった。
「一瞬に燃え上がり、燃え尽きる」
 この言葉がヒントだった。老人は、夢魔の死に方として、雪乃にこの言葉を伝えた。どうやら、夢魔ならこの言葉でその方法を理解できるようなものらしかった。由紀は必死で考えた。
「一瞬に燃え上がり、燃え尽きる」
そんな、体験を思い起こそうとした。思いついたのは、フィギュアスケートの大会で、極度の緊張と集中の果ての、演技を終わらせた瞬間の充実した喜びに思い至った。あの瞬間に死ぬなら、自分は夢魔の死に方が出来るかもしれない、と。

 由紀は退院し、家に戻ってきた。末期のガン患者なので、痛み止めの処置以外には治療法はなかったので、さっさと引き上げてきたのだ。
 その日、由紀は自宅に、コーチの原田康代と、スケートの先輩である前川綾乃を呼んだ。原田は時間どうりに来てくれていたが、前川は仕事の打ち合わせの都合で、三十分ほど遅れてやってきた。
 前川が応接間に入ると、原田が口を開いた。
「前川さん。もう、聞いてよ! この子、この体で日本選手権に出るって言うのよ。あなたからも、止めるように言ってやってよ!」

 前川は唖然として、由紀のほうを見る。由紀は暗い眼に光をたたえ、思い詰めたような顔で、前川に懇願しているように思えた。前川は父をガンで亡くしていた。だから、末期のガン患者が、これから辿る道筋がわかっていた。
「原田先生。日本選手権は三ヶ月後だから、まだ由紀ちゃんの体は充分動いていると思います。体が動かなくなる前に、最後のスケートをやらせて上げたらどうでしょうか」
 原田は信じられないというふうに、前川を見つめる。
「あなたまで、何言ってるの! 駄目! 私は、付き合えない!」
 前川は原田を説得しようとする。
「私の父は胃ガンで、病院で死にました。私と母は父に、一週間でも一日でも長く生きていて欲しくて、必死で世話をしました。父は秋に亡くなりました。その一週間前に、ぽつっと言いました。『今頃、涸沢はナナカマドが真っ赤だろうあぁ』って。北アルプスの穂高連峰の涸沢のことです。父は若い頃から登山が好きだったんです。私達、父の延命ばかり望んでて、父が死ぬ前にやりたかったことなんか、考えもしなかったんです。父も一生懸命尽くす家族に遠慮したのか、山のことなんか言いだしもしませんでした。私、後悔しました。まだ、末期ガンと宣告されても、体力のあるうちに、どうして父と山に登らなかったんだろうと。だから、後悔したくないんです。今、由紀ちゃんのやりたいことをやらせて上げたいんです」
 原田の目からぽろぽろと涙がこぼれた。
「前川さん。あなたって、ほんと強い人ね。私はね、この子が死ぬってことも、辛くて耐えられないのに、その上、この子が弱った体で、氷の上で苦しむなんて、痛々しくて見てられないのよ!」
 その言葉に由紀も泣きだす。原田は自分の涙はほっておいて、ハンカチを取り出し、由紀の涙を拭いてやる。それから、そのハンカチを折り返して自分の涙を拭った。
「わかった! 由紀ちゃん。やろう! でも、あなたが、氷の上で、ちょっとでも苦しんだり、痛がったりしてたら、止めさすよ。試合中でも棄権させるよ」
 由紀が、こくっ、と肯く。

 前川が目の前の卓上の紙を取り上げる。由紀が自分で選んだ、ショートプログラム、フリープログラムの曲名が書かれている。前川が心配そうに言う。
「ショートがラベルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』なの。これって、きれいなメロディだけど、静かで、ゆっくりした曲よね。由紀ちゃん、こんなので、ジャンプがうまく飛べるの?」
 原田が口を添える。
「前川さん。それはだいじょうぶ。最近この子、円熟してきたというか、うまくジャンプのタイミング掴めてるから」
 由紀がこの演奏でやりますと言って、卓上に何枚も置いてあるうちの一枚のCDを取り上げる。
「ジャズのピアノトリオの演奏なんだけど、なかなか、音がしっかりしてます」
 前川はフリーの曲名を読み上げる。
「フリーはオルフの『カルミナ・ブラーナ』おお、運命の女神よ、か。うーん。勇壮で壮大な曲だけど。歌は入れなれないからなぁ……」
 原田が相づちを打つ。
「そうなのよね。歌が入っていないオーケストラだけの、演奏もあるけど、歌入りに比べて、迫力の点でいまいちよね。残念な曲だわ」
 由紀が提案する。
「先生。ルールでは歌を使ってはいけないことになってますけど、歌詞がなければいいんですよね。言葉で歌うのじゃなくて、ララーとか、アーとかいう声でなら、歌っていてもいいって聞きましたけど」
「それは、そうなんだけどね。そういう言葉じゃない声で歌っているのは発売されていないよ。自前でオーケストラと合唱団雇って、新たに録音するなんて、たいへんだよ」 
 それまで、黙っていた由紀の母が口をはさんだ。
「あのー。それなら、私に心辺りがあるんですけど。私の卒業した大学の恩師や後輩に頼めばなんとか、そんな曲作ってもらえると思います」
 由紀の母は音大のピアノ科出身だった。夫の死後、音楽教室でピアノの講師をやっていた。だから、音大の学生のオーケストラ、合唱ならと思っていた。

 原田が思い出したように尋ねる。
「それで、振り付けはどうするの? いつも頼んでる天海さんに頼む?」
 由紀が口ごもりながらも言い切る。
「振り付けは自分でやりたいんです。私、いつか振り付け師になりたくって、いろんな踊りを見たり、習ったりしてきました。でも、最後の演技だし……自分の振り付けでやりたいんです。たとえ、素人くさい振り付け、って笑われても……。駄目ですか?」
 原田はにこにことしている。
「いいじゃない。シンガーソングライターってあるけど、それみたい。自分で振り付けして、自分で滑るなんて、かっこいいじゃない!」
 前川が釘を刺した。結構、生々しいものだった。
「由紀ちゃん。一つだけ言っておくけど、麻薬使うようになったら、もう駄目よ。麻薬系鎮痛剤はドーピングでひっかかるからね。その時は公式戦はあきらめなさいね」